Whistle Life

食と農の話題を中心に、日々の雑感をつづります。

いじめの構造

 
いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書) (2009/03/19) 内藤 朝雄 商品詳細を見る

 いじめという現象を論理的に分析し、構造的に理解しようとするものです。読みながら自分の体験と符合する部分が多く、自分の中である程度美化されてきた青春時代が、そうでもない、いやむしろ息苦しいくらいなのではないかと感じさせられた本でした。

 

 なかでも一番背筋がぞくっとしたのは次の一文です。

 

軍団」の少年たちは、「友だち」が一番大事と口をそろえて言う。彼らは「友達」のかっこよさや強さをうれしそうにほめたたえる。だが話を良く聞いてみると、あるとき中が良かった友だちが次にはぼろくそに言われている。

 

 非常に自己の体験とリンクした文章であります。小学校のとき友だちだったA君は中学校に入ると、評判がすこぶる悪く、中学からの友人だけでなく小学校からの共通の友人までその子のことを悪く言うことにちょっとびっくりした記憶があります。私自身は中学になってクラスも代わりそんな関わりもなかったのでA君自体を悪く言う理由がないのに、その価値観を強制させられる、そんな息苦しさがあったことを思い出しました。

 このことは、次の一文にもよく現れていました。

 

「すなお」とは、利害と身分が織り込まれた場の空気に「あわせる」だけでなく、それを通りこして、場の空気に「なりきる」ことでもある。実際、過酷な集団真理・利害闘争に投げ込まれた人々はなりきる以外に生きる術がない。

 

私がいじめられなかったのは、まさにその空気になりきっていたから、と言えると思う。ただし、いじめられないその状態が心地良かったか、というとそれも違う。でもなぜか自分はいついじめられてもおかしくない、というちょっとした脅迫観念はあった気がします。

 

筆者は、このような空気感ができる背景は、濃密な付き合いを強制する学校制度にあるといいます。この閉ざされた学校制度の下では、市民的な感覚より、「今・ここでのノリ」が優先されるというのです。

一方で、集団のノリは一歩学校の外に出て、特にいじめのとりまきといじめられている人が一対一で出会ったとき、そのとりまきは何も言えなくなるでしょう。

筆者はそこにこそ希望があり、自由な学校制度が良いと具体的に提案しています。

 

 

それに対して、自由な社会では、人々は、魅力と幸福感に導かれて、さまざまなタイプのきずなに自己を埋め込んだり、離脱したりする試行錯誤を繰り返しながら、自分にフィットしたきずなを形成していく。自由は、きずなを壊すものではなく、むしろ十人十色のきずなを成長させる条件となる。

 

今の学校制度では、「仲良くする」こととまなぶことが抱き合わせ。と筆者は言います。そこを独立して考えることを、本内ではもう少し詳しく書いていますが、それによって人間関係が希薄になるという心配については、むしろ特定の人間関係を強制するよりも、色々な学びの場を提供することで、その場ごとにさまざまなきずなが生まれ、うまくいかないところでは無理に関係を続けることはない、といいます。

 

 すこし、理想論な部分があったり、実現性には疑問もありますが、考え方としては非常に興味がもてる案だと感じました。