三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ

仕事も趣味も育児も妥協しない。週末菜園家が、三児の子どもたちを育てながら、家事と仕事のスキマ時間を創って、映画や農業で心豊かな生活を送るブログ

映画「アンカット ダイヤモンド」感想レビュー 荒削りな男の人生の輝き

みなさんの周りにどうしようもないダメ人間っていませんか?

 

その人物はきっと、周囲では有名人で、その人にまつわる噂話やエピソードが、いろいろ出てくるのではないでしょうか?

 

私の周りにもかつて、仕事はミスするし、時間にルーズな人がいました。

でも、どういう訳だか、そんな人に限って、愛着があって、憎めない存在だったりします。

 

人間的な隙がない人よりも、ツッコミどころがある人の方が、人として感心をもたれやすかったりするのかな。その人のことを見ていると、そんな気さえしていました。

 

そんなダメ人間だけど憎めない人の人生を体験してみたいなら、

映画「アンカットダイヤモンド」がおすすめです。

 

アンカットダイヤモンドはNetflix配信映画

本作の主人公で、アダム・サンドラー演じるハワード・ラトナーも、やっぱりどうしようもないクズ人間でした。

でも、どうでしょう。映画を見終わる頃には、不思議なことに、彼に愛らしさすら感じます。

人間としてクズなんだけど、とことん人間臭い。

矛盾しているようだけど、そんな親しみが湧いてくる不思議な映画でした。

 

アンカットダイヤモンドは、Netflixで配信されている、アメリカニューヨークを舞台とした映画です。

主人公はハワード・ラトナーで、ニューヨークで宝石商を営んでいます。

ただ、彼の宝石店は、アンダーグラウンド感があって、しつらえ自体がまず怪しい。

日本でいう百貨店の一階の宝石店のイメージでなく、アパートの一室の小さな部屋で営まれている感じ。つまりは、裏商売感、裏取引感がすごいあるんです。

 

おそらく、ハワードも危ない取引に手を出しているんでしょう、映画冒頭から延々と借金取りに追いかけられています。

その借金を返すために、ギャンブルにも手を出します。

行き当たりばったりで、お金調達に奔走する。

そんなハワードの運命を描くのが本作なのです。

 

Uncut Gemsがキーアイテム

 

映画タイトルにもなっている「アンカットダイヤモンド」は、原題では「Uncut Gems」。

カットされていない宝石、という意味です。

映画冒頭、エチオピアの鉱山で、宝石の原石(ブラックオパール)が掘り出されるところから、物語は、はじまります。

 

その原石は、まだ精巧にカットされる前のゴツゴツとした石の状態です。

これこそが、本作のキーアイテムであり、テーマのひとつになっています。

 

この映画では、至る所にこの原石のモチーフが描かれています。

「Uncut(削られていない)」、つまりは、ありのまま、手が加えられていないシーンや演出やキャラクターに溢れているのです。

 

例えば、はじめの方に紹介したハワードの宝石店ですね。これはクライマックスの舞台にもなっているのですが、とにかく映画冒頭の宝石店の一幕はものすごく荒削りなんですよね。

 

店内に、いろんな立場の人がガヤガヤと言い合いに近いような形で会話している。もちろん会話の中心は、ハワードではあるのだけれど、ハワードの会話に被せるような形でセリフが応酬されているんです。映画は普通で言えば、Aさん、Bさんが話している間に「間」というものを作ります。

本作のこのシーンではそれがありません。

とにかくガヤガヤをガヤガヤとして、映し出しているんですよね。そんなハワードの宝石店の雰囲気が、ハワード自身の荒削りな生き方そのものを表しているようにも思えるのです。

 

終始こんな調子で、ガヤガヤとしたエピソードが続くので、人によっては息継ぎが欲しいと感じるかもしれません。

 

ただ、これまた独特で特徴的なシンセサイザーな音楽使いも相まって、だんだんとトランス状態になるんです。

 

アダム・サンドラーの脅威の人間力

一番はやはり、主人公ハワード・ラトナーのキャラクターであり、演じるアダム・サンドラーの演技でしょう。

とにかく、アダム・サンドラーの人間剥き出しの演技は、本作の一番の魅力とも言えます。

 

本作の物語は、どこに向かうか分からないストーリー展開になっています。

分かりやすい展開が用意されていないので、人によっては見づらい映画と言えるかもしれません。

でも、一方で、そのストーリー展開は、ハワードの人生そのものを描いていると言えます。

ハワードの行き当たりばったりさが、お話運びとリンクして、逆に正しいとも言えます。

映画が、人間自身をメインに描いている分、当然その演技がダメだったら映画全体もダメになってしまうのですが、本作のアダム・サンドラーはその要求に見事に応えていると感じました。

 

ハワードは、お金にも女にもだらしない典型的なダメ人間です。

人から預かったものをすぐにお金に換金したり、ブラックオパールをKGに預けちゃったり、不倫したり。また不倫しても、すぐにバレちゃう詰めの甘さです。

 

ミスを挽回するために、またギャンブルに走って失敗しちゃう訳です。

ところが、そんなダメ人間にもかかわらず、物語終盤の一世一代の大博打では、ハワードがんばれってなっちゃてるんですね。不思議なことに。

 

それは、アダムの演技の賜物だと思っています。

彼の演技やキャラクターには、真の悪ではない、言うなれば近所の悪ガキ的な無邪気さがあります。リアクションはオーバーだし、表情も豊かで、人間味に溢れているのです。

 

彼のマンションで同居人がいることが、すぐにバレたり、借金取りに文字通り身ぐるみを剥がされたり、さんざんな目に合うから、彼の人間味とあいまって、クズ人間を通り過ぎて、同情の眼差しが観客に生まれるのかもしれません。

 

そして、観客が彼に感情移入する頃、最後の最後にあっと驚く彼の運命が用意されています。

その描き方も「Uncut」な演出でした。

彼の身に起こることが、全く脚色されずに、その出来事が起こった後も、彼が主人公であることを忘れるくらいにあっさりと物事が進行するのです。

ありのままの出来事を淡々と描くスタイル、ドキュメンタリーっぽくすらあるかもしれません。

 

それでいて妙に清々しく表現されています。

むしろ、自分も、こんな状態でああなったら人生全うしたって胸をはれるラストになっていると思います。

 

映画冒頭、掘り出された宝石の原石が向かう先は、ハワードの体内でした。

そして、映画ラスト、ハワードの体内から向かう先がどこかということに思いを馳せると感慨深いのです。

 

 

繰り返しになりますが、ラストには、すっかりハワードの人生に自分自身も巻き込まれちゃったかのような感覚になるんですよね。

 

さぁ、あなたも、ハワードが見たUncut Gemsの輝きの先を観にいきませんか?