Whistle Life

食と農の話題を中心に、日々の雑感をつづります。

〈映画にみる食と農〉シェフ 三ツ星フードトラックはじめました。

 

今回紹介する「シェフ」は、普段愛聴しているTBSラジオ番組「ウィークエンドシャッフル」のムービーウォッチメンの課題映画になっていたこともあり、気にはなっていました。ただ、アメリカの移動販売(フードトラック)ということであまり興味を持ちづらい分野でもあり、ちょっと観るのを敬遠しておりました。

 

しかしながら、観て見ると本当に幸せな気分になれる傑作でした。

陽気なグルメ映画でありながら、、

大人になった自分の仕事への向き合い方も真面目に考えさせられもしました。

 

本作の監督であり、主演でもあるジョン・ファブローの、「自分の気持ちにどこまでも素直である」という姿勢にとにかく勇気づけられたような気がします。

 

移動販売を始めるきっかけとなったグルメブロガーとの対決では、割と率直に「傷ついた」と言っており、ある種可愛らしい、というかどこまでも人間臭く描いていて良かった。なんというか感情の起伏の人間っぽさに親しみを覚えました。

 

息子との関係性も良かった。学校だか迎えに遅れた埋め合わせに、二人で行った遊園地よりも、グルメの話を父親とする方が子供にとっては嬉しい。そのあたりの、父親の働き方と子供との関係がうまくシンクロしていくのも良かった。

何よりも、フードトラックを新しく始める時のあのワクワク感はたまりません。

そのワクワクに華を添えるのは、やはりBGMでしょう。多国籍感溢れるBGMは自然と心が踊ります。

 

ちょっと移動販売になってからは、トントン拍子すぎて、もう少し葛藤があっても良かったかな、と思いましたが、観終わった後にはどこまでも前向きで清々しさを残すという意味ではこのバランスで良かったのかな、と思いました。

フードトラックをはじめるときに元同僚が手伝ってくれるのですが、そんな無償で手伝ってくれる人なんかいるかな?って思ってしまいます。

が、そんなことを指摘するのは野暮ってもんだ。ってな具合のポジティブさがこの映画には溢れています。

明るい音楽と楽しそうな料理シーンで、一貫した前向きさや幸せ感が良いと思ったんです。

 

食と農に関するところで言えば、まずはやっぱり料理シーン。手際よく、テンポの良い音楽に合わせて、生み出される料理はどれも美味しそうなものばかり。

 (でもジョン・ファブローの恋人のシーンはカッコつけすぎな気もする笑でもそれこそ愛らしい)

 

市場のシーンでは、日本との違いも表現。いわゆるマルシェの感じって日本には無いですよね。(同じ品目の野菜がどーんと並べられている。)

日本の市場では基本的には小売していないと思うのでこの辺りは、やはり文化の違いなのでしょうか。

 

あとは最後はキューバサンド。映画を観た人の誰もが、作って観たいと思うのでは無いでしょうか。それを知ってか公式サイトでは監修レシピが公開されています。

 

料理って、作る側も食べる側も何か根源的な人の喜びを表現するような。

あとはなんか、結末を見るにつけ、本当にすべての人に寛容なアメリカを感じさせられもしました。

 

凡庸な表現だけど、明るく前向きになれる一作です。アメリカ行ってみたいな。

 

 

 

 

ドラクエ11 おっさん泣かせの感動ゲーム体験

ドラクエ11プレイした。

プレイ直後は、各種レビューを漁りまくったし、友達がいれば、あーでもないこーでもないといつまででも語れそうなあまりに感動的なゲーム体験となりました。

 

クリアから少し経って、この感動をちょっとずつ言葉にできるようになったので、二週目をちまちまとプレイしながら、この記事を書くことにしました。

 

まずは、各所でさんざん言われていることではありますが、とにかくストーリーが秀逸すぎるということ。

ベロニカの件とか、クリア後の展開とか、真エンドとかそういうのはもちろん鳥肌ものだけど、脚本の素晴らしさ以上に、ストーリーテリング上の演出や構成が本当によく出来ていると思いました。

ドラクエってこんなドラマチックな展開のあるシリーズだっけ?そんなことを思わされた本作でした。そう思わせるのは間違いなく、ゲーム演出上のイベントシーンの表現力の向上であると思う。

ドラクエって2Dだから良い。だから綺麗なグラフィックは要らないって評価されることが多い。でも本作をプレイすれば、そんなことはないって気づかされます。しかも、表現力が向上しても、ちゃんとドラクエらしさが残っているのがこれまた素晴らしかったです。

いや、ここにきて「ドラクエらしさ」を表現する環境がようやく整ったとすら思えてきます。

この感じでドラクエ5のパパスが死ぬシーンとか、観たらヤバイよね。

 

あともう一つは、仲間キャラの掘り下げ。

これまでにここまで仲間キャラを掘り下げ、一緒に旅している感が出てるドラクエがあったでしょうか??

感心なのが、仲間キャラの掘り下げエピソードが、メインストーリーを妨げないカタチで演出されているところです。妨げないどころか、メインストーリーの中心になっています。

それは、仲間キャラが単なる旅するお友でなく、本作のメインテーマである「勇者」を支える存在として描かれているのに他ならないと感じています。このあたりの設定の素晴らしさもお見事だったと言えます。

 

ストーリーの語られ方も今までのドラクエにはない演出がされていました。それは伏線張りです。また一度立ち寄った街にも、あとでもうひとつエピソードが用意されているなど、「後回し」とも言える伏線エピソードが数多く用意されています。

一本道でありながら、多くの伏線によって、ストーリーへの興味が持続される。今までありそうでなかったストーリーテリングだと感じました。

 

とにかくストーリー周りの脚本、演出、設定どれをとっても本当に秀逸でいつままでも語れそうな勢いです。

 

過去作へのセルフオマージュについても触れておきます。本作はかなりたくさんのセルフオマージュで、彩られています。それは時に過剰であると批判されていますが、おっさんプレイヤーとしては単純に嬉しいし、もうそれはドラクエだけが許される、ドラクエだからこその演出とも言えるわけです。

だから全然OKです。

ただ、もうひとつ言いたいのは、確かにセルフオマージュは多いけれど、だからといってイレブンそのものの魅力が劣るわけではないということです。確かに真エンド自体は過去作クリアしていないとピンとこないかもしれませんが、それ以外は彩りを加えているというだけで、全く問題ありません。単作としても十分成立しているる面白さであると断言出来ます。

 

バトル、システム面についても少しだけ。

 

バトルは確かに中盤は非常にヌルいし、雑魚敵が本当に雑魚。

過去作にあったモンスターによっても、雑魚敵での緊張感 は薄れていたように感じます。しかしながら、最終盤までいくと、しっかりレベル上げていないと辛いですし、ボス戦においてはドラクエならではの戦略をある程度やりごたえを持って楽しめました。

成長システムも、非常に古臭いシステムですが、誰のどの武器にスキルを振っていくか、ゲームをしていないときでも悩まされたし、最近の非常に複雑化した成長システムに比べ、シンプルで逆に楽しめた気がします。

 

はっきり言ってここまで手放しで褒めたたえることの出来るゲームも珍しいです。

本当に次作はどうなるんだろうか?と悩む一方で、過去作をこのクオリティでリメイクしたら、一生楽しめるなって感じる次第です。

 

 

 

 

 

 

 

エイリアン:コヴェナント 初代エイリアンオマージュ満載だけど全く違い味わいの現代エイリアン

 

 

エイリアンシリーズは大好きで、特に初代エイリアンは至高だと思っています。

 

ネタバレ全開で今回のエイリアンコヴェナントの感想をネタバレ全開でお届けします。

 

壮大なテーマのエイリアン

 

そして今回、エイリアン コヴェナントを観て、あれ?エイリアンってこんな荘厳なスケールの話だっけ?と打ちのめされている次第です。

 

冷静に考えるとエイリアンもプロメテウスも観ていない人が観たら結構暴動が起きるレベルの内容だと思います。

 それは、本シリーズ初見の人は、予告編を見るに、主人公が生き残るかどうかのサスペンスを期待しているからだと思います。

一方で、この物語は創造主と人間とアンドロイドの話なんです。もっというと前作プロメテウスから引き続き登場するデヴィッドの話です。

ですから、エイリアンもプロメテウスも観てから望むべきです。

 

面白いところは、基本的に初代エイリアンと同じストーリーライン(生き残れるかどうかのサバイバル)でありながら、全く別の味わいを帯びているということ。

その味わいが、とにもかくにもマイケル•ファスベンダー演じるデヴィッド一人の存在感で生み出されているということです。

出汁が濃すぎて、やばいということです。

 

特にデヴィッドとウォルターの演じ分けは素晴らしかったですね。

最後の最後コヴェナント号にエイリアンが侵入していた時の彼のニヤリが最高でしたね。

 

デヴィッドで言えば、今回エンタメ性がさらに増して、デヴィッドの行動原理が分かりやすくなっています。というより、本作を観てから、プロメテウスを見返すとより分かりやすいと思います。

そういう意味でもやはり、初代エイリアンとプロメテウスは必見です。

今回の冒頭のウェイランドとデヴィッドとのやりとりは、プロメテウスに登場させても良かった内容かな、と思ったぐらいです。(しかしながら、前作は創造主と人間、今作は人間とアンドロイドと微妙にテーマが異なっているのでそのまま持っていっても厳しいかもしれません)

 

安定のサバイバルシーン

 

初代エイリアンオマージュが激しい今作はもちろん、お約束とも言えるサバイバルシーンは安定の面白さでした。

最初のドタバタは本当にドタバタで、結構みんなクルーがバカとかいう評価も多いけど、そら知らない世界であんなことが起きたらパニックにもなりますわってことは思います。(でも知らない星で、ヘルメット一つせず外に出たことはやっぱりおかしいと思うけど)

 

全く容赦が無いというか勝てる気がしない展開なのも好印象でした。

 

絶望の産声。

良いキャッチコピーだと思います。

この映画、ハナから最後まで絶望だらけで、主人公たちは基本的に酷い目ばかりあいます。

神の力の前に全くなすすべが無いという絶望を味されます。

ようやく一矢報いたと思ってあのラストですから、本当に意地悪な映画笑

 

テーマが一段階上がったことで、容赦のなさとかご都合主義とかそのあたりのストーリー上の整合性の厳密さを求めさせない一種神話的・寓話的アプローチは、現代的でもあり、成功だっと思います。その分、安心して楽しめましたから。

 

というわけで結構個人的には今年どハマりの大好き映画だったんで、少し興奮気味にお届けしました。

 

 

エイリアン:コヴェナント (角川文庫)

エイリアン:コヴェナント (角川文庫)

 

 

 

 

 

 

ノーラン映画としてのダンケルク・戦争映画としてのダンケルク

すごいクリストファー・ノーランっぽくもあれば、ノーランっぽくなくもある。
戦争映画としては、他と一線を画す。
でもこれが、スタンダードになるかというと、違う気もする。
そういう意味で実験的と言っても良いかもしれない。
 
 
いろいろ手放しでは褒められないけど、強烈に印象に残るし、もう一回観てみたい衝動にもかられる。なんだかモヤモヤとした鑑賞体験となりました。
 

ノーランっぽい映画って?

 
私にとって、クリストファー•ノーラン監督の作品は新作が出たら、観るべきというくらいには好き。
というか、映画好きなら、この人の作品は、観るべしってなるくらいのヒットメーカーになっていると思う。
 
それがどうしてこんな事になったのかな。って思ってる自分がいます。
そもそもノーランっぽいってなんだろう。
 
時にバカバカしすら感じるSF設定も、リアルで深刻で大きなスケールの絵作り、演出で観るものを圧倒させる。それが僕なりに感じたノーラン映画の印象です。
 
ダークナイトシリーズやインセプションでは、そのあたりのバランスが良いし、
特に近作のインターステラーでは、物語のスケールと映像美のスケールがピタリとハマって大きな感動を生み出していたように感じています。
 

ノーラン映画としてのダンケルク

 
今回のダンケルクがどうか。
映像は相変わらず文句のつけどころがない。特に砂浜での逃げ惑う軍は、スケール感を感じさせて良かった。
ただ今回の見所は映像でなく、音だと思う。
今回多く指摘されているところだけど、音の演出が良かった。
鈍い鉛の音が、ずっしりと腹にのしかかる。是非映画館で聞いてもらいたいと思いました。
ハンスジマーの劇伴も良かった。
ずーっっと裏で時を刻む秒針のリズムは、なかなか中毒性があると思う。
 
特に、冒頭の市街地からのダンケルクの浜辺までのあの一連の流れは素晴らしくて、それだけで映画館に来て良かったーって感じさせてくれました。
 
その後も脱出劇が続きますが、正直ここからやや単調に感じられてしまいます。
主人公たちの行動は常に説明がされないので、おいてきぼりをくらうし、脱出しようとしては襲撃されて右往左往するのをひたすら見せられる感じに加え、敵軍の姿が描かれないので、真に差し迫った感じがしない。
 
敵軍は去った、と思ったら急襲とか。
敵軍がこちらに気付く気付かないのサスペンスとか。
そのあたりのメリハリがなく単調に感じたのかなぁと考えています。
 
ノーランの過去作では、ひとつの映画の中でたくさんのアイデアがあったけど。
今作ではスケールの大きな映像と音の演出。それが全てだったようにも感じました。
 
 
もう少し、根本の話をすれば、戦争という史実と、ノーランっぽいリアル志向SF・ファンタジーという絵作りと食い合わせが悪かったのかなぁって思います。
実際過去作でも、脚本で粗を指摘されたりして、そこまで巧妙ではない部分がみられましたが、SFあるいはファンタジーが故にその圧倒的映像で許されていた感はあります。
 
史実は当然リアル。ノーランの世界観はリアル志向だけどSFファンタジー。
SFファンタジーであったからこそ、許されていたものが、現実の史実となると、そうはいかなかったのかとも感じています。
 
このことは、次の問いに繋がっていくと思います。
ここまでノーラン映画としてのダンケルクを評しました。では、戦争映画としてはどうなんでしょう?
 

戦争映画としてのダンケルク

 
結論的には、プライベートライアンを観た時の衝撃がこの映画では感じられませんでした。
よく言われるのは、ダンケルクには、ドラマが無い。
それもそうだけどドラマ以上にリアルが無いとも思いました。
それが、プライベートライアンとの違い。
 
戦場シーンは悲劇的な描写含めてリアルだったけど、ダンケルクには、映像の迫力や音の凄さはあったけど、何かこう現実離れした感がありました。
 
そこで、実際にダンケルクでは、映画内で悲劇が起こっているのにどこか現実の無さを与えているのかもしれません。
 
 
感情移入の出来ない理由に、ほとんど説明がされないというのもあるかも知れません。
プライベートライアンが高いドラマ性とエンターテインメント性を両立させてたのは、登場人物のキャラ設定や戦闘シーンのキャラ配置の妙と言えます。
本作ではそのあたりのキャラ設定と位置関係の整理がないがために、戦闘シーンもただ逃げ惑うというだけで、明確なカタルシスが生まれ得なかったのかもしれません。
 
 
少し辛口のコメントが続きましたが、実はこれまでの、説明のされなさや、敵軍が見えないとかは、ノーランの意図してのことだと思います。
 
訳も分からず、戦争に放り出され、いつ何処から襲われるか分からないという、実際の戦争の体感映画としてみると、一定説明はつきそうだけど、それがうまくノーランの資質と合っていなかったのかなって。
 
でもやっぱり、あの中毒性のある映像美と音の演出にずっと浸っていたい、という意味で新たな映画体験って言わざるを得ない気もするから、やっぱりノーランってなってしまいます。
 
本当にノーランって常に賛否両論あるよね。って話でした。
 

 

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人生をともに歩んだミスチルの25周年・DOME&STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving25 8/12

5年ぶりのツアー参戦期待と不安

ミスチルのライブに行ったのは、SENSEのスタジアムツアー以来。

ここ最近のミスチルは、Reflection以降のセルフプロデュースや全て生音のホールツアーなどいろいろ目が離せない。

そこに25周年のツアーときたらこれは参加しなくては。

というわけで5年ぶりの参戦です。思えば子供ができてからは初参戦。

 

8月5日(土)奇しくも前回参戦と同じ長居ヤンマースタジアムです。

5年ぶりということで大変期待していたのですが、一方で不安もありました。

25周年、配信限定のベスト盤も出ているという状況下、おのずとそのセットリストはシングルなど往年の名曲が並ぶであろうということ。

それはそれでちょっと物足りないのではないかという懸念です。

 

ミスチルの名曲は、好きすぎて耳にタコができるほど聞いている曲もあるわけで、さらに直近のホールツアーでは普段ならあまりライブで演奏されないマイナー曲も披露されていたと聞き、参加できた人を羨望していたということもあって、聞きすぎた名曲で楽しみ切れるかという不安があったのです。

 

名曲だからこその魅力が詰まった贅沢な3時間

 

結論から言います。

そんなしょうもない懸念をして本当にごめんなさい。

今回のツアーは名曲揃いだからこその魅力が詰まった往年のミスチルファンにとっては夢のような3時間でした。

 

改めてツアーに参加し、感じたこと。

それはミスチルの曲は良い・悪いを超えた僕の人生そのものだということ。

青春時代をミスチルと過ごしてきた私にとっては、1曲1曲ごとに自分が当時過ごしていた場所や付き合っていた友人、恋人、その時自分が感じていた感情などが心の景色として思い起こされるのです。

 

数年前ベスト盤が出た時に、音源全部持っているのに購入してしまったことを思い出しました。

それはもう音源そのものに価値はなくて、思い出のアルバムを見返すような思いで手に取っていたのです。

 

ですから今回のツアーはミスチルが25周年を記念すると同時にファン一人一人の、「ミスチルと共に歩んで○○周年記念」でもあると思ったのです。

つまり、今回のようなヒットソングが並べられたセットリストは、ミスチルと共に歩んだ人生を思い起こさせる本当におっさん泣かせのセットリストだと感じました。

 

今でこそ冷静に文章に落とし込んでいますが、それはもう3回くらいライブ中泣きましたから。

 

それではここで、セットリストは他のサイトでも公開されているので、ハイライトとなった楽曲だけレポートしたいと思います。

 

2曲目 シーソーゲーム

どうしたって盛り上がる楽曲。特に映像演出としてエルビス・コステロ風のMVを同時に流す憎い演出。青春ど真ん中だしこの時点で泣ける。

 

5曲目 Sign

個人的に思い入れのある楽曲。大学時代、オレンジデイズの主題歌と聞いて1話目を観たらそのままハマってしまったのを思い出しました。

 

10曲目 Simple

桜井さんのMCが印象的でした。この曲がメンバーに歌うように語ってきた。

おそらくミスチルにとっても、ミスチルの一楽曲ではなく、本人たちを離れて楽曲そのものが力を持って逆にミスチルに影響を与えるというかそんなことを思わされました。

 

弾き語りでシンプルに歌詞を映す演出も良かったです。

 

14曲目 1999年、夏、沖縄

中盤のハイライトとしてこの楽曲を挙げる人は多いのではないかと思います。それぐらいこれは良かった。

「知らない人もいるかもしれないけれど、自分たちに取って大事な楽曲」

なんといっても聞きどころは、「そして2017年、大阪」からの途中の語りMC部分

10周年を振り返る下りがあるけれど、自分にとってもミスチルの10周年はファンになって年数が浅いこともあって、その盛り上がり方にピンと来ないところがあったけど、その時は違う。幾度となくミスチルに助けられたことか。

観客のみんな全員がミスチルと歩んできたこの10年、20年、25年に思いを馳せていたのではないでしょうか?

思いを共にする最高の瞬間だったと思います。

 

 

20曲目 掌 〜 23曲目 エソラ

掌は個人的にとても思い入れのある楽曲。自分が一番ミスチルにはまっていた時期であり、傑作「It's A Wonderful World」を聞きまくって新曲に飢えていた時期で、ラジオで初めて流れたのを聞いた時になんてかっこいい曲だ!って思って本当に印象に残っている曲です。

2017年の今聞いても、ミスチル史上最高に格好いい曲だと思う。

 

そこからの怒涛の展開は本当に最高に上がりっぱなしで、1999年、夏、沖縄のしんみりモードから一転本当に楽しかった。

 

光の演出も本当に綺麗で印象的でした。

 

ラスト 終わりなき旅

やはり最後はこの楽曲。

あんまり過去ばかり振り返ってノスタルジーに浸ってるんじゃなくて、明日からまた頑張ろうって思わされる最後の泣き楽曲です。

 

まとめ

いつものオリジナルアルバムを提げたライブでは、コンセプトに基づいた演出や構成がされていました。

それはカッコよくて、世界観に没入出来るという意味で毎回その“しかけ”を楽しみにしてたのですが、今回はまさに感謝祭ともいうべき、ある意味ミスチル等身大のライブで、なんとなくいつもよりご本人達もこの「感謝祭」を楽し

んでいるような気がしました。

 

これからも末長く、活躍してもらいたいと心から願うライブとなりました。

ああ、次に参加できるのはいつだろうか。

 

 

LIVE Blu-ray Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012

LIVE Blu-ray Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012

 

 

 

《映画における農業表現》おおかみこどもの雨と雪

 

 

見終わった後、じーんといつまでも心に余韻が残り続ける大傑作です。

 

しかしながら実はこの映画、ものすごく絶妙なバランスの映画です。

一歩間違えれば完全にキレイゴト映画ですし、この映画に対する批判の多くはそういう部分、つまり、美化されたストーリーにあるのではないかと考えています。

 

ここでは<映画における農業表現>という記事になるので、この映画の農村風景がメインで描写される、田舎に引っ越した後から小学校入学前くらいのシーンを中心にみていきたいと思います。

ただ、正直このあたりの農村描写自体も美化されすぎていると指摘がある部分ではあります。つまり、こども二人(しかも半分おおかみ)を抱えたシングルマザーが身寄りのない田舎にイキナリ引越し、こんなに上手く行くはずない。ご都合主義だ、と。

 

まず、私個人の意見としては、確かにキレイゴトだと思われる微妙さはあるけれども、おそらく入念な取材により、裏打ちされているであろう農村のリアル表現とロジカルなストーリー展開、演出によって、見事にバランスを取りきっていると考えています。

 

実際にいくつか見ていきましょう。

① 人里離れた廃屋に住むか?

 普通イマドキの若い子はこんな人気のなくて蜘蛛や蛇が出てきそうなおどろおどろしい廃屋に住まないでしょう、というツッコミについては、オオカミ子供を二人抱えていており、できるだけ一目に触れないところで住みたい、いや住まなければならない、という物語上の必然性で以って回答できるといえるでしょう。

 この部分について、ちゃんと町の職員も「こんなとこ住むわけないよね、次行こう」ってな具合にツッコミをいれております。そう、この映画ちゃんと観客がツッコミいれそうなところをちゃんと映画内でツッコむとともに、それに対してアンサーも用意しているというところが見事だと思います。

 

②  急にいろいろ優しくしてくれるおじちゃんたち

 これも①と同じですが、花が急に農村民たちに受け入れられていく描写はなんともご都合主義的に映るかもしれませんが、これもきちんと映画内でアンサーが出ています。

そう韮崎のおじちゃんですね。韮崎のおじちゃんは農家のなかでのリーダー的存在として描かれており、花に急にいろいろ教えてくれたおじちゃんたちも韮崎のおじちゃんがけしかけたものです。

 実はこのリーダーに認められると農村全体で認められるというのは本当に実情に即した部分であります。農村というのは良くも悪くも閉鎖的ですから、リーダーの存在というか意見は絶対です。たとえ良き理解者が一人いたとしても、リーダーに認められていなければ、打ち解けることができません。その意味で映画はご都合的に見えるかもしれないですが、実は超リアルな描写なのです。

 そのあたり、映画ということで表現の時間が限られており、どうしても花の打ち解けがトントン拍子に見られてしまうのはもったいないところです。花自身も韮崎のおじさんに認められるまでには相応の時間がかかっていることは映画内の時間経過に目を凝らせば理解できます。

 

③ 獣害あるある

 あともう一点、農村全体が獣害で悩まされているという表現もきちんと描かれていたのがリアルでした。獣害というのは確かに日本全国どこでも被害にあっていると思って良いです。そしてこの獣害こそが、農村部で就農したいと考える若者にとって大きなハードルになっていたりもします。

 その部分も映画ならではの設定で、解決しています。映画ならではというのはリアルではあり得ない設定です。明示はされていないのですが、雨と雪がするオオカミのオシッコによって獣害を避けることが可能となっているのです。

 そして獣害回避⇨じゃがいも収穫⇨さらに農村で受け入れられるきっかけに!という好循環が出てくるのですね。

 

 そのほかにも農家によってコダワリが違うとか、ひとつひとつが丁寧な描写でかつ物語上の課題解決にロジカルに作用しているので、綺麗ごと臭く無くすっと胸に入ってくるのですね。

 

 はしょられてるけどきちんと花は苦労しており、オオカミコドモという映画ならではの設定で解決しているということを踏まえると、田舎暮らしそんなに甘くないぞ!という批判はあまり当てはまらないのかという気がします。

 

 今回は農村描写ばかりをつらつらと書きましたが、実はこの映画語っても語り尽くせないほど語りたい内容が充実しています。そういう語れる映画が大好きな私にとって、この映画は最高すぎるというわけです。

 

 

《映画に見る食農表現》サイドウェイ、ワインづくりは人生そのもの

今回ご紹介する映画は「サイドウェイ

2004年公開のアメリカ映画です。

 

人生期の黄金期を過ぎた、さえない中年男性二人による寄り道(サイドウェイロードムービー

学校の先生をしながら小説家を目指しているバツイチ・マイルス、友人ジャックの結婚式を前に、ワインとゴルフ三昧の旅に出ます。旅先では破天荒なジャックに振り回されながらも、素敵な出会いもありつつ・・・。

 

対照的な男二人のダメダメぶりが笑えるんだけれども、でもそこに愛着わくのは、過去の栄光にすがったり、いつまでも夢を捨てられずにいたり、別れた彼女との復縁を願い色々と妄想したり、とそのどれもが、誰もが心の奥底に持っているものとして、共感できるからでしょう。

 

映画を通して、成長とまではいかないけれども、ほんの少しだけ前向いて歩き出していく、そんな主人公たちの姿を通じて心が染み入る感情になる良作でしょう。

 

そして、なんといっても本作を特徴づけるのは、ワインの存在です。

ワインがきっかけで主人公とヒロインは出会うし、物語上の小道具として活用されるだけでなく、ヒロインの口からも語られますが、そもそも本作のテーマとワインづくりと重ねられています。

さらに、映画には多くの実在のワイナリーが登場します。この実在というところが臨場感というか、親近感に一役買っているのは確実です。

うわー、ワインの旅に行きたい!と全然ワイン素人である私に思わせる自体凄いことだと思います。

 

 

さて、この映画ではワイナリーとともに、ワイン畑も風景として多く登場します。

どこか様子がおかしいと思いませんでしょうか?

映画のシーンではありませんが、似たような風景を下に掲載します。

 

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みなさんブドウ畑と聞いて何を想像するでしょう?

頭上一面にブドウのツタが張り巡らされて、そこにブドウの房が垂れ下がっている。

おそらくは下のような写真を想像するのではないでしょうか。

 

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これはブドウの用途による違いになります。

前者は醸造用、つまりはワイン用のブドウ品種の畑。

後者は生食用、そのままフルーツとして食べる用の畑です。

 

実は日本では、栽培される8割は生食用ですが、世界全体でみるとなんと8割が醸造用品種となっているそうです。したがって、日本では生食用のブドウ畑の様子が、親しみある風景として頭に残っているのですが、世界的に見たら、ぶどう畑といえばこの風景なのですね。

 

この違いというのはブドウの栽培方法の違いによります。日本のブドウは生食なので、一房一房手間暇かけて作ります。したがって作業しやすいように天井からぶらさげるような形で実をつけさせる「棚仕立て」の形を取るんですね。一方でワイン用のブドウ畑は「垣根仕立て」と言います。おそらくこちらは比較的大規模に栽培する際の作業効率を考えられたものだと思われます。

 

せっかくなのでワイン用のブドウ品種の特徴をもう一点。

映画の中にもワイン用のブドウそのものの姿が登場しますが、日本のものと比べてかなり一粒一粒が小さいのが分かると思います。

これも生食と違ってあまり一粒一粒の大きさを気にする必要がないからでしょうか。

意外なのはワイン用のブドウ品種は実は糖度がかなり高いということ。

甘さを追求する必要もなさそうなものですが、ワインというのはブドウの糖分を使ってアルコール発酵させるので、糖分が必要なんですね。

ちなみにワイン用のブドウを生で食べられるかというと別の話で、ワイン用のブドウは糖度も高いですが、酸味もきついので、やはり生食には向いていないと言えます。

 

映画をきっかけにいろいろと勉強になったり、発見があったりするのは面白いですね。