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映画「Mank / マンク」レビュー リッチな映画体験への旅

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Netflix配信にさきがけて、映画「Mank/マンク」が一部劇場で公開されました。

 

デヴィッド・フィンチャー監督の6年ぶりの新作映画とあって、

21時以降の回しか見られなくても、夜に車を飛ばして観ました。

 

 

寝落ちした期待作はフィンチャー史上最も敷居が高かった

 


前評判も高く、期待度も高まっていました。

映画「市民ケーン」制作の舞台裏を描いた作品で予習必須と聞いて、アマゾンプライムで予習もしました。

万全の体制で、望んだつもりでした。

 


が、鑑賞中、完全に寝落ちしてしまいました。

 


もちろん、私が子供中心の生活で、夜遅くまで起きている習慣がないので、

21時以降となると、そもそも眠たいというのはあります。

ですが、それを差し引いてでも、こんなに眠たい映画は久しぶりでした。

 


フィンチャー監督がネットフリックスで好き放題作った結果、観客が置いてけぼりになっていたのです。

いや、置いてけぼりというのは、ちょっと表現が違っているかもしれません。

この映画は、映画に対するリテラシーが相当高い観客向けだったのです。

 


そういう意味では、本作がNetflix配信になっているのも頷けるかもしれません。

一部の映画教養の高い人向けで、そのことをわかった上で、配信の映画を観ることが想定されているのではないか。

映画館の上映スケジュールを眺めて、今日いきあたりばったりで観る作品を決めて臨む作品では全くない、ということなのです。

何も知らずに、本作を選ぼうものなら、「ようこそ眠りの国へ」といった事態になります。

 


いや、私自身も、自分で言うのはなんですが、映画リテラシーはそこそこある方だと思っていました。TBSラジオ宇多丸さんのラジオをもうかれこれ7、8年は聴き続けてきたわけですから。

でも、全然甘かったです。

 


映画「市民ケーン」だけを観て予習したつもりになっていたこと自体が間違いでした。

市民ケーンの背景と言いますか、制作背景、つまり本作のあらすじや登場人物の立ち位置まで知った上で臨むのが、本作の望まれるスタンスだと言ってもいいかもしれません。

 

 

 

そんなに敷居が高くて、しかも知らずに観たら眠りの国に誘われるような作品だったら、駄作ということになるのでしょうか?

 


私はそうは思いません。

本作は睡眠導入映画でありながら、めちゃめちゃリッチな映画体験だと思っています。

こんなリッチな映画はなかなかありません。

不思議な感覚です。あれだけ寝てしまったのに、いや寝てしまったが故に、この映画を攻略したい、つまりはもう一度みたいと思っているのが今の心境だからです。

 


具体的には、どんなリッチさがあるのでしょうか?

それは以下の三つで説明できます。

情報量のリッチさ。

映像表現のリッチさ。

視聴体験としてのリッチさ。

 

情報量のリッチさ


まずは情報量のリッチさ。

これは観た人ならわかると思いますが、本作では延々と会話劇が続きます。

半端のない会話量だと思います。

考えてみれば、デヴィッド・フィンチャー監督の近作はその傾向にあります。

市民ケーンのオマージュといわわれている「ソーシャル・ネットワーク」も会話量が膨大でしたし、ネットフリックスでプロデューサーあるいは一部エピソードで監督としても携わった「マインドハンター」においても、会話がメインの作品を作っていました。

マインドハンターでもそうでしたが、会話は多いけど、無駄な会話が無いんですよね。

常にテーマとリンクしている。

 


それも、本作では、登場人物などの背景を特に会話で説明せずに、「市民ケーン」や「市民ケーン」の背景知識を知っている人でないとわからない会話を平気で入れてきます。

その分、より豊富(=リッチ)な情報量を会話の中に詰め込むことができるんですね。

 


私たちは、話される会話がわかってなくても、話される会話の重要性は想像がつくから、

だからこそ、そこを攻略したい気持ちが湧いてくる。

ついていけなくて、眠気に襲われるのに、ついていきたいと思う。

ついていった先に、リッチな世界、そこに到達できた人にしかわからない喜びがあるかもしれない、そう感じさせてくれるからこそ、もう一度みたいと思わせてくれるんですね。

 

映像表現としてのリッチさ

 

次に、映像表現としてのリッチさもあります。

フィンチャー監督は、元々、絵作りがかっこよくて、人気なところもあります。

なんと言っても、代表作「セブン」のオープニングはめちゃめちゃかっこよかったですし、ドラゴントゥーの女のオープニングも大好きです。

 


今回は、市民ケーンの時代を再現ということもあって、モノクロ作品になっています。

また、映像の雰囲気も、1940年代の質感を意図的に真似ています。

でも、そこで写されている映像というのは、やっぱりフィンチャー印なんですよね。

レトロでありながらも、フィンチャーのクールでバッキバキな表現というのが際立っていると思いました。

特に、モノクロになったことで、光の表現が随所で印象的ですし、噴水の水をかけあうシーンでの水の煌めきが、より際立っていると感じました。

 


音楽も回想シーンでは、ビッグバンドのような、バックで流れるドラムの音が、小気味がよくて、映像を眺めているだけでも、心地よい気分になってきます。(結果寝る。)

 

視聴体験としてのリッチさ

最後に、視聴体験としてのリッチさ。

まずもってフィンチャーの6年ぶりの新作といだけで、ちょっとしたイベント感があります。

このNetflix配信というのが、市民ケーンが生まれた背景とも重なります。

そして期間限定で劇場公開されるのも、そこでの視聴がプレミアな経験につながります。

評論家の皆さんが、こぞって高評価を出していたり、映画「市民ケーン」との視聴経験もセットで語られることで、この「Mank/マンク」を鑑賞することそのものがリッチな体験になっていると思いました。

 

 

 

ここまでこの「Mank/マンク」がいかにリッチな映画なのかを語ってきました。

にもかかわらず、寝落ちしてしまった私。

でも、寝てしまってもいいのです。観ること自体がリッチなのですから。

きっと2回、3回と視聴を重ねたら、その度に発見がある映画だとも思います。

そういった意味でもNetflixでの視聴経験にあっているかもしれません。

 


Netflixでの配信は12月4日。

それまでに、市民ケーンについて調べて万全で備えましょう。

 

 

市民ケーン(字幕版)

市民ケーン(字幕版)

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