悲しいお知らせがありました。私が愛聴していたラジオ番組・タマフルがなんと3月31日で終了ということです。
今年は、ムービーウォッチメンで扱う映画は全部観ようと意気込んでいた矢先の番組終了のお知らせでした。
思えば、6年ほど前、シネマハスラー時代の映画時評を初めて聞いたとき、なんて分かりやすくて聴きやすくて面白い映画レビューなんだと感動したことを覚えています。
映画評を聞いているだけで、その映画を観た気分にすらなれる。映画も解説を聴けば、10倍にも100倍にも面白く感じられる。そんなことを気づかせてくれました。
毎日の生活に彩りを与えてくれたタマフルに本当に感謝しています。ありがとうございました。
そして、新番組。本当に期待しています。radiko プレミアム加入しようか迷ってます。
そんな中、ムービーウォッチメン。残り9回は残されているので噛みしめていきたいと思います。
そして、今回紹介する映画はデトロイト。
町山智浩さんもオススメしていたのでガチャが当たってくれて嬉しいです。
鑑賞後クラクラと体調不良に
重い映画だとは観る前から予想はしていましたが、
観終わった後、こんなにクラクラと吐き気をもよおすまでになるとは想定外でした。
仕事終わりロクにご飯を食べていなかったこと。
記録映画のような揺れる画面。
目を覆いたくなるシーンと持続する緊張感、そしてそれが実話という現実。
クラクラの理由は、これら全てでした。
デトロイト、監督は「ハートロッカー」や「ゼロダークサーティ」で有名なキャサリンビグローです。
1967年にアメリカの第5の都市・デトロイトで実際に起こった黒人による暴動が本作の舞台です。本作では、特に、白人警官による非道な拷問により3名の黒人の若者が死亡したアルジェ・モーテルでの事件が描かれています。
事件より50年経った現在、関係者への取材により構築された実話映画です。
本作を観終わった人の誰しもが現実のやるせなさを感じることになる映画だと思います。そして迫真の映像体験。コミュニケーションを不能にする暴力の恐ろしさを見せつけられる衝撃作と言えるでしょう。
迫真とは真に迫るということです。
冒頭のっけから、ただごとでない雰囲気。無許可の飲食店が摘発されるシーンからはじまるのですが、あれよあれよという間に黒人たちが暴徒化していきます。
なぜか摘発する側が焦りはじめるのが妙に印象的でした。
状況が読め込めないままに騒乱が騒乱を呼んでいく。
パニックが起きるときというのは、全ての人が状況を理解出来ている訳ではありません。何が起こっているか分からないこそ、パニックになるのです。
映画というのは、観客は客観的に場面を眺める立場であるので、通常シーン全体の状況を把握しながら観ます。
しかしながら、ドキュメンタリックな映像運びで、さも自分がその騒乱の中に放りこまれたかのような気分になり、緊張感が拭えなくなっていきます。
こんなことが本編全編に渡って展開されるので、それは疲れること必死ですね。
緊張感の持続という意味では、ノーラン監督の「ダンケルク」も評されていましたが、私にとっては今回のデトロイトはその比ではありませんでした。
ダンケルクは、どこか超現実的な画面作りで本当の意味での没入ではないと自分自身は感じています。
デトロイトは、ドキュメンタリックであり、またおそらく実際の記録映像を違和感なく滑りこませてあるので、その場に居合わせたような気持ちになるのです。
話が通じなくなるという恐ろしさ
この映画を観て本当に恐ろしかったのは、暴力や差別感情だけではありません。
暴力が間に入ると、コミュニケーション不能になるということです。
中盤の見せ場である警官による拷問シーン。
そこでは暴力が交わされることで、「誤解」を解くための一切のコミュニケーションが取れなくなるという現実をまざまざと見せつけられました。
暴力は弁明の機会を奪います
拷問シーンの展開としては、モーテルに泊まっていた黒人を中心とした若者たちが遊び半分で、おもちゃのピストル(競技用スターターのガン)を鳴らしたのをきっかけに、そこに駆けつけた白人警官に拷問を受けるようになります。
映画を観ている私たちはさっさと弁明しろよ。とかついつい思ってしまいますが、過剰に振舞われる暴力による抑圧はその弁明をする気力をも奪います。
それは途中、拷問を受けているうちの一人が「意見しても良いですか?」というその一言にも現れています。
おもちゃのガンであることを知っている人物も、それはそれで白人を侮辱する行為であるので、告白することで暴力を免れないと感じたのでしょう。
とにかく下手なことを言えない空気が確かにそこにはありました。
さらに、本当に事情を知らないメンバーもそこに含まれているから悲劇です。
暴力は救いの機会を奪います
現場に警察と同じく駆けつけた黒人の警備員。彼はそのモーテルでの唯一の良心です。
彼は、常軌を逸していると分かっていながら、止めることはできません。
暴力を受けている側からすれば、白人警官も黒人警備員も同じに見えたかもしれません。良心を持っている彼に救いを求めることもできません。
彼が白人警官を止めることも、黒人から彼に救いを求めることもどちらもできないのは、そこにはやはり暴力が介在しているからです。
暴力は無関心を呼びます
拷問シーンを観ていて、もっとも恐ろしいのは応援に駆けつけている軍隊のメンバーが明らかに常軌を逸した白人警官による拷問を認識していながら、観てみぬふりをすることです。愛の反対は無関心だとよく言ったものです。
今思い返しても背中に寒気が走ります。
暴力を前に、誰もが正しい行動を取ることが難しくなるのです。
主人公の境遇にいたたまれない気持ちに
主人公ラリーは、プロの歌手としていつか大きな舞台を夢みるグループのボーカリストです。しかしながら、暴力を受けたことや白人優位な裁判に負け、完全に白人嫌悪に陥ります。
エンターテイメントを消費するのは白人であるという事実に気づき、その道を歩むことを諦めるのです。
希望に満ち溢れたラリーの登場シーンを振り返ると、失意のどん底に落ちたラリーの境遇にはやるせなさが募ります。
そういう意味では本作はカタルシスの全くない、ただただ悔しさだけが心に残る映画だと思います。
町山さんのラジオの中で言ってました。このことは過去のことではない。今の現実にも言えることなのだと。
決してハッピーな気分になれる映画ではありませんが、「恐ろしさ」を学ぶという意味で衝撃の一本となりました。