Whistle Life

食と農の話題を中心に、日々の雑感をつづります。

ノーラン映画としてのダンケルク・戦争映画としてのダンケルク

すごいクリストファー・ノーランっぽくもあれば、ノーランっぽくなくもある。
戦争映画としては、他と一線を画す。
でもこれが、スタンダードになるかというと、違う気もする。
そういう意味で実験的と言っても良いかもしれない。
 
 
いろいろ手放しでは褒められないけど、強烈に印象に残るし、もう一回観てみたい衝動にもかられる。なんだかモヤモヤとした鑑賞体験となりました。
 

ノーランっぽい映画って?

 
私にとって、クリストファー•ノーラン監督の作品は新作が出たら、観るべきというくらいには好き。
というか、映画好きなら、この人の作品は、観るべしってなるくらいのヒットメーカーになっていると思う。
 
それがどうしてこんな事になったのかな。って思ってる自分がいます。
そもそもノーランっぽいってなんだろう。
 
時にバカバカしすら感じるSF設定も、リアルで深刻で大きなスケールの絵作り、演出で観るものを圧倒させる。それが僕なりに感じたノーラン映画の印象です。
 
ダークナイトシリーズやインセプションでは、そのあたりのバランスが良いし、
特に近作のインターステラーでは、物語のスケールと映像美のスケールがピタリとハマって大きな感動を生み出していたように感じています。
 

ノーラン映画としてのダンケルク

 
今回のダンケルクがどうか。
映像は相変わらず文句のつけどころがない。特に砂浜での逃げ惑う軍は、スケール感を感じさせて良かった。
ただ今回の見所は映像でなく、音だと思う。
今回多く指摘されているところだけど、音の演出が良かった。
鈍い鉛の音が、ずっしりと腹にのしかかる。是非映画館で聞いてもらいたいと思いました。
ハンスジマーの劇伴も良かった。
ずーっっと裏で時を刻む秒針のリズムは、なかなか中毒性があると思う。
 
特に、冒頭の市街地からのダンケルクの浜辺までのあの一連の流れは素晴らしくて、それだけで映画館に来て良かったーって感じさせてくれました。
 
その後も脱出劇が続きますが、正直ここからやや単調に感じられてしまいます。
主人公たちの行動は常に説明がされないので、おいてきぼりをくらうし、脱出しようとしては襲撃されて右往左往するのをひたすら見せられる感じに加え、敵軍の姿が描かれないので、真に差し迫った感じがしない。
 
敵軍は去った、と思ったら急襲とか。
敵軍がこちらに気付く気付かないのサスペンスとか。
そのあたりのメリハリがなく単調に感じたのかなぁと考えています。
 
ノーランの過去作では、ひとつの映画の中でたくさんのアイデアがあったけど。
今作ではスケールの大きな映像と音の演出。それが全てだったようにも感じました。
 
 
もう少し、根本の話をすれば、戦争という史実と、ノーランっぽいリアル志向SF・ファンタジーという絵作りと食い合わせが悪かったのかなぁって思います。
実際過去作でも、脚本で粗を指摘されたりして、そこまで巧妙ではない部分がみられましたが、SFあるいはファンタジーが故にその圧倒的映像で許されていた感はあります。
 
史実は当然リアル。ノーランの世界観はリアル志向だけどSFファンタジー。
SFファンタジーであったからこそ、許されていたものが、現実の史実となると、そうはいかなかったのかとも感じています。
 
このことは、次の問いに繋がっていくと思います。
ここまでノーラン映画としてのダンケルクを評しました。では、戦争映画としてはどうなんでしょう?
 

戦争映画としてのダンケルク

 
結論的には、プライベートライアンを観た時の衝撃がこの映画では感じられませんでした。
よく言われるのは、ダンケルクには、ドラマが無い。
それもそうだけどドラマ以上にリアルが無いとも思いました。
それが、プライベートライアンとの違い。
 
戦場シーンは悲劇的な描写含めてリアルだったけど、ダンケルクには、映像の迫力や音の凄さはあったけど、何かこう現実離れした感がありました。
 
そこで、実際にダンケルクでは、映画内で悲劇が起こっているのにどこか現実の無さを与えているのかもしれません。
 
 
感情移入の出来ない理由に、ほとんど説明がされないというのもあるかも知れません。
プライベートライアンが高いドラマ性とエンターテインメント性を両立させてたのは、登場人物のキャラ設定や戦闘シーンのキャラ配置の妙と言えます。
本作ではそのあたりのキャラ設定と位置関係の整理がないがために、戦闘シーンもただ逃げ惑うというだけで、明確なカタルシスが生まれ得なかったのかもしれません。
 
 
少し辛口のコメントが続きましたが、実はこれまでの、説明のされなさや、敵軍が見えないとかは、ノーランの意図してのことだと思います。
 
訳も分からず、戦争に放り出され、いつ何処から襲われるか分からないという、実際の戦争の体感映画としてみると、一定説明はつきそうだけど、それがうまくノーランの資質と合っていなかったのかなって。
 
でもやっぱり、あの中毒性のある映像美と音の演出にずっと浸っていたい、という意味で新たな映画体験って言わざるを得ない気もするから、やっぱりノーランってなってしまいます。
 
本当にノーランって常に賛否両論あるよね。って話でした。
 

 

ダンケルク (ハーパーBOOKS)

ダンケルク (ハーパーBOOKS)

  • 作者: ジョシュアレヴィーン,武藤陽生
  • 出版社/メーカー: ハーパーコリンズ・ ジャパン
  • 発売日: 2017/09/08
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログを見る
 

 

人生をともに歩んだミスチルの25周年・DOME&STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving25 8/12

5年ぶりのツアー参戦期待と不安

ミスチルのライブに行ったのは、SENSEのスタジアムツアー以来。

ここ最近のミスチルは、Reflection以降のセルフプロデュースや全て生音のホールツアーなどいろいろ目が離せない。

そこに25周年のツアーときたらこれは参加しなくては。

というわけで5年ぶりの参戦です。思えば子供ができてからは初参戦。

 

8月5日(土)奇しくも前回参戦と同じ長居ヤンマースタジアムです。

5年ぶりということで大変期待していたのですが、一方で不安もありました。

25周年、配信限定のベスト盤も出ているという状況下、おのずとそのセットリストはシングルなど往年の名曲が並ぶであろうということ。

それはそれでちょっと物足りないのではないかという懸念です。

 

ミスチルの名曲は、好きすぎて耳にタコができるほど聞いている曲もあるわけで、さらに直近のホールツアーでは普段ならあまりライブで演奏されないマイナー曲も披露されていたと聞き、参加できた人を羨望していたということもあって、聞きすぎた名曲で楽しみ切れるかという不安があったのです。

 

名曲だからこその魅力が詰まった贅沢な3時間

 

結論から言います。

そんなしょうもない懸念をして本当にごめんなさい。

今回のツアーは名曲揃いだからこその魅力が詰まった往年のミスチルファンにとっては夢のような3時間でした。

 

改めてツアーに参加し、感じたこと。

それはミスチルの曲は良い・悪いを超えた僕の人生そのものだということ。

青春時代をミスチルと過ごしてきた私にとっては、1曲1曲ごとに自分が当時過ごしていた場所や付き合っていた友人、恋人、その時自分が感じていた感情などが心の景色として思い起こされるのです。

 

数年前ベスト盤が出た時に、音源全部持っているのに購入してしまったことを思い出しました。

それはもう音源そのものに価値はなくて、思い出のアルバムを見返すような思いで手に取っていたのです。

 

ですから今回のツアーはミスチルが25周年を記念すると同時にファン一人一人の、「ミスチルと共に歩んで○○周年記念」でもあると思ったのです。

つまり、今回のようなヒットソングが並べられたセットリストは、ミスチルと共に歩んだ人生を思い起こさせる本当におっさん泣かせのセットリストだと感じました。

 

今でこそ冷静に文章に落とし込んでいますが、それはもう3回くらいライブ中泣きましたから。

 

それではここで、セットリストは他のサイトでも公開されているので、ハイライトとなった楽曲だけレポートしたいと思います。

 

2曲目 シーソーゲーム

どうしたって盛り上がる楽曲。特に映像演出としてエルビス・コステロ風のMVを同時に流す憎い演出。青春ど真ん中だしこの時点で泣ける。

 

5曲目 Sign

個人的に思い入れのある楽曲。大学時代、オレンジデイズの主題歌と聞いて1話目を観たらそのままハマってしまったのを思い出しました。

 

10曲目 Simple

桜井さんのMCが印象的でした。この曲がメンバーに歌うように語ってきた。

おそらくミスチルにとっても、ミスチルの一楽曲ではなく、本人たちを離れて楽曲そのものが力を持って逆にミスチルに影響を与えるというかそんなことを思わされました。

 

弾き語りでシンプルに歌詞を映す演出も良かったです。

 

14曲目 1999年、夏、沖縄

中盤のハイライトとしてこの楽曲を挙げる人は多いのではないかと思います。それぐらいこれは良かった。

「知らない人もいるかもしれないけれど、自分たちに取って大事な楽曲」

なんといっても聞きどころは、「そして2017年、大阪」からの途中の語りMC部分

10周年を振り返る下りがあるけれど、自分にとってもミスチルの10周年はファンになって年数が浅いこともあって、その盛り上がり方にピンと来ないところがあったけど、その時は違う。幾度となくミスチルに助けられたことか。

観客のみんな全員がミスチルと歩んできたこの10年、20年、25年に思いを馳せていたのではないでしょうか?

思いを共にする最高の瞬間だったと思います。

 

 

20曲目 掌 〜 23曲目 エソラ

掌は個人的にとても思い入れのある楽曲。自分が一番ミスチルにはまっていた時期であり、傑作「It's A Wonderful World」を聞きまくって新曲に飢えていた時期で、ラジオで初めて流れたのを聞いた時になんてかっこいい曲だ!って思って本当に印象に残っている曲です。

2017年の今聞いても、ミスチル史上最高に格好いい曲だと思う。

 

そこからの怒涛の展開は本当に最高に上がりっぱなしで、1999年、夏、沖縄のしんみりモードから一転本当に楽しかった。

 

光の演出も本当に綺麗で印象的でした。

 

ラスト 終わりなき旅

やはり最後はこの楽曲。

あんまり過去ばかり振り返ってノスタルジーに浸ってるんじゃなくて、明日からまた頑張ろうって思わされる最後の泣き楽曲です。

 

まとめ

いつものオリジナルアルバムを提げたライブでは、コンセプトに基づいた演出や構成がされていました。

それはカッコよくて、世界観に没入出来るという意味で毎回その“しかけ”を楽しみにしてたのですが、今回はまさに感謝祭ともいうべき、ある意味ミスチル等身大のライブで、なんとなくいつもよりご本人達もこの「感謝祭」を楽し

んでいるような気がしました。

 

これからも末長く、活躍してもらいたいと心から願うライブとなりました。

ああ、次に参加できるのはいつだろうか。

 

 

LIVE Blu-ray Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012

LIVE Blu-ray Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012

 

 

 

《映画における農業表現》おおかみこどもの雨と雪

 

 

見終わった後、じーんといつまでも心に余韻が残り続ける大傑作です。

 

しかしながら実はこの映画、ものすごく絶妙なバランスの映画です。

一歩間違えれば完全にキレイゴト映画ですし、この映画に対する批判の多くはそういう部分、つまり、美化されたストーリーにあるのではないかと考えています。

 

ここでは<映画における農業表現>という記事になるので、この映画の農村風景がメインで描写される、田舎に引っ越した後から小学校入学前くらいのシーンを中心にみていきたいと思います。

ただ、正直このあたりの農村描写自体も美化されすぎていると指摘がある部分ではあります。つまり、こども二人(しかも半分おおかみ)を抱えたシングルマザーが身寄りのない田舎にイキナリ引越し、こんなに上手く行くはずない。ご都合主義だ、と。

 

まず、私個人の意見としては、確かにキレイゴトだと思われる微妙さはあるけれども、おそらく入念な取材により、裏打ちされているであろう農村のリアル表現とロジカルなストーリー展開、演出によって、見事にバランスを取りきっていると考えています。

 

実際にいくつか見ていきましょう。

① 人里離れた廃屋に住むか?

 普通イマドキの若い子はこんな人気のなくて蜘蛛や蛇が出てきそうなおどろおどろしい廃屋に住まないでしょう、というツッコミについては、オオカミ子供を二人抱えていており、できるだけ一目に触れないところで住みたい、いや住まなければならない、という物語上の必然性で以って回答できるといえるでしょう。

 この部分について、ちゃんと町の職員も「こんなとこ住むわけないよね、次行こう」ってな具合にツッコミをいれております。そう、この映画ちゃんと観客がツッコミいれそうなところをちゃんと映画内でツッコむとともに、それに対してアンサーも用意しているというところが見事だと思います。

 

②  急にいろいろ優しくしてくれるおじちゃんたち

 これも①と同じですが、花が急に農村民たちに受け入れられていく描写はなんともご都合主義的に映るかもしれませんが、これもきちんと映画内でアンサーが出ています。

そう韮崎のおじちゃんですね。韮崎のおじちゃんは農家のなかでのリーダー的存在として描かれており、花に急にいろいろ教えてくれたおじちゃんたちも韮崎のおじちゃんがけしかけたものです。

 実はこのリーダーに認められると農村全体で認められるというのは本当に実情に即した部分であります。農村というのは良くも悪くも閉鎖的ですから、リーダーの存在というか意見は絶対です。たとえ良き理解者が一人いたとしても、リーダーに認められていなければ、打ち解けることができません。その意味で映画はご都合的に見えるかもしれないですが、実は超リアルな描写なのです。

 そのあたり、映画ということで表現の時間が限られており、どうしても花の打ち解けがトントン拍子に見られてしまうのはもったいないところです。花自身も韮崎のおじさんに認められるまでには相応の時間がかかっていることは映画内の時間経過に目を凝らせば理解できます。

 

③ 獣害あるある

 あともう一点、農村全体が獣害で悩まされているという表現もきちんと描かれていたのがリアルでした。獣害というのは確かに日本全国どこでも被害にあっていると思って良いです。そしてこの獣害こそが、農村部で就農したいと考える若者にとって大きなハードルになっていたりもします。

 その部分も映画ならではの設定で、解決しています。映画ならではというのはリアルではあり得ない設定です。明示はされていないのですが、雨と雪がするオオカミのオシッコによって獣害を避けることが可能となっているのです。

 そして獣害回避⇨じゃがいも収穫⇨さらに農村で受け入れられるきっかけに!という好循環が出てくるのですね。

 

 そのほかにも農家によってコダワリが違うとか、ひとつひとつが丁寧な描写でかつ物語上の課題解決にロジカルに作用しているので、綺麗ごと臭く無くすっと胸に入ってくるのですね。

 

 はしょられてるけどきちんと花は苦労しており、オオカミコドモという映画ならではの設定で解決しているということを踏まえると、田舎暮らしそんなに甘くないぞ!という批判はあまり当てはまらないのかという気がします。

 

 今回は農村描写ばかりをつらつらと書きましたが、実はこの映画語っても語り尽くせないほど語りたい内容が充実しています。そういう語れる映画が大好きな私にとって、この映画は最高すぎるというわけです。

 

 

《映画に見る食農表現》サイドウェイ、ワインづくりは人生そのもの

今回ご紹介する映画は「サイドウェイ

2004年公開のアメリカ映画です。

 

人生期の黄金期を過ぎた、さえない中年男性二人による寄り道(サイドウェイロードムービー

学校の先生をしながら小説家を目指しているバツイチ・マイルス、友人ジャックの結婚式を前に、ワインとゴルフ三昧の旅に出ます。旅先では破天荒なジャックに振り回されながらも、素敵な出会いもありつつ・・・。

 

対照的な男二人のダメダメぶりが笑えるんだけれども、でもそこに愛着わくのは、過去の栄光にすがったり、いつまでも夢を捨てられずにいたり、別れた彼女との復縁を願い色々と妄想したり、とそのどれもが、誰もが心の奥底に持っているものとして、共感できるからでしょう。

 

映画を通して、成長とまではいかないけれども、ほんの少しだけ前向いて歩き出していく、そんな主人公たちの姿を通じて心が染み入る感情になる良作でしょう。

 

そして、なんといっても本作を特徴づけるのは、ワインの存在です。

ワインがきっかけで主人公とヒロインは出会うし、物語上の小道具として活用されるだけでなく、ヒロインの口からも語られますが、そもそも本作のテーマとワインづくりと重ねられています。

さらに、映画には多くの実在のワイナリーが登場します。この実在というところが臨場感というか、親近感に一役買っているのは確実です。

うわー、ワインの旅に行きたい!と全然ワイン素人である私に思わせる自体凄いことだと思います。

 

 

さて、この映画ではワイナリーとともに、ワイン畑も風景として多く登場します。

どこか様子がおかしいと思いませんでしょうか?

映画のシーンではありませんが、似たような風景を下に掲載します。

 

f:id:mqchaso:20170320165355j:plain

 

 

みなさんブドウ畑と聞いて何を想像するでしょう?

頭上一面にブドウのツタが張り巡らされて、そこにブドウの房が垂れ下がっている。

おそらくは下のような写真を想像するのではないでしょうか。

 

f:id:mqchaso:20170320165411j:plain

 

これはブドウの用途による違いになります。

前者は醸造用、つまりはワイン用のブドウ品種の畑。

後者は生食用、そのままフルーツとして食べる用の畑です。

 

実は日本では、栽培される8割は生食用ですが、世界全体でみるとなんと8割が醸造用品種となっているそうです。したがって、日本では生食用のブドウ畑の様子が、親しみある風景として頭に残っているのですが、世界的に見たら、ぶどう畑といえばこの風景なのですね。

 

この違いというのはブドウの栽培方法の違いによります。日本のブドウは生食なので、一房一房手間暇かけて作ります。したがって作業しやすいように天井からぶらさげるような形で実をつけさせる「棚仕立て」の形を取るんですね。一方でワイン用のブドウ畑は「垣根仕立て」と言います。おそらくこちらは比較的大規模に栽培する際の作業効率を考えられたものだと思われます。

 

せっかくなのでワイン用のブドウ品種の特徴をもう一点。

映画の中にもワイン用のブドウそのものの姿が登場しますが、日本のものと比べてかなり一粒一粒が小さいのが分かると思います。

これも生食と違ってあまり一粒一粒の大きさを気にする必要がないからでしょうか。

意外なのはワイン用のブドウ品種は実は糖度がかなり高いということ。

甘さを追求する必要もなさそうなものですが、ワインというのはブドウの糖分を使ってアルコール発酵させるので、糖分が必要なんですね。

ちなみにワイン用のブドウを生で食べられるかというと別の話で、ワイン用のブドウは糖度も高いですが、酸味もきついので、やはり生食には向いていないと言えます。

 

映画をきっかけにいろいろと勉強になったり、発見があったりするのは面白いですね。

 

企業の農業参入〜実は農業と親和性高い建設業編〜

 

 企業が農業に参入する。

毎日農業関連のニュースを目を通すと、この手の記事は本当に多いです。

 

今回からシリーズで不定期に企業の農業参入についての事例を紹介します。

ひとくちに企業の農業参入といってもその参入の仕方や思惑は割と多様です。

多様な農のあり方を認めることは私たちの人生の選択肢を増やす事にも繋がるので、私自身は、割と企業参入に賛成の立場です。

 

増える農業参入

 

さて、初めに企業の農業参入についての状況を見ておきましょう。

農水省がまとめてくれています。

 

企業等の農業参入について:農林水産省

 

もともと農地というのは農地法で守られていて、企業からの参入は限定的でしたが、平成21年の法改正により、農地の賃貸借が全面的に可能になりました。

その影響からか、改正前436件だったのが、現在は2,222件まで参入法人が増えています。実に5倍ですね。

規制緩和になり、急速に参入が進んでいることが分かります。

 

 

ところで、どんな企業が農業に参入しているのでしょうか。

どうも建設業による参入が多く、その割合は30%を超えるようです。

 

業界トップはもっぱら植物工場

 

どんな事例があるのか、まず業界TOP3(業界動向サーチ)の状況を見てみましょう。

業界3位 鹿島建設

www.kajima.com

 

植物工場に関する技術。特に植物工場の「建設」というところで関わっているようです。サービス内容を見ているととりわけ医薬品用、漢方用の薬用植物の植物工場に力を入れています。

実績として研究用の遺伝子組み換え植物用の工場も建てています。

農地を取得していないという意味では、本当の意味での「参入」と言えるか実は微妙だったりします。

 

業界2位 大成建設

www.taisei.co.jp

 

こちらも植物工場への支援がメインとなっているようです。

注目すべきは、建設そのものだけでなく、事業化を支援。つまり、ハードもソフトもコ支援するというところで総合的なコンサルティングを目指しているようです。東京農業大学との連携もしており、本気度がみてとれます。

 

 

業界1位 大林組

www.obayashi.co.jp

 

大林組は、他の二つと明確に違うのは、自社で生産事業まで乗り出していること。

また、植物工場では大手のスプレッドと事業提携していること。農業そのものに「本格」参入している事例と言えます。

 

 

これまで、どちらかというと業界でもTOP3に入る業界の事例を紹介してきました。

いずれも大規模な植物工場で参入していることが多く、大手ゼネコンならではの大規模な建設技術を生かしての参入になるのでしょう。

一方で、建設業というのは裾野が広く、各地域経済を支える業態としても大小様々な企業が存在しているのも確かで、そういった中小企業においても農業参入は進んでいます。

 

 

なぜ、建設業が参入するのか

 

初めに参入する法人の30%以上が建設業だと言いました。

建設業が農業に参入する理由は大きく分けて二つだと思っています。

 

① 建設業自体の不況

建設業の大きな収益源となる公共事業が、バブリーな成長時代と違って、明らかに減っていることがやはり大きいと思います。単純な土木事業だけでは、企業としての成長はおろか、現在抱える雇用を確保することも難しくなってきます。

それで建設業の強みを生かして、新たな収益事業を確保する必要があるのです。

大手になればなるほど、様々な分野に参入し、模索している様子が伺えます。

 

② 農業と建設業の親和性の高さ

 

一見別々の事業に見えますが、実はこの二つは親和性が高いのです。

というのも、そもそも農家自体に建設業を営んでいるケースが多い。兼業農家は冬場の農閑期に建設業で稼ぐということをやっていることが非常に多いのです。

建設業で必要な土木技術は、農機具の扱いを筆頭に流用できる技術でもあります。

農業というのは、牧歌的なイメージを抱く方が多いかもしれませんが、意外に機械や土木技術が必要なのです。

 

 

以上、建設業が参入する概況を見てきました。

本当に成長する産業として農業は魅力的なのか。もしかしたら、建設業界自体がピンチで藁をもすがる気持ちで参入してるケースもあるやもしれません。

とは言え、そうしたピンチが新しいサービスを生むと言えるので今後の動向にも注目したいと思っています。

 

《映画にみる食と農》種まく旅人 くにうみの郷

 

一次産業を応援する映画シリーズ「種まく旅人」。

シリーズ第2弾の「くにうみの郷」は、淡路島が舞台でオールロケ淡路のご当地映画となっております。

 

 

種まく旅人 くにうみの郷 [DVD]

種まく旅人 くにうみの郷 [DVD]

 

 

この映画実は農林水産省の後援で製作されています。

ですから、ストーリーも農林水産省の官僚である主人公が、「一次産業の現場を見てこい」と言って地域調査官として派遣されるところから物語ははじまります。

 

このはじまりかたからして、若干、いやかなり不安を感じました。

現場を知らないエリート官僚が、実際の現場、生産者との交流を通じて成長する。そんな紋切り型の映画のカタチが想像されます。

 

半分その予感が当たりますが、半分は外れますが、そのハズレかたが何とも。

 

というのも、基本的に海彦・山彦の物語。つまり、山で農業を営む兄と、実家を出て海で漁師を営んでいる弟の兄弟の確執への話へとシフトしていきます。

え、正直栗山千明要る?って感じになります。

しかもその確執を解くのも自力、先祖から受け継がれてきた玉ねぎの原種の存在です。

え、栗山千明要る?って感じです。

 

かいぼりの復活の話も、なんだか兄弟問題以外は順風満帆に見えるし、なんなら兄弟が和解しなくても、かいぼり自体は出来るし・・・。

というか実際お兄さんいなくても、かいぼりできてたし、何あのみんなの説得は一体なんだったんだろうか感が激しいわけです。

 

さすがに一次産業をテーマにしているだけあって、農業の厳しさを率直に表現できていると思います。

特に綺麗な海では良い海苔は育たない。

イケイケだった桐谷健太の玉ねぎの契約栽培が破談になるという危うさ。

かいぼりの泥だらけの作業。

農業を、美化しすぎていない点については好感が持てました。

 

しかしながら、それもトリビアで終わっていると思う。

篠原哲雄監督は、前に評論した「深呼吸の必要」では農作業と主人公の心情が割とリンクしていただけに、そこは残念。

農業を直接的に表現している映画としては稀有ですが、映画的表現という点では色々とツッコミどころがある一作でした。

 

 

 

《映画にみる食と農》沈黙 サイレンス 原作のエッセンスを忠実に再現した心揺さぶる大傑作

今回はマーティン スコセッシ監督の最新作「沈黙 サイレンス」を観ました。

 

あのハリウッドの巨匠が日本の文学を映画化すると聞いて興味がわき、鑑賞しました。

恥ずかしながら、自分自身は「沈黙」という作品を知りませんでした。

 

大体いつものパターンは、原作未読の映画の場合、映画を観て、興味が湧いたら小説や漫画も読むというスタイルをとっていました。今回は、原作小説から作品に触れることにしました。

というのも今回の映画は、159分と上映時間が長いうえに、潜伏キリシタンとか信仰とか守備範囲外のストーリーを、予備知識無しで鑑賞するのに耐えられないと思ったからです。

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

 

とはいえ、一方で懸念もありました。原作から読むと自分の中でイメージが固まって、映画観た時にギャップがあると、どうしても楽しめなくなってしまいそうだから。

というのがいつものスタンスです。

 

原作のエッセンスを忠実に再現した心揺さぶる大傑作でした。

 

ただ、、、、 

結論からいうと、全くの杞憂でした。

なぜなら、今作は遠藤周作の原作を実に忠実に再現しています。

いや、再現どころか深みを与えてすらいます。

元々力のある原作なのですからそれはすごいと思いました。

 

歴史の話で、しかも原作自体も古く、現代に生きる私たちにとっては、小説ではイメージ、解釈しきれない部分がたくさんありました。しかし、そこにちゃんと答えを与えてくれた気分です。たとえば、キリシタンへの拷問シーンはやはり小説でははっきりとしたイメージが出来ない部分が、迫力あるシーンとして描かれていました。

 

つまり、原作に忠実ながら、映画ならではの見せ場がちゃんとエンタメとして成立しているのです。

 

さらに、原作にあった問題提起の本質を抑えていて、ちゃんと観るものに訴えかけます。この物語の特有のすべての人物に善悪を色分けされておらず、その言動に「理」があることも実によく表現されていて、これは文字通り演じる役者陣の素晴らしさといえます。

キチジローも井上筑後守も通辞役、フェレイラも全て奥行きのある役所を、それぞれ小説が持っていた微妙なニュアンスを実に見事に表現されていました。

キチジローの、表層的にはすげえ下劣な役なんだけど、その弱さゆえの行動に説得力があるし。筑後守も一方的な悪に描かれていない。ちゃんと「理」を持った対応が表現されている。

そしてフェレイラ、そのそれまでの苦心を全て表情だけで演技仕切るのはすごいと思った。

いちいち指摘してたらキリがないほど見事でした。

 

全編にわたって「心」が揺さぶられる名作だと思いました。

 

少し寂しいのは食農表現に乏しかったこと

 

ただ、唯一残念だったのは、一応このブログは食と農に関するブログということで、この映画には数々の農民(百姓)が出てきますが、その生活が描かれていないことです。

原作ではわりと食事表現を中心に、その様子が記載されています。映画ではそれが、ほぼなくて、隠れて信仰しているという部分しか見せられなかったので、当時の農民の暮らしそのものはわかりかねる内容になっていました。

 

例えば原作では以下のような表現があります。

富裕な百姓でさえ、日本人の上層階級がたべる米を年に二度、口に入れるだけなのです。普通は芋と大根という野菜などが彼等の食物で飲料は水をあたためて飲みます。

 

家屋はほとんどが藁で屋根を覆い、不潔で悪臭がみちています。牛や馬をもつ家はトモギ村では二軒しかありません

 

地味のうすい土を丁寧に耕し、古い石垣で区わけした山畠は信徒たちの貧しさをはっきり感じさせます

 など主に農民の貧しい暮らしぶりが描かれます。

これはもしかすると物語の本質ではないかもしれません。

映画ではよりエッセンスに表現するため省略しているのかもしれません。

(映画でも干し魚のくだりやキュウリのシーンは残っていてそこから農民の暮らしを慮ることは可能かもしれません。)

 

ただ、幕府によるキリシタン弾圧下に加えて、厳しい年貢の取り立てが、逆に農民の中の結束感を増し、こうした厳しい現実への反動として、神への信仰という思いを、農民の中で強くさせたのかもしれない、と想像することも出来ると考えています。