このブログでは、映画における食農表現に着目して記事にしてきました。映画の中でどのように、食や農が表現されているか。映画のジャンルやテーマに問わず、時には映画のワンシーンのみでの紹介の時もあったと思います。
今回紹介する映画は、映画における食農表現というよりは、むしろ食農表現を映画にしたような映画です。
まごう事なき傑作。「リトル・フォレスト」です。五十嵐大介による漫画原作を森淳一監督が映像化。
岩手の小さな農村集落、小森での主人公・イチ子の自給自足的な暮らしを描いた作品です。
春・夏・秋・冬の季節でパートが分かれており、それぞれにタイトルとエンドロールが流れる変わった構成の映画です。劇場公開時には、夏・秋編、冬・春編の2回に分かれて公開されていました。
ストーリーの構成も変わっています。
基本ストーリーの中心は、ある一つの料理に焦点を当てられ、1st dish, 2nd dishといった料理ごとの章立てになっています。
ストーリー自体あってないような感じなんだけど、テンポが良いのと映像編集テクニックのためか、全く飽きがこない。なにより美味しそう。
農村の暮らしの中の料理なので、手間はかかるけど、難しいわけでもなく。自分でも試してみたいと思わせる魅力があります。
これだけ書くとなんか、オシャレなグルメ映画かな、という印象を与えてしまうのですが、この映画が良かったのは料理ごとに語られるエピソードです。
収穫しすぎたトマトやグミの実をどう処理するのかって話だったり、アケビの皮をどう活用しようかって話だったり、あるいはお母さんとの思い出の味の話だったり、すべての料理に料理される「意味」が描かれます。
それも大げさではなく、日々の暮らしの中で自然と生じる「意味」で、全く押し付けがましくない。ここがオーガニック礼賛映画と一線を画するところだと思います。
特にお母さん周りのエピソードが秀逸なんです。
オシャレな田舎暮らし映画である以前に、ちゃんと主人公の物語を描いていることに非常に感銘を受けるのです。
そしてそれを支えているのは、間違いなく主人公・イチ子を演じた橋本愛の演技です。
いや、参った。
自然体っていう言葉で片付けてしまいたくないくらい素晴らしかったです。
ストーリー上、独り言が多いですが、ちゃんと独り言として成立しているし、暑い時は暑い。みたいな「生」を思いっきり感じられる良い演技でした。
そして、何と言っても出色はラストシーンです。
ここでのイチ子の姿というのは、これまでの淡々と過ごしてきた小森での暮らしの積み重ねの上にある。そう思うと言いようのない感動が押し寄せてきました。
良い意味で、外面だけのオシャレ映画から脱皮した見事の映画でした。
全部通してみると、結構な時間になりますが、是非一度鑑賞してほしいと思いました。