「もきゅちゃそさんの人生順調ですね。」
三人目の子供ができた時、職場の後輩に言われた言葉です。
就職し、2年目に結婚。
結婚して、1年後に第一子誕生。
その後、6年の間で昇進も果たしながら、第二子、第三子も生まれる。
確かに、はたから見れば私の人生は順調に見えるかもしれません。
でも一方で「人生順調」という言葉に強烈な違和感も覚えていました。
就職、出産、昇進。
どんなに人生のステージが進んでいたとしても、心の中は満たされない思いでいっぱいでした。
仕事や家族に不満があるわけではありませんでした。
家族はかけがえのない存在です。
仕事で辛い思いをした時、なんとか立っていられたのは、家族のおかげでした。
毎週月曜日、仕事場ではじめにすることは、スマホで家族の写真をみることです。
仕事も、労働時間的にはかなり忙しい方ではあります。
でも、上司や同僚には今のところ恵まれていて、いわゆるブラックなんていう環境ではありません。
でも、心は満たされない。
原因はわかっていました。
自分の時間が取れないことです。
仕事に行き、仕事から帰ってきたら、子供たちのお世話をする。
子供たちを寝かしつけたら、一緒に寝て過ごす。
仕事が忙しいときは、家に帰って、寝るだけ。
休日だって、子供たちがいる間は自分の時間なんてとれません。
本やPCを開こうものなら、子供たちが近寄ってきて、「遊んで」の嵐です。
別に子供たちと遊ぶのが嫌なわけではない。
でも、自分のしたいことが邪魔されるのはストレスでした。
そんな日常を走り続けていると、気がつくことがありました。
一生懸命走っているこの道は、本当に自分が走りたかった道なのか。
確かに、走っていて、忙しくなると、ランニングハイになる。
そんな今の人生にも、それなりの心地よさがある。
お金に困っているわけでも、人間関係に悩まされているわけでもありません。
一方で、本当に自分がしたかったことは、忘れてしまいました。
まだ見つけられていない、と言った方がいいかもしれません。
でも、自分がしたかったことを思い出したとして、分かったとして、
私には、私の人生を止めることはできないと思っていました。
立ち止まって、他の道を探す余裕なんてなかったのです。
安心なこの道を外れ、新たな道を歩むには、オフロードや森に進むしかない。
そのためには、今の仕事や家族に犠牲を払わなければならない。
その勇気が自分にはありませんでした。
自分が進みたい道を進むには、他の何かを犠牲にしなければならない。
そんな気持ちに苛まれていました。
天狼院書店のゼミを、申し込んだのは、2019年の年末でした。
きっかけは、Facebookの広告でした。
天狼院書店のライティング・ゼミは、「人生を変える」をうたっています。
なるほど、人生に悩んでいた私はFacebook広告でターゲティングされていたわけです。
Facebookから飛んだ講座紹介のページ。
講座文にしては、恐ろしく長く、それでいて読ませるその文章に導かれ、
私はごく自然な流れで申し込みページに至っていました。
年末で何かをはじめたいという衝動にも駆られていたのかもしれません。
でも、そのときは気付いていませんでした。
「人生は変わるかもしれない」、と思えるほどの心の変化があることに。
ゼミをきっかけに、自分の人生と、否応なく向き合うことになったからです。
どういうことか?
ライティング・ゼミは主に二つの要素でできています。
一つは、ライティング・スキルを教える講座。
店主の三浦さんが教える講座はわかりやすく、何より、その気にさせます。
回を重ねるごとにのめり込んでいきました。
でも、それはライティング・ゼミの一面に過ぎませんでした。
もうひとつの側面こそが、ゼミの真髄とも言えました。
それは、課題投稿のフィードバック。
もっといえば、課題投稿そのものと言っていいかもしれません。
ライティング・ゼミでは、講座の間、毎週2,000字程度の記事を提出することが求められます。
課題を、ゼミの講師陣が確認、フィードバックされ、公表に値すると判断されたら、天狼院書店のWebページにアップされるというものでした。
私は2ヶ月コースだったので、毎週一回の合計8回、課題を出しました。
毎回、一番の悩みは、「記事のテーマをどうするか」、でした。
記事にするネタに困ったときは、過去に起こった、心が動いた瞬間を記事にしてきました。
私は、知らず知らずのうちに、自分の人生の棚卸しをしていました。
こどもがはじめて自転車に乗れたとき。
大変なイベントを苦労して、達成したときの話。
自分の親を誇りに思ったときの話。
映画を観て感動したときの話。
まるでそれは、自分の人生の総ざらいでした。
課題の提出を通じて、自分の人生と向き合い続けたのです。
その結果、見えてきたものがありました。
育児も
仕事も
趣味も
これまで過ごしてきた自分の人生すべてがとても愛おしいということ。
そして、これからも、この人生を大切にしていきたいと思ったのです。
自分が人生をこれから全うするなかで、何かを犠牲にする必要なんかないと気づきました。
よく、ワーク・ライフ・バランスという言葉があります。
現代に生きる人にとっては、スタンダードな考え方かもしれません。
でも、実はちょっと違和感もあります。
バランスという言葉からは、シーソーのように、どちらかに重きを置いたら、どちらかは軽んじられる、そんなことを連想してしまいます。
仕事に一生懸命な人は、家庭を犠牲にする。
だから、仕事も家庭もほどほどにしましょう。
そんなイメージを、この言葉から受け取ってしまうのです。
でも、私は違うと思った。
ライティング・ゼミの人生棚卸しを経験して思ったのです。
ワークもライフも妥協したくない。
仕事も、趣味も、家庭も育児も一切の妥協をすることなく、人生を充実させていきたい。
仕事か家庭かそのどちらを犠牲にするような、人生にはしたくない、そう強く思ったのです。
どうやってどちらも両立させるの?
自分の時間が取れないことが苦しみの原因だったのでないの?
家庭か仕事かどちらか犠牲にしなくては、自分の時間が取れないんじゃないの?
そう思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも不思議なことに、ワークもライフも妥協しないと決めたその瞬間から、心の持ちようが変わったのです。
その瞬間から、人生はプロジェクト化されました。
それまでは、育児や仕事は嫌な時間。嫌な時間のスキマ時間を作って、自分の趣味に当てていました。
でも、今では、育児も仕事も趣味も人生のプロジェクトの一部となったのです。
嫌な時間からプロジェクトの一部、人生を前に進めるために必要なタスクだとおもえば、心の持ちようは変わります。
やっていることは変わらなくても、その時間の充実具合は変わるのです。
たとえば、子供と遊ぶ時間ひとつとったとしても、どうしたら子供が喜ぶか、考えて遊ぶことで、子供にとっても、大人にとっても、どちらにも有意義な時間に変わりました。
ワーク・ライフ・バランスでなく、
ワークもライフも充実させるワーク・ライフ・プロジェクトに取り組む。
言葉以上にその実践は難しいと思っています。
仕事、育児、趣味を全部充実させようと思ったら、心の持ちようだけではカバーできないこともあるでしょう。
ここまできて、ようやく本題です。
なぜ私がブログを書くのか?
それは、自分自身が、いかにして人生を充実させるか。
その実践の過程をブログでつづることで、みえる化したい。
外からみて人生が順調に見えるだけでなくて、ちゃんと心も満たされたい。
もしかしたら、同じことで悩んでいる人がいるのならば、少しでもその人に参考になれば良い。
そんな思いで、このブログを立ち上げるのに至りました。
自分の人生には、三つのカテゴリーがあると思っています。
それぞれをこのブログで発信してまいります。
一つは趣味。カルチャーライフです。
私が、趣味としている映画や菜園(アグリ・カルチャー)の発信をしてまいります。
私の人生に大きく影響を与えている二つのカルチャーを紹介しながら、皆様にも楽しんでもらえたらと思っています。
二つ目は、育児。
私は現在、三人の子供を育てています。(上から、女、女、男)
働きながら子供を育てるのは大変なことです。
しかも、妻も私も実家が遠く、普段あまり頼りにすることができません。
そんな三人の育児を全うするために、私が実践してきた育児のプロセスや家庭教育の実践を紹介したいと思います。
三つ目は仕事術です。
趣味も、仕事も、育児も妥協しない。
ワークもライフも充実させる。
心の持ちようでそれは実現できるところもあります。
でも、それだけでは、ありません。
ワークもライフも、人生のプロジェクトととなり、ひとつひとつのやるべきことがタスク化されます。
それは、ビジネスの領域になります。
私は人生を回すため、つまり、趣味や育児を回すため、ビジネス書を読み漁りました。
そこで、私が普段の生活で実践している、人生をより効率よく回していくための仕事術も紹介してまいります。
仕事術でできた成果が、趣味や育児の充実となり、本ブログでの記事の発信につながります。
私のワーク・ライフ・プロジェクトはまだまだ発展途上です。
カルチャーを楽しみながら、「口笛を吹くように」毎日を暮らす。
そんな心豊かな生活を送る「Whistle Culture Life」の実践を発信してまいります。