ピカソのゲルニカ
中学生時代だったと思います。
「何だ、子どもの落書きじゃん。」
まわりの友達とは、そんな感想を言い合っていたのを覚えています。
ピカソは、言わずと知れた天才画家です。
でも、そんなピカソが書いた絵は、なぜこんなにも評価されるのか分からない、
この絵だったら自分でも描ける、なんて素人からは評価されます。
でも、美術の絵の先生は言っていました。
「実はピカソはちゃんとした絵も描ける」
ピカソは、もともとリアルな絵を描くのも上手だと言うのです。
何でも、「叫び」とか「ゲルニカ」とか誰もが知っている名作は、ピカソが新しく生み出した絵画の表現技法によって作られているというのです。つまりは、上手くも描けるけど、わざとそういう絵の描き方をしているのだと。
その意味で言えば、湯浅政明監督のNetflixオリジナルアニメ「日本沈没2020」も、
もしかすると、ピカソ的なアート作品なのかも知れない。
全10話を完走したとき、そんな感想を抱きました。
脚本のアラは確かに目立つ
正直言って、脚本はガバガバです。
別れても、キャラクターは都合よく合流するし、冗談かと思うくらいに人はあっさりと死にます。謎に登場する宗教団体やおじさんたちはその存在意義がよく分からなかったりします。
どうして、こういう展開になるのか、必然性に欠ける展開は多いです。
後半に行くにつれて、それに拍車がかかります。
それは、やがて物語への興味すら失ってしまいそうになりました。
ロジックでなく感性に訴える
でも、不思議なことに、最終話を見終わったとき、なぜか感情が揺さぶられてしまったのです。
ガバガバなストーリーテリングにもかかわらず、目頭が熱くなってしまったのです。
それはまるで、ピカソの絵を見た時の感覚だったのです。
決して上手いとは言えないピカソの絵。
でも、ゲルニカという作品は、心に訴えかけてきます。
そう、ロジックではなく感性に訴えかける作品。
それが湯浅政明監督なのかも知れません。
私は、この「日本沈没2020」から、新しいアニメ表現を魅せられている気がしました。
もちろん私は、アニメ製作においては素人です。
でも、人並みにアニメや映画は観てきました。だから、これだけは言えます。
「日本沈没」は、今までに観たことのない手触りの作品です。
その秘密は予定調和のないストーリーテリングにあると思います。
予定不調和なストーリー
事実、この日本沈没2020には、予定調和なシーンが一切ありません。
中盤の「宗教団体(のような団体)」のエピソードにそれはよく現れています。
日本が沈没する危機にある中で、ユートピアのような場所が登場します。そこでは、死者の声が聞こえる子どもとその伝達者である母親が教祖で、信者が寝食に怯えることなく、暮らせているのです。
パターン化されたストーリーでは、築きあげたユートピアはまやかしで、その実はカルト教団。信者から、信頼と引き換えに大金を貢いでもらっていた、というオチになりそうなものです。
が、本作はそうにはなりません。
教祖もあくまで一人間としてしか描かれません。ある意味ニュートラルな存在です。
日本沈没のような災害映画でありがちな、死亡フラグもありません。
人は何の予告もなく、さも当たり前かのように死にます。
登場人物も、それを当たり前かのように受け入れます。
これも、ある種の、予定調和をあえて外しているように思うのです。
誰が、正義のyoutuberがカイトに乗って空から舞い降りることを予測できるでしょう。
この予定調和を外し続けた結果として、誰も見たことのない作品になりました。
結果として、それはストーリーのアラと紙一重になったのです。
脚本のアラを単に脚本の欠陥と指摘してしまっていいのだろうか、と言い切れないのです。
というのも、監督は、そんなストーリーのアラなんて百も承知で作品を作っていると思います。
どういう意図だったのでしょう?
きっと災害そのものが予定調和でないもの、だから、災害のアフターに置いても予定調和な展開が一切なかったといえます。
もう一つは、幸せな日常とのギャップです。
幸せな日常は、得手して予定調和な日常です。
毎日朝コーヒーを飲んで、家族とたわいもない会話をする。これこそが予定調和な日常です。
感情が揺さぶられたのは、予定調和なの日常と予測のつかない災害とのギャップです。
感動というのは、日常から離れたところにあります。
毎日飲むコーヒーは、美味しい。それが習慣になっているのなら、そのおいしさは安心と言っていいかも知れません。予定調和なおいしさです。
一方、日本沈没はどうでしょう、とてつもなく、旨味や苦味のエッセンスを抽出したエスプレッソを飲まされた気分です。いつもの安心のおいしさではない。ではないのだけど、しっかりと苦味を感じます。
リアリティさからいったら、後半に行くにつれて、気持ちが離れつつあったと言いました。
ラストのラスト、本作では、日常の尊さを訴えられます。
想像もできない非日常から、想像しうる限り最も幸せだった日常の輝きが眩しくて、でもその日常は戻らないというのに、新しい日常は、なぜか今まで以上に光輝いて見える。
最後にたたみ欠けるように、映し出される希望の物語にめちゃめちゃ前向きな気分にさせられたのです。
それまでひたすら、気持ちが塞ぐ展開が続いてきたというのに、その気持ちは一気に爆発しました。
この感情は見てもらわないと伝わらないものであります。
正直、後になって冷静になってみると、このアニメは万人に進められる映画ではありません。
そもそも、面白いかどうかって、自分の中で答えは出ていません。
でも、間違いなく心は揺さぶられ、何か自分の中で問いが生まれるし、今絶望に苦しんでいる人も、きっとこれを見終わる頃には眼を輝かせているに違いありません。
いつにも増して、何を言っているのか分からないブログになっているかも知れません。
でも、安心してください、何を言っているのか分からないけど、ロジックでなく感性で訴えるのが、この「日本沈没2020」なのです。
それはまるで、ピカソの絵画のように。