子どもとの遊びが苦手
子供との遊び方がめちゃくちゃうまいお父さんって周りにいませんか?
そういうお父さんって自分の子供だけじゃなくて、他の子供たちともすぐに打ち解けて、
ワイワイキャキャっと盛り上がります。
私、それが苦手なんです。
公園で遊ばせたりしていると、他の家族の子供が遊びに混ざったりすると、もう最悪。
そういうときにどういうテンションで遊びに付き合ったら良いのか、わからないんです。
他の子供の親御さんの目を気にしてか、子供に対して急に丁寧語になっちゃったりするんです。
公園の遊具で、勝手に遊んでもらう分には全然構わない。
「かくれんぼ」やら「こおりオニ」、ごっこ遊びなどを「お父さんも一緒にやって」と言われるのが辛いのです。
そうなると子供とコミュニケーションが必要になりますから。
公園にいた子ども遊びの達人
つい先日も、公園に子供たちを遊ばせに行った時のことでした。
私の6歳のレイちゃんと4歳のアスカちゃん、娘二人を連れて行きました。
外出自粛要請のためか、普段行きつけの公園もいつも以上に賑わっていました。
すると娘がある発見をします。
「あ、カオルちゃんだ。」
どうやら、保育園の同級生を見つけたようです。
「まずい。」と私は心の中でつぶやきました。
カオルちゃんの親がいる事も発見したのです。
娘はめちゃくちゃ喜んでいます。
何せよ、今は外出自粛の時期、保育園にも通わせられていなかったので、レイちゃんにとっては久しぶりのお友達と出会えたのですから。
でも、私は先ほども言ったように、このシチュエーションが苦手なのです。
お父さん同士で何を話したら良いか分からないし、子供たちに対してもどんなテンションで付き合ったら良いか分かりません。
そう思いながらも、口では
「カオルちゃんに会えて、良かったね」
とレイちゃんには言っています。
同時にカオルちゃんのお父さんにも、簡単な会釈をします。
「カオルと同じクラスなんですね。いつもお世話になってます。」
やべぇ。簡単な会釈ですごそうと思ったのに、向こうの方が丁寧で、その時点で負けた感覚でした。
でも良いや、もう子供同士知った仲なのだから、あとは若いもん同士で勝手に遊んでもらったらいいや、と思った次の瞬間。
カオルちゃんのお父さんは、子供たちを追いかけ始めます。
「うぉー。」
子供たちはキャーと言いながら、笑顔で逃げまわります。
出会って数分、すぐにカオルちゃんのお父さんは、我が子も含めて打ち解けていたのです。
私はその姿を笑顔で眺めるばかりでした。
その輪の中に入ることはできませんでした。
はじめは、輪の中に入ろうと子供たちに接近を試みるも、カオルちゃんのお父さんとのテンションの違いに、全く入りこむ余地がなかったのです。
それで、私は完全に諦めて「地蔵」となりました。
少し離れたところから、子供たちに危険がないか見守ることしかできませんでした。
私の子供は、完全にカオルちゃんのお父さんの虜になっていました。
子供がカオルちゃんのお父さんにちょっかいをかけて、それに反応するようにカオルちゃんのお父さんが子供たちを追いかける。
うちのレイちゃんもアスカちゃんも、繰り返し繰り返し、カオルちゃんのお父さんにちょっかいをかけに行くのです。
カオルちゃんのお父さんはテーマパークのアトラクションでした。
ちょっかいは、アトラクションのチケットのようなもので、子供たちは飽きることもなく、繰り返し、アトラクションに体験しているのです。
もはや、私のところには近づいてもきません。
何が、私と違うのだろう。
カオルちゃんのお父さんの遊び方に、子供と盛り上がる秘訣があるのではないか。
そう思って、私はその遊びの様子を眺めていたのです。
それでわかったことがあります。
子供と盛り上がるコミュニケーションの秘訣は、着ぐるみ、でした。
子どもとのコミュニケーションの秘訣は着ぐるみ
もちろん、カオルちゃんのお父さんは着ぐるみを着ているわけではありません。
着ぐるみのことを意識しているわけでもないでしょう。
でも結果として、着ぐるみ効果で子供たちと大いに盛り上がっているのではないか。と仮説を立てたのです。
着ぐるみ効果とは、キャラクターになりきるということです。
カオルちゃんの追いかける時のウオーという大きい声や、オーバーなリアクションは、正直、素のテンションではなかなかできません。
でも、もし自分が着ぐるみを着ているとしたら?
人目を気にすることなく、接することができるのではないでしょうか。
これは単に、着ぐるみで誰が入っているか分からないということだけではありません。
当然、普段の公園遊びで着ぐるみを着ることは不可能です。
一番肝心なのは、自分は着ぐるみを着ているんだという心の持ちようです。
子供と遊んでいる間は、キャラクターを演じるというわけです。
着ぐるみを実際に着ていなかったとしても、そのイメージを持つことでキャラクターになり切るのです。
逆をいえば、テーマパークの着ぐるみも中の人も、単に着ぐるみを着ているだけではありません。
着ぐるみを着たからと言って、キャラクターになり切れるわけではありません。
身振り手振りを使って、大袈裟に感情を表現することでキャラクターを演じているのです。
ディズニーランドに行った時のことも思い出しました。
ミッキーマウスも、棒立ちで突っ立っていることはほとんどありません。常に手を振ったり、首を傾げたり、口を手に当てたり、とにかく表現豊かだったのです。
カオルちゃんのお父さんも、公園で子供たちを、単に追いかけているわけではありませんでした。腰を低くして、大股で、手を大きく降って、追いかけていたのです。それは子供を追いかける専用の追いかけ方です。
これも、自分が着ぐるみを着ているとイメージすることで、自然と大袈裟になるのではないかと考えたのです。
根っこにあるのは子ども目線
考えてみれば、今あげたことの根っこにあるのは、徹底した「子供目線」だと感じています。
オーバーなリアクションは、外国人とのコミュニケーションにも有効と言われていると本で読んだことがあります。
それが親子であっても、異なる文化を持つもの同士として、それが有効なのです。
ごっこ遊びやオーバーリアクションが、子供目線につながる。
着ぐるみを着ていることをイメージすることで、自然とその子供目線を再現することができるとわかったのです。
ようやく子供とのコミュニケーションのヒントに気づくことができました。
カオルちゃんのお父さんには、子供と遊ぶのに、恥や外聞は捨てたら良い、とそんな勇気をもらったのです。
夕方になり、帰る時間になりました。
私はいつもより大きな手振りで、さよならのバイバイをしました。
次に公園に行くときは、子供遊び専用の着ぐるみを持って出かけるつもりです。