三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ

仕事も趣味も育児も妥協しない。週末菜園家が、三児の子どもたちを育てながら、家事と仕事のスキマ時間を創って、映画や農業で心豊かな生活を送るブログ

「日本文化の論点」と農村社会

 

日本文化の論点 (ちくま新書)日本文化の論点 (ちくま新書) (2013/03/05) 宇野 常寛 商品詳細を見る
  最近よく名前を聞く宇野常寛氏の新作ということで読みました。

なかなか色々な面でなるほど頷かさせられる本でした。一方で、最後のAKB48論は確かになるほど!だし、「21世紀文化のゆくえを象徴する」かもしれませんが、本作でいう<昼の世界>をどこまで変えうるのかというと首を傾げたくなる部分もあります。ただそれでも、すごく著者の熱意とか決意が伝わってきて、社会は変わるかもしれないなんて思わさせる作品でした。

 

 本作では、現代社会は<昼の世界>と<夜の世界>に二分されている、という論を紹介しています。

21世紀の現在においては決定的な制度疲労を起こし、ゆるやかに壊死しつつある「高齢国家」日本という姿は、この国の、この社会の「表の顔」いわば<昼の世界>の姿にすぎません。

 (中略)サブカルチャーやインターネットといった、この国に生まれた新しい領域の世界です。この陽の当たらない<夜の世界>こそ「失われた20年」の裏側でもっとも多様で、そして革新的なイノベーションとクリエイティビティを生み出してきた領域だといえます。

 

 そして、<夜の世界>で培われた思想や知恵を用いて、<昼の世界>(政治や経済)を変えていくこと、が必要であると説いています。

 

 さて、私が普段仕事をしているフィールドである農林業は、まさにここでいう<昼の世界>であるといえます。農家さんがメインに農作業するのは昼の間、という意味も含めて。当然、<夜の世界>の思想や技術を<昼の世界>である可能性を妄想したりもするわけです。

 

   そういった際に気になったのは、本著の「論点2 地理と文化のあたらしい関係」です。 ここでは、主に東京を中心とした都市部における話にはなりますが、地理が文化を規定するのでなく,文化が地理を規定する時代になってきた、とあります。何でもない地方の神社などの場所に「意味」や「歴史」を与えている、アニメ文化などに見られる聖地巡礼を引き合いに、コミュニティを育み、文化を生成する場は、インターネット上の「場」にとって代わられているといいます。

 

 

 

 一方で、農村社会の主要産業である農業は、思いっきり地理に規定されている産業です。これは他の製造業・サービス業などの業界とを区別する大きな特徴でもあります。農山村においては,地理に規定された産業である農業がそのまま文化の形成につながってきた、と言えます。そして現在、高齢化や若者の人材流出により、一般に農山村では農業が衰退している。それに伴って農山村文化も衰退しているといえるでしょう。

 

 農山村社会の現場では、こうした文化を守るということを目的に、かなり補助金などの保護的な政策がとられてきました。しかし、それはあまり効果が挙げられていないのが現状でしょう。農村社会の内側から活性を図るには限界があるのだろうと考えられます。過去から築かれてきた文化をノスタルジーに近い感覚で保護しようとしては失敗してきた面があり、現代社会にあわせて文化を更新していく必要があるのです。

そこで、外側、本作でいうならば<夜の世界>に技術や思想で、農村社会・文化をリノベーションすることができないか、ということを考えるのです。

 

そこでのひとつの可能性は、農村社会に生きる住民の子・孫たちであると考えています。農村社会衰退というと、高齢のおじいちゃん・おばあちゃんをどう支援するかという住民視線になりがちです。するとどうしてもおじいちゃんたちの生活=文化を保護という考えになってしまうのではないか、と思うのです。

一方でその社会には子・孫の世代がいるわけで、その世代の「望郷の念みたいなもの」をいかに新しい文化形成の源としてすくいとっていくか、がキーになるのではないかと思っています。それが今では子・孫世代が全国に散々だったのが、インターネットによってつながることができるわけで、そこが<夜の世界>に秘めた可能性なのかな、と感じています。

 

 産業としての農業だけでなく、農村社会についても勉強したいと考えさせられる契機になりました。