ワンダーランドな築地映画
今回紹介するのは、築地市場とそこで働く人々に焦点を当てたドキュメンタリー「築地ワンダーランド」です。開設後80年以上にもなり、日本の魚食文化の拠点とも言える築地市場を、1年以上に渡り密着取材した1作です。
以前にこのブログでレビューした「二郎は鮨の夢をみる」でも登場した築地市場。そのセリのシーンはとてつもなく印象的でした。
《映画にみる食と農》二郎の存在感が凄い 二郎は鮨の夢を見る。 - Whistle Life
また、先日記事にもした中央卸売市場が民間でも開設可能になるという規制改革や豊洲への移転問題についてもニュースになっていたので、その築地市場にスポットを当てた本作品を鑑賞しました。
《農政ウォッチ》政府が卸売市場の民営化を提言。公設市場の役割とは? - Whistle Life
映画タイトルは築地ワンダーランド。
タイトルは観て納得です。築地がいかに「非日常」と「驚き」に満ちている世界だと気付かされます。
そして築地で働く人たちの人間模様。彼らの情熱や仕事哲学に触れたとき、シンプルにカッコいいと感じる。それだけで観た甲斐があったと思わせる良作でした。
「二郎は鮨の夢をみる」の影響は否めない
実は最初の30分の印象は決してよくありません。それは、「二郎は鮨の夢をみる」を影響をかなり受けていると感じたからです。
スローモーションや映像美に訴える演出。すきやばし二郎。料理評論家の山本益博氏。
その全てに同作からの既視感を感じてしまいました。
また、築地は世界に誇るという思いもあったんでしょう。英語ナレーションにも、違和感でした。日本人監督なのにという思いはあります。
特にアーティスティックな映像表現においては、「二郎は鮨の夢をみる」がやはり優っていたように思います。同作のお寿司はやっぱり美味しそうだし、セリシーンの迫力たるや、同じような演出なのになぜこんなにも違うのだろうと思わされます。
関係者の熱量に圧倒
しかしながら、視聴を続けていると、築地ワンダーランドにおいては築地に溢れる情熱の量に圧倒されます。
「二郎は鮨の夢をみる」が、小野一家の様子をじっくり、ゆっくり見せて行くのに対し、本作は、築地に関わるたくさんのインタビューをテンポよくどんどん見せていく形をとっています。多数のインタビューの物量は、そのまま築地の活気や情熱を表現しているとも言えます。
築地市場に関わる人たちは、卸、仲卸等場内関係者、築地に買い付けにくる飲食店等毎日1万人を超えるとい言います。
このドキュメンタリーでは特に主人公は設定されていません。いかに築地、ひいては日本の食文化がたくさんの「プロ」たちの仕事で成り立っているのかよくわかります。だれか特定の人物ではないのです。
市場の朝は夜中から始まり、敷地内にところ狭しと仲卸の店が並び、たくさんの注文をさばく。
築地市場で取り扱われているのは主に魚です。魚というのは、保存が効かないので短い期間で取引を成立させないといけない。
毎日が勝負。映像を観ながらそんな風なワードが思い浮かびました。
見直される仲卸「目利き」の役割
様々な関係者が紹介されますが、特に目立っていたのはやはり「仲卸」です。
「仲卸」は、全国から集まる魚を仕入れ、飲食店や小売店に販売します。
それだけ聞くと何かただの仲介役という印象を持つかもしれませんが、実際はそう単純ではありません。
お客様の為に、確かな品質なものを正当な評価で仕入れる。また買った魚をお客様の需要にあわせて、それぞれにあった好みのものを用意したり、買ってもらいやすいように小分けにしたりする。
単に仲介するだけでなく、「目利き」を行うことにこそ重要な役割があるのです。
「魚」というのは、また、品質を見た目で判断することが難しいです。
工業製品と違って、品質が一定ではありません。なのでこういった「目利き」機能が重要になってくるのです。
仲卸でのインタビューでも、ある程度のところまでは良し悪しは努力すれば分かる。そのもう一歩先の世界がある、と。これぞプロの世界だと感じました。
作中でも、築地で取引されているのは「物理的なもの」だけでない、むしろ情報こそが重要だと紹介されています。仲卸が持つ産地や今日の漁獲量、品質などの情報。そういった情報にこそ価値を求めてたくさんの有名飲食店が築地に集うのです。
こういった仲卸たちの姿にどんどんと引き込まれていきます。
最後年末でしょうか。一本締めで一年の仕事を終える仲卸たちの姿を見る頃には、祭りの終わりにも似た寂しさを感じました。
未来はあまり語られない
同じく寿司屋さんのインタビュで「市場から産直に流れて、今また市場に戻ろうとしている。」という受け答えがありました。
今、市場への規制改革、豊洲への移転問題があるからこそ、今観るべき映画であると思います。逆に作中ではこのあたりの市場の未来の話はあまり触れられませんでした。
そこに少しもの物足りなさを感じましたが、「今現時点」の市場を記録し、見せるという意味では意義深い一作だと言えます。