「ハチはなぜ大量死したのか」を読みました。原題は「fruitless fall」と実りなき秋を意味します。
この原題を先にチェックしたならば、私のようにこの本をノンフィクション科学
推理小説とは誤解しなかったでしょう。
いや、もちろんこの本にはそういう要素も当然含まれています。ハチがいなくなった原因を突き止めるべく研究された結果が紹介しながら、犯人を捜すその過程は数学の証明のように理路整然としていながらも、文章の表現力によって決して単調にならず先へ先へと読みすすめてくれます。
しかしながら、この本では犯人は突き止められません。いや、むしろ犯人は単独ではなく、効率化を重視された結果として、単一品種の
栽培、栄養的に偏った飼育条件、
ネオニコチノイド系農薬、ミツバチの酷使など、さまざまなミツバチへのストレス要因が積みかさなって起きた現象であると捉えられています。
つまりはこの本は、単なるサイエンスミステリーの本ではなく、工業化された農業への警鐘をならす現代版「
沈黙の春」ということです。
沈黙の春から何十年もたった今でもこのような状況になるのは少し驚きです。
印象的だったのは、日本みつばちというもう一つの希望、という中村京子氏によるあとがきです。
その中の一文、
小さくともその土地に根ざした特色ある日本の農業の在り方が、日本ではまだ大きなCCDの被害が報告されていない大きな理由であるように思える。
この言葉は同じ日本人である私にとってかなり誇りに思えました。
この手の問題で、解決に結びつくキーワードは
多様性であると考えます。
多様であるということは、変化に対してすごく柔軟に対応できるということ。日本ではまだその多様であるということが維持されていると言っていいと思います。
農薬はかなり技術は高まっており、人への安全性という意味でいえば使い方さえきちんとなされていれば、安全性は100%保証されるレベルにあると思います。したがって農薬という言葉だけで拒否反応を示すのは良くないです。
しかし、現実には人以外のハチに対する農薬が問題を引き起こしています。この本では、農薬は飼育されたpollinator(送粉者)だけでなく野生のpollinatorをも減少させたと紹介しています。
この
多様性の欠如が問題を深刻にしたと考えます。
また、アーモンド一辺倒・ミツバチ一辺倒とする
栽培方法も問題であったと考えます。
もしミツバチ以外にも他の候補がいれば・・・?
農作物が病気にやられないのは、たくさんの微生物が土壌内や植物体内に存在するというのが一因です。一方で病気に侵された作物というのは特定種によって支配されています。
これらも
多様性の、環境変化に対する一例といえます。
著者は、最後こういいいます。
とはいえ、私はこのような功利主義的な議論で本書を締めくくりたいとは思わない。そんな議論は読者にとって失礼でさえある。これではまるで、子供たちに向って、お母さんが必要なわけは、ジャム付きトーストを作ってくれる人がいなくなったら困るからだろうというようなものだ。それは本当かもしれないが、肝心な点を見過ごしている。子どもたちに母親が必要なわけは、お母さんがいてくれるとうれしいからだ。
この言葉は非常にうまいですが、この言葉では、農家の収入・食糧の安定供給という面から期待される農業の大規模化・集約化という要請には、かないません。
しっかりと多様であることを、観念的な意味でなく評価する方法が迫られているところであると思います。