三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ

仕事も趣味も育児も妥協しない。週末菜園家が、三児の子どもたちを育てながら、家事と仕事のスキマ時間を創って、映画や農業で心豊かな生活を送るブログ

母の怒りから学んだこと

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幼少期から中学生くらいにかけてまで、私にとって母親は恐ろしく怖い存在でした。

一度火がつくと、ものすごい剣幕で怒り、私はブルブルと身を震わせることしかできなくなってしまいます。

そのせいか、母親の機嫌ばかりを気にする子どもだった気がします。

 

今から思えば、私は三人兄弟の末っ子。

働きながら、私を育てていた母親には余裕がなかったんだと思います。

私も3人の子供を育てるようになって痛感しています。

 

それでも、母親の怒りは私にとっては天災でした。

普段は優しいが突如として怒りに感情をコントロールできなくなる。

よく人の怒りと言うようのは、雷にたとえられます。

ですが、母のそれは、雷というより地震でした。

一度怒りに震えるといつおさまるか、戦々恐々でした。

 

それは、小学校低学年くらいのころ、

何の変哲もない日曜日の昼下がりのことでした。

母は私を連れてスーパーに出かけました。

となり町のちょっと大きめのスーパーだったこともあって、ゲームセンターがあるスーパーでした。

 

母は買い物に集中するためか、私に1,000円札を握らせ、食料品コーナーへと向かいます。

私はラッキーとばかりに、小躍りでゲームセンターコーナーに向かいました。

 

すぐにストリートファイター2のアーケードゲームに向かいます。

当時みんなが持っていたスーパーファミコン

我が家にはなかったので、ゲームセンターでスト2が出来るのがとても嬉しかったのを覚えています。

 

私がスト2で遊んでいると、小学校高学年くらいの子が近づいてきました。

知らない男子でした。

自然と、一緒にスト2をやる流れに。

スーパーで一人で時間を過ごすした寂しさがあったためか、はたまた、少し上のお兄さんに遊んでもらっている非日常が楽しかったのか、おそらくその両方でした。

 

見知らぬお兄さんと過ごす時間は楽しく、母のくれた1,000円は、100円玉10枚となって、あっという間にアーケードゲームの中に吸い込まれていったのです。

 

そうこうしているうちに、母が迎えにきました。

母は、すぐに状況がつかめたようでした。

そして激怒しました。震度4以上はあったと思います。

母の1,000円が、見知らぬ別の家族と一緒に遊んだせいで、すぐに消えてしまったことについて怒っているのです。

 

いつの間にか、お兄さんはいなくなっていました。

お兄さんがいなくなって初めて状況がつかめました。私は「よその子」が遊ぶお金も出してしまっていたのです。

お金を使いこんだことは事実。ただ、正直、私はどうしてそこまで怒られなければいけないのか、納得はしていませんでした。

お金を渡したのは母親です。理不尽だとも思いましたが、言い返す術もありません。

複雑な感情をうまく表現できずに、ただ地震が収まるのを待つしかなかったのです。

 

一度、怒り始めると、ピークの怒りが終わっても余震は続きます。

もう収まったかな、と機嫌を伺っていると、まだ怒っている。

 

私は黙りこくったまま、母の横についていました。

母は、「もう二度とお金は渡さない!」と息巻いていました。

私はますます、黙ります。

 

そのまま家路に着きました。

 

帰りの車内、車の振動は母の怒りの地震が今もずっと続いているかのように響いています。

いつもそれほど気にしない、エンジン音が耳につきます。

 

もう、母とは、それまでの関係には戻れないかもしれない。

今思うと大袈裟ですが、その時はそれくらい思い詰めていたと思います。

 

そんな絶望に苛まれていると、母は一言言いました。

 

「今日は何食べる?」

窓の外をずっと見ていた私は、夕陽がもうすぐ沈みそうなのに気づきました。

 

母に怒られたショッピングセンターのゲームセンターは、煌々と輝く白色光でした。

母の怒りは、白く冷たい光とともに、僕の心を突き刺してきました。

 

でも、今は違う。

 

もうすぐ一日の終わりを告げる夕暮れ。

そのオレンジの暖かい光が「今日は何食べる?」の一言とともに私を包み込みました。

 

「今日は何食べる?」は、いつもの日常の言葉でした。

もう、元の関係に戻れないと思っていた私に、日常を取り戻してくれた言葉だったのです。

 

その時、何を食べたいと言ったか覚えていません。

でも、日常を取り戻せたこと、いつもの優しい母が戻ってきてくれたことに涙したような気がしています。

 

母の怒りは天災だと言いました。

同時に母の優しさも自然の息吹だったのです。

まるで、母が声をかけてくれた夕暮れの美しさ、そのものと言ってもいいかもしれない。

母なる大地という言葉があります。

時に天災のように厳しく、時に春の風のように優しく包み込んでくれる。

まさに母親とは、地球そのものなのです。

 

母の怒りは、単なる怒りではなく、私たちを暖かく見守ってくれる。

今回怒られたのも、我が子におかしな金銭感覚に身に付けさせて欲しくない、といった心持ちだったのでしょう。

 

私は、人の機嫌をとろうとして、自分を押し込めてしまうところがあります。

よく怒られる母親に育てられたからだとも思っています。

でも、それは今では悪いことだと思ってなくて、思慮深い人間になれたとポジティブに捉えています。

 

さて、今度は私が子供を育てる番になりました。

私は父親です。母のようにはいかないかもしれません。

そんな中、父親である私に何ができるか、何を与え、何を教えられるのか。

日々追求していきたいと思っています。