海獣の子供は夏休み青春映画?
アニメ映画「海獣の子供」の主人公・流花(ルカ)は中学生。
彼女の夏休みはスタートしたばかり、彼女が所属するハンドボール部の練習に勤しみます。
その日のルカは絶好調。小さい体をせいいっぱい動かして、次々とシュートを決めていきます。
そんなルカの姿が気に入らないメンバーもいました。
「小さい体のくせに。」
そうつぶやいて、プレイの最中、ルカの足をわざとひっかけて転ばせます。
ルカは負けじと立ち上がります。
でも、ルカはやり返してやろうと思って、今度はルカがシュートを打つ際に、わざと肘をそのメンバーにぶつけます。
メンバーは、鼻血が出て、試合が中断する騒ぎに。
試合の後、ルカは、先生に呼び出されます。
どうしてそんなことをしてしまったのか、説明を求められるのですが、ルカはうまく答えることができません。
結局、ルカは、ほとんど釈明することもできず、また、反省の意を表すこともできず。
もやもやを抱えたまま、家に帰されます。
明日からもう、練習に来なくて良い、というとどめの一言もありました。
こんなシーンから、映画「海獣の子供」は始まります。
分かるわかる。
中学生の時ぐらいって親や先生といった大人に、自分の気持ちを伝えるのが本当に苦手なんですよね。
大人の私たちからすれば、これくらいのトラブルすぐに解決できそうなものですが、思春期の複雑な心境がそうはさせないんです。
海獣の子供は、そんな思春期特有の悩みを抱えた中学生が主人公の夏休み青春映画。
海獣の子供というタイトルから想像するに、「河童のクゥの夏休み」みたいに、主人公と海獣の子供との交流や交流による成長を描いた作品かと想像しました。
実際にそんな映画ではありました。
ですが、この物語は終盤にいくにつれてスケールと抽象化が激しくなり、最終的にルカは、海の生き物たちとの交流を通じて、宇宙に触れる。というところまで到達します。
海獣の子供は宇宙の神秘に触れる映画
宇宙に触れる? どういうことって思われる方もおられるかもしれません。
でも、本当にそういう映画なんです。
映画を見ているうちに、海の世界から宇宙の神秘の世界へと誘ってくれる映画なのです。
いや、海の世界と星の誕生がつながっているという話です。
何を言っているのかわからないかもしれません。
もしかしたら、本作を見ても、何がなんなんだかよく分からない、という感想を持つ人も多いかでしょう。
何せ、宇宙の神秘の話です。
僕も映画中で起こったことを説明しろと言われても説明することはできません。
本作は、中学生の誰もが経験ある身近な悩みから、誰にも理解できない宇宙の神秘という壮大なスケールの映画に発展していくのです。
海獣の子供はエヴァンゲリオンと似通っている
でも心配することはありません。
我々は、そんな映画や作品を既に観たことがあるからです。
その作品の名は、エヴァンゲリオンです。
エヴァンゲリオンに影響を受けた作品はゴマンとあるかもしれません。
でも、私はこの作品を観て、エヴァンゲリオンを想像せずにはいられませんでした。
バトルはない、ロボットも出てこない。
これのどこが、エヴァンゲリオンなんだという意見もあるでしょう。
でも、主人公の父親との確執という、これまた思春期特有の悩みから、人類補完計画という壮大なスケールのセカイを描く、という点において、紛れもなくふたつの作品は似通っています。。
似ているのは、ストーリーの枠組みだけの話ではありません。
謎めいた人物たちが、意味ありげなセリフを語って、セカイの真理を説いていく。
そんなシーンがエヴァンゲリオンにそっくりなのです。
「私たちに残された時間は後どれくらいなんだ」
みたいなセリフに代表されるように、何かが進行しているけれど、中身については全く説明されないというのが、特徴です。
海獣の子供である、空(ソラ)はルックス含めて完全に渚カヲル君です。
ソラが、海に還っていくシーンは、自分の役割に気づいて何かに悟るカヲル君にそっくりです。
物語という点では、エヴァンゲリオンよりも抽象度は高く、分かりにくいかもしれません。
先ほどのセリフ「私たちに残された時間は後どれくらいなんだ」
についてもほとんど説明されないですし、
劇中にたびたび登場する
「祭りの時は近い」
の祭りも、何のことなのかほとんど説明されません。
エヴァの人類補完計画の方が、何を意図して何が起こっているのか、まだ分かりやすいと言えるかもしれません。
この抽象的なストーリーの語りが人によっては、難解だと感じてしまうかもしれないですし、実際に難解だと思います。
抽象度の高さがアニメーションとマッチ
でも、物語が抽象的なのは、悪いことばかりではありません。
本作に限っては、この抽象度の高さが、アニメーションとしての表現の豊かさとマッチしているのです。
海をテーマにしているというのも大きいです。
海の生き物たちがたくさん描かれるのですが、海の豊かさ、最終的には宇宙の神秘を描くのにアニメーションという表現があっています。
圧倒的な魚たちの群れは、魚一匹一匹に命が吹き込まれているかのよう。
キラキラと光るジンベエザメの肌には神秘を感じますし、
打ち上げられたリュウグウノツカイは悪い予感をイメージとして、観客に思い起こさせます。
こうした海の豊かさはやがて、星の誕生、つまり宇宙の誕生を表現していきます。
宇宙の誕生なんていう抽象度が高い、いわば概念を映像化するというのですから、アニメーションでしか表現できないといっても良いと思います。
人間の姿までもが、抽象化されていくプロセスは幻想的で、まさに宇宙的なのです。
これらのシーンはとても、言葉では表現しきれません。言葉で表現できないことを示して見せたアニメーションの、勝利といって良いでしょう。
波やクジラのソングが、世界の全てを語る一方、私たちの耳はその一部しか受け取れない。
というデデのセリフが登場します。
まさに、この映画が発信する情報と受け手である観客との関係そのものと言えます。
最後、物語は再びルカの話に戻ってきます。
あんな経験をしておいて、普通の日常には戻れなさそうな気もしますが、長い夏休みが終わるところで幕が閉じるのです。あ、やっぱり夏休み青春映画を観てたんだと、最後にちょっと安心するのでした。