三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ

仕事も趣味も育児も妥協しない。週末菜園家が、三児の子どもたちを育てながら、家事と仕事のスキマ時間を創って、映画や農業で心豊かな生活を送るブログ

子育て中の読書は電子書籍よりも紙の本が良い理由

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私は現在3人の子供を育てています。

育児も仕事も趣味も妥協しない。スキマ時間をみつけては趣味の読書をする日々です。

 

スキマ時間での読書としたら、電子書籍一択。

ずっとそう思っていました。

でも、最近になって、実は紙の本の方もいける。

いや、むしろ、子育て中は紙の本の方が読みやすいくらいなんじゃないかと思っています。

 

今日は、電子書籍派だった私が紙の本に戻ってきた理由をお話しします。

 

スキマ時間の読書に電子書籍は必須ツールだと思ってた

電子書籍は当初革命的だと思っていました。

こんなに便利な機能なのに、電子書籍で読まない理由がないくらい、だと。

 

元々電子書籍で本を読もうと思った理由は、子供の存在が大きかったと思います。

 

子供を育てていると、なかなかまとまって本を読む時間をとることは出来ません。

家事の合間や子供が一人遊びに集中している時を見計らって読みます。

 

我が家の子供は人形遊びが大好きです。

3人のうち、上二人が女の子なのもおおきいかもしれません。よく、おうちごっこ遊びに集中しています。

そうなったら、大人の入る余地はありません。

ここぞとばかりにスマホ電子書籍を取り出して、本を読みます。

 

とはいえ、子供たちもずっとごっこ遊びを続けているわけではありません。

ふと思い出したかのように、父親の方に寄ってきて、遊びをせがんだりします。

 

なるべく、子供から求められたら対応するようにしているので、本当に読書だけでまとまった時間を確保するのは難しいです。

 

そんな中で電子書籍の存在は確かに、素晴らしいものでした。

スマホで購入して、そのまま読めますから。

子育て中だけでは、ありません。いつでもどこでも本を読むことが出来ます。

例えば、仕事に行った時の昼休憩の合間に読むことも出来ます。

昔はテーマパークに行っていたときも、長蛇の列に並びながら本を読んでいたこともあります。

 

スマホさえあれば読めるわけで、持ち歩きコストもなくなりました。

せっかく読もうと思っていたのに、カバンに入れておくのを忘れた、なんてこともなくなりました。

電子書籍アプリの機能で、マーカーを引くことができるのも地味に便利。

マーカーを持ち歩く必要もなくなりました。

マーカーした場所は、後で一覧で表示させることもできます。

 

要は電子書籍はいいことづくめで、アマゾン徘徊していて、電子書籍とリアルな本選べるとしたら、ほぼ確実に電子書籍を選んでいるほどでした。

 

電子書籍がいいっていうのは、今でも変わっていません。

いまだに、たまに電子書籍で読んだりすることだってあります。

 

それでも紙の本を見直すようになった理由

それでも最近は、紙の本を見直すようになってきました。

特に、3人目が出来てからというもの、紙の本で読むことが圧倒的に増えたのです。

 

子供が増えて、子育て中のスキマ時間を埋める読書では紙の本の方が案外有利であることに気が付いたのです。

 

一番大きな理由は、子供たちのスマホへの執着です。

スマホは子供にとって、害悪であることはわかっているので、普段そんなに子供たちにスマホを触らせているわけではありません。

 

でも、大人が子供の目の前でスマホをいじる。それ自体はなかなか避けることが出来ません。

子供にとって、スマホというのは刺激の多い、手のひらのテーマパークです。

いろんなアトラクションが詰め込まれているのです。

それが、子供にもわかっているので、私がスマホをいじっていると、

「何やっているの?」と子供たちが近づいてきます。

つまり、スマホでの読書体験では、子供たちからの妨害にあう可能性が高いのです。

そればかりか、子供の前でスマホを触らない、子供にスマホの存在を気づかれないという点でもあまり良くないことに気が付きました。

 

その点、紙の本は優れています。

紙の本で読んでいると、驚くほど子供たちは興味を持ちません。

子供にとっては、イラストさえなければ、ただの紙と文字の羅列です。

漢字が読めない子供にとって、本は、暗号文に近い存在です。

 

さらに、大人が読書をしていれば、子供たちがもう少し大人になったときに、一緒に読書して読書習慣が根付いてくれるきっかけにならないか、とも期待しています。

 

電子書籍では、今みているのが、本なのか、ネットなのかもわかりませんからね。

今、大人が読んでいるのが「本」ってわかってもらえる、という意味でも紙の本を選択することにしたのです。

 

それだけではありません。

 

電子書籍には誘惑に溢れている

電子書籍は手のひらのテーマパークと言いました。

実は大人にとっても、そうです。

スキマ時間を埋めようと思って、スマホを手にとります。

すると、ついついいつもの癖でSNS等を開いてしまいます。

スマホは誘惑が多すぎて、純粋な読書体験から離れてしまうことがあります。

紙の本で読むときは、あえてスマホは手の届かないところに置いておいた方が良いくらいです。

読書に集中するためには、なるべく視界に余計な誘惑が入らないように工夫する必要があるのです。意外と、スマホでの読書体験は、スキマ時間でスマホをいじって、そのスキマ時間で本を読むということになってしまいますので、多くの読書時間を確保しにくい気がしています。

 

スマホの中にあると存在を忘れる

あと、スマホの中に本があるとついついその存在を忘れてしまうことがあります。

Kindleアプリを使っているため、所有する本のリストをみるには、アプリを立ち上げます。

逆に言えば、アプリを開かなければ、本を確認できません。

そんなことだから、本を忘れてしまうことがあるのです。

 

Kindle本はアマゾンであまりにも簡単に買えてしまうので、とりあえずクリックしたのは良いものの、そのまま積読状態になっていまうことがあります。

積読だったらまだマシだったのかもしれません。

私は、Kindleにしばらくアクセス出来ていない日が続いて、こんな本いつの間に買ってだんろうという経験があります。

 

いつでも読める、は意外といつもは読みません。

 

一方で、紙の本は、当たり前だけど、リアルな存在としてあります

いつも我が家では、今読んでいる本は、玄関に置いてます。

すると、そこにある本が気になるのです。

早く読んでしまいたい気分になります。

また、今後読みたい本も玄関に置いてます。そのせいで、どんどん本は積まれていきます。

まさに積読です。

積読は、積まれてこその積読です。

 

仕事に行く前。帰ってから。

嫌でも目につくその本を攻略しなければ、次に進めない。

そんな思いが、スキマ時間をつくるモチベーションにもなるのです。

 

スマホというのは、便利で楽しい。

でも、便利で楽しい分、人間はそれに甘えてしまいます。

子どもにとってもそれは誘惑になります。

 

紙の本は、持ち歩くには不便だし、重みもあります。

野武士のような存在感の紙の本が、子どもを寄せつけず、またストイックな読書体験を提供してくれるのかもしれません。

 

3児の父が実践してきた子どもが狂ったように喜ぶ体遊び3選

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我が家では、これまで3人の子供たちを育ててきました。

長女のレイちゃんは6歳、アスカは4歳、末っ子シンジ君は1歳9ヶ月です。

 

3人の子供たちと遊んでいると、大体どんな遊びが好きか分かってきます。

もちろん、子供によってそれぞれ好き嫌いはありますが、今日は、我が子3人ともがめちゃめちゃ喜んできた体遊びを紹介します。

 

同じ遺伝子を持つとは言え、我が子3人、それぞれ個性があります。

3人とも楽しんできた遊びなら、世間の子供たちにとっても、きっと喜ばれるだろうと思います。

 

と言っても、そんな大した遊び方ではありません。

むしろ、いろんな育児書にのっているようなことかもしれません。

 

でも、そんなシンプルな遊びが意外と定着するものです。

 

今回、三つの遊びを紹介しますが、本当にこれ、面白いくらいに喜びます。

 

でも体遊びとなると心配なのが、体力の問題です。

子供があまりに喜ぶので、もう一回やって、もう一回やって、の嵐です。

そうなると、体力が持ちません。子育てパパなら誰もが経験のあることでしょう。

でも、安心してください。

 

今回三つの遊びを紹介しますが、比較的体力を使わない遊びもあります。

コスパの良い体遊びです。

 

 

対象は一応3歳くらいまでかな、と思っています。

でも、長女のレイちゃんだって、今でも喜ぶのは喜びます。

その代わり、大人の体がついてきません。

小学生ともなると体重が大きくなってきますから。

 

大人が対応できるのが3歳くらいまでというイメージでしょうか。

 

 

⒈ 飛行機ブーン

 

これはコスパの高い遊びです。

コスパの高いというのは、親がかける体力を少なく、でも子供が喜ぶ遊びです。

親は寝転びながらできるので、体力的にはまだマシです。

 

実は、我が家では、これは妻の専売特許です。

私もできなくは無いが、難しいのです。

 

親が、まず寝転びます。

子供の両手を握って、親の足の裏に子供の体をお腹のあたりで乗せてそのまま足を上げて、

高い高ーい。をするわけです。

 

「ブーン、ブーン、飛行機ブーン」

と掛け声をかけてあげると効果大です。

まだ幼い頃だと、喜びすぎて、よだれがタラーっと垂れてくるので、口元がゆるい子は注意が必要です。

 

要はこれは高い高いの進化形と言って良いかもしれません。

 

でも、体幹とか足腰が鍛えられてないと、うまくバランスをとるのが難しいかもしれません。

最終的に足の裏だけで子供の身体を受け止めます。

これが私にとっては、体のバランスを崩して、子供を落としてしまいそうになります。

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飛行機ブーン



 

でも、安心してください。

今まで説明したのは、フライハイバージョンです。

 

ちゃんと、低空飛行バージョンがございます。

足の裏に子供の身体を乗せるのでなく、足の膝から下全体で子供の身体を受け止めるのです。

そうすると、広い範囲で受け止めるので、バランスが取りやすいのです。

でも、フライハイバージョンに比べると、どうしても、飛行機の高さが低くなってしまいます。

 

やっぱり、たかいたかーいなので、子供からしたら高い方が喜ぶんですね。

だから飛行機ブーンは、我が家ではバランス感覚に優れた妻の専売特許になっているのです。

 

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飛行機ブーン 低空飛行



2.人工バウンサーおよび人工リクライニングチェア

 

これは今日紹介するなかで最も、親の負担が少ない遊びかもしれません。

でも、不思議と子供たちは喜びます。

なんでこんなことでって感じもしますが、喜んでくれるし、大人も楽なので、仕事帰りで疲れたけど、子供と遊んであげたいって時にはおすすめの体遊びです。

 

まず、寝転びます。

膝を立てます。子供に膝を背もたれるような形で体にまたがって座ってもらいます。

ウイーンと言いながら、立てた膝を真っ直ぐに伸ばしていきます。

伸ばし切ったら、ガチャンと言います。

 

要はリクライニングチェアです。

リクライニングの動きを早めたり、遅めたり、テンポよく動かすことで、子供はすごく喜びます。

 

なんでこの遊びが生まれたか、と言いますと、元を辿れば、乳児の頃からの遊びです。

まだ腰が座っていなかったり、体がしっかりしていない頃の遊びなのです。

もっとも、赤ちゃんの時はこう呼んでいました。

人工バウンサーです。

 

赤ちゃんがぐずった時のゆりかごみたいなものです。

我が家には、バウンサーがなかったので、子供を膝の上に乗せて上下していたわけです。

 

それもわりと効果がありました。ところが実はこの人工バウンサー、乳児期を過ぎて、幼児になってからも、それで遊ばせると喜ぶことがわかりました。

 

人工バウンサー自体は、どちらかというと揺らす動きだったので、小刻みにリズムよくでした。

でも、幼児になると、もう少しダイナミックな動きが要求されるのです。

 

だから、バウンサーからリクライニングに変更です。

そう言えば、子供のころ、自分もマッサージチェアで無駄に起こしたり、倒したりして親に怒られていた気もします。なので、さながらこの遊びは人工リクライニングチェアと呼べるでしょう。

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人工リクライニングチェア

3.この子は要らない子

 

 

最後に紹介する遊びは、一番体力を使う遊びです。

子供の年齢も少し大きくなってからの遊びになります。

 

でも、その分、子供の喜び方も尋常ではありません。

ケラケラと高い声をあげます。

 

やることは簡単です。

子供をお姫様抱っこして、ブラブラと揺らすだけです。

ポイントは揺らす時のかけ声がある点です。

かけ声というよりは、唄に近いものがあります。

 

「この子は要らん子。隣の山に放ってやるぞー。」

と言って、最後は本当にどこかに放り投げる勢いで、振り子の振り幅を大きくするような感じで、子供を揺らします。

 

この歌の歌詞がポイントだけあって、ある程度言葉が理解できるようになってから遊んであげるとすごく喜びます。

子供がふざけている時に子供を捕まえてこの遊びをすると、ストーリー仕立てになってより効果的だと思います。

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この子はいらん子



実はこの遊びは、私自身が子供の時に父親に遊んでもらっていた遊びです。

今から思えば自分が楽しかった記憶が結びついて、子供にも遊んであげようと思ったのでしょう。

こうやって、遊びっていうのは親から子へと受け継がれていくのだなぁと感じています。

考えてみれば、「隣の山に放る」というのが、ひと昔前の考え方ですよね。

さて、今日は我が家で3人の子供たちが遊んできた体遊びを紹介してきました。

こうしてみると、普段何気なく家で遊んでいる遊びにもそれぞれストーリーがあるなと感じました。

 

もしかしたら、子育て世帯はそれぞれに、親から受け継いだ遊びや、発明した遊びを持っているのかもしれません。

もちろん、今日紹介した遊びが全てではないので、参考にしていただきながら、自分オリジナルの体遊びを開発して見てはいかがでしょうか?

 

映画「AI崩壊」感想レビュー 溢れるマイノリティ・リポート感、シン・ゴジラ要素が欲しかった一作

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2002年に公開された映画「マイノリティー・リポート」という映画をご存知でしょうか?

スティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演のSFアクション大作です。

 

そこで描かれたのは、犯罪予知システムによって、犯罪が未然に防がれる世界でした。

完全自動運転の技術や、空中に浮かぶモニターなど最近の映画では、当たり前に登場する映画の近未来像が、当時は新鮮だったのを思い出します。

 

マイノリティ・リポートが描いた世界は2050年代。

ちょうど令和に変わったその年に同じく2050年代という近未来を描いた日本映画がありました。

 

「AI崩壊」です。

 

最新のテーマなのにワクワクしなかったSF

 

なるほど、今話題のAIがテーマとなれば、これから迎える新時代に相応しい、近未来SFになるのではないか、という期待を込めて鑑賞しました。

 

結論から言えば、少し期待外れと言わざるを得ません。

私が映画を観る楽しみの一つは、空想だからこそ描かれる、世界の未来です。

それが描かれるからSF映画というのは、ワクワクするのです。

マイノリティ・リポートは、こんな未来が来るかもしれないという、将来像を示してくれました。

それは怖くもある社会ではありましたが、登場する様々なガジェット類にワクワクしました。

 

申し訳ないですが、「AI崩壊」にそういった意味でのワクワクというのは感じられませんでした。残念なことに、令和の時代にありながら、平成時代に提示された「マイノリティ・リポート」で描かれた世界からあまり進歩していないふうに思えたからです。

 

確かに、その頃から技術は進歩して、実社会においても、AIという言葉が日々新聞やネット記事に踊っています。

もう少ししたら、AIというものが、ごくごく身近に感じられる社会が訪れそうな気がしています。

いや、ものによってはもう訪れているのかもしれません。

実社会におけるAIの存在感が高まってきている今、映画で描く未来は、さらに一歩先を行く内容であるべきだと思います。

 

でも、映画「AI崩壊」では、私たちが想像しうる範囲でのAIの活用法が描かれていて、想像しうる範囲での課題が描かれていました。

それが、斬新であるならば、良いでしょう。

しかし、残念ながら、内容については「マイノリティ・リポート」が提示して以降、繰り返し映画作品の中に描かれてきたモチーフでした。

それは、もはやステレオタイプと言って良いかもしれません。

令和時代に最新の科学テーマを扱った作品でありながら、お話自体は完全にステレオタイプだったのです。

 

ステレオタイプな世界観とキャラクター

 

一番違和感を感じたのはやはり、敵として描かれる警察組織の「百目」と呼ばれる、住民監視システムです。これについては、本当に何度も描かれてきたものだと思います。

 

警察という公的権力が、捜査という大義名分のために、市民のプライバシーを侵害する。

すると、もうすぐで現役を引退するベテラン刑事が、「捜査は足で稼ぐもんだ」と反抗する。

 

こんな構造は10年以上前に「踊る大捜査線」でも見られたシチュエーションです。

繰り返しになりますが、そんな古典的展開が令和の時代に繰り出されるもんだから、それはやっぱりしらけてしまいます。

 

アラが見えると全部が気になる

 

映画というのは、一部分で引っ掛かりができてしまうと、他が良くても全体の価値が損なってしまうものです。他にも、ダメな部分があるのではないか、という視点で観てしまうのです。

 

そうなると、アラが見えてきます。

そもそも元々の主人公の開発したAIシステムは医療用だったはず。

それがかなり広範囲に紹介されていて、冒頭で登場する自動運転技術にも応用されています。

 

正直、医療AIと自動運転は関係なくないか? と引っかかってしまったのです。

 

こんな一つのトラブルで、全国民の生命に影響が出てしまうAIなんて、一企業の一データセンターで把握すべき内容では無いような気がしますし、データセンター自体のセキュリティの描かれ方もどうなのよ、それ、とついつい思ってしまいます。

 

 

どうしてこんなにアラが目立ってしまうのか?

それはやはりAIによる情報管理社会というのが、今の現実社会の延長になりつつあるからです。

現実の延長にあるかもしれない社会を描くのに、あまり荒唐無稽や現実離れした描かれ方をすると返ってしらけてしまうことがあります。

 

全然もっと先の未来の話だったら、多少ぶっとんだ設定であっても、S F作品ということで多目に見られることもあるでしょう。

 

でも、人は自分が知っている知識については、厳しい目を向ける傾向があります。

AIという各方面で語られる分野だけに、その設定上のほころびがかえって目立ってしまうのです。

 

マイノリティ・リポートももしかしたら、2020年の今現在の眼で見たら、荒唐無稽でこんなの可笑しいと笑って見過ごしてしまう作品かもしれません。

 

シン・ゴジラ手法なら印象変わったかも

 

今回のAI崩壊も、わりと近い未来を描くということであれば、現実社会の延長として、徹底的にドキュメンタリックな手法でリアルな描き方をすれば、活路が見出せたのかもしれません。

 

シン・ゴジラは、ゴジラという古い虚構を描きながら、現実にゴジラが現れた時のシミュレーション映画としての描き方だったのが新(シン)鮮で、成功したのだと思っています。

 

映画というのは、自分たちには、想像や経験できない映画体験を提供してこその映画、だと思います。

 

でも、想像や経験できてしまいそうな映画に対しては、観る目が厳しくなってしまうのだなぁとSF作品のバランス感覚の難しさを感じました。

 

 

AI崩壊

AI崩壊

  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: Prime Video
 

 

《園芸コラム》家庭菜園初心者にニンニクをオススメする理由

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おすそわけしたらよろこばれたニンニク

「たくさんとれたね」

貸し農園に行くと、大体いつもいるおばあちゃんが今日も声をかけてきた。

おばあちゃんは、世話焼きで、アレやコレやと野菜の栽培のことを教えてくれます。

(そして、監視に近い形で我が畑を見守ってくれている。)

世話焼きばあちゃんも、私がニンニクを収穫しているのを興味ありげにみていました。

 

「立派じゃないか」

「何もしていないですけどね」

そう、確かに私は何もしていません。ニンニクはある程度放っておいても作ることが出来る作物なんです。

そんなニンニクをじーっと見ていたから、私はあることに気付いて慌てて世話焼きばあちゃんに言いました。

「あ、よかったらおひとつどうぞ」

「いいか?そしたら遠慮なくひとつもらうわ」

あぶないあぶない、もうちょっとで私は気の利かないレッテルを貼られるところでした。

世話焼きばあちゃんは、きっとニンニクが欲しくて、世話焼きでなく、「褒め」てきたのだと思いました。

 

今回おばあちゃんに、ニンニクを渡すことができてよかったなと思っています。

貸し農園では、物々交換が行われています。

私自身も何度か菜園の利用者に野菜をおすそわけしてもらいました。

私といえば、いつもそんなに良いものができるわけでもないし、人に譲れるほどたくさん収穫できるわけでもありません。

いつももらうことばかりで、あげることができていなかったのです。

だから今回、こうやってニンニクが喜んでもらえたのはとても嬉しかったのです。

 

そのまま収穫したニンニクを実家の親にもお裾分けしました。

するとこちらもいたく喜んで。

「すごいね。ニンニクって難しでしょう?助かる」

ニンニクが難しいと感じているのは、たまたま親が作った時は病気か何かにやられたのだと思います。ニンニクはそんなに難しくはありません。ほったらかしでもできました。

 

でも、スーパーに並んでいるようなまるまる太ったニンニクを想像すると、そこはやっぱりプロとアマチュアでちょっと違います。。写真で見てもらってもそのばらつきの違いはわかると思います。

 

でも今回ニンニクのお裾分けして、ニンニクがいかにありがたられるかが分かりました。

 

貸し農園を借りたらまずはニンニクを栽培することをお勧めできるのでないかと思いました。

 

貸し農園のあの世話焼きばあちゃんは、ニンニクを譲るとなぜあんなにも喜んだのでしょう?

答えは簡単です。

ばあちゃんは、ニンニクを作っていないからです。

作っていないものをもらえるのであれば、それは嬉しいことです。

 

実は、これは世話焼きばあちゃんだけの話ではありません。

他の利用者の皆さんもニンニクを作っていません。

 

貸し農園でニンニクがあまり栽培されていなかった理由

 

だからニンニクがありがたられるのです。では、なぜありがたられるのに、みんなニンニクを育てないのでしょうか?

 

 

それはニンニクは食材としては魅力でも、園芸としては面白味にかけるからです。

貸し農園に借りている人は私含め、収穫した野菜の美味しさを求めるのはもちろんですが、野菜の栽培過程そのものを楽しんでいます。

 

実際に「○○を育てるのは面白い」といった表現を聞くことがあります。

それは栽培過程を楽しんでいるのです。これこそは園芸と呼べるでしょう。

 

ニンニクは基本的に放任で育ちます。

肥料はやりますが、トマトやなすのような途中の管理はほとんどいらないですし、白菜やブロッコリーのような育てていて蕾が大きくなったり、葉っぱが巻いたりと楽しいと思える要素は少ないです。

葉っぱは地上にずっと出っ放しですし、地下は見えないですから。

 

あとニンニクは、ものすごく栽培に時間がかかります。

秋ごろに植えて次の6月になるまで、ずっとじっとしています。

私の貸し農園は月5,000円。とても高いです。

とても高いのに、大して見た目にも変化に乏しいニンニクが居座っていたら、もったいないと思います。

限られたスペースなので、効率よく回していきたい、と思うのが本音だと思います。

 

だからこそ、新しく貸し農園を借りるような人にこそ、ニンニクを育てると良いと思います。

というのも、他の人が育てていないので、自分だけの楽しみができるし、人へのおもてなしにも使うことが出来るからです。

 

ニンニクのおすそ分けで貸し農園の利用者同士のコミュニケーションに

 

幸いニンニクが出来るのは、夏野菜が収穫する前の時期です。

ナス、トマト、きゅうり などオーソドックスな野菜を育てている人にとっては、何も収穫するものがありません。

みんなが何もなくて困っている時に、お裾分けするのが良いと思います。

特に初心者は貸し農園で他の利用者に一定認めてもらえることが重要です。

やはり、不特定の方が使っていらっしゃるので、農園で良い印象をもたられていないと後でひどい目に遭います。

実際、貸し農園に行くと、たまに他の利用者が、文句を言ったりしているのが耳に入ってきます。

 

それでみんながあまり作っていないニンニクをあげることで、貸し農園で認めてもらうのです。

 

自分にとっても、スーパーで買うとそこそこの値段のするニンニクが収穫出来ると、端境期でも収穫の楽しみを楽しめるので、なんだか得した気分になるわけです。

 

というわけで、これまで初心者はニンニクをいかに作るべきかについて語ってきました。

野菜の品目に注目して育ててみると意外なところで周囲にウケるかもしれません。

 

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イクメンでなくデキる男を目指そうと思った理由

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妻から言われた言葉にショック

「あなたって仕事が出来ない人なんだね。」

子育て中、妻に言われた中でも一番ショックだった言葉です。

 

私は世間で言われるような「イクメン」ではありません。

かろうじて出産には立ち会ってきたけど、育児休業もとっていないし、育休中は妻に任せぱなしでした。

 

だから、妻からはよく怒られていたと思います。

 

それは、もう何年も前のことだったと思います。

末っ子シンジ君はまだ生まれてなくて、次女アスカちゃんが生まれて妻が育児休暇中の時のことでした。

 

ちょうどその時私は、忙しい部署に異動させられて、てんてこ舞いの日々でした。

 

その日は珍しく、仕事から早く帰ることが出来そうな一日でした。

朝の時点で、今日は早めに帰れると約束していました。

たまには早く帰って、家事・育児に参加しなければ、と思っていたので、今日は良かった、と自分自身も安心していました。

 

しかし、仕事というのは、えてして急に降ってくるものです。

パズルゲーム「ぷよぷよ」みたいに、おじゃまぷよが降ってくる。

一生懸命、仕事の段取りをつけて、連鎖を狙っていたとしても、仕事が消えるどころか、おじゃまぷよのせいで仕事は積み上がるばかりです。

 

結局、その日も帰るのが遅くなってしまいました。

やはり、妻は怒っていました。

そこで言われたのが、冒頭の言葉なのです。

 

「あなたって仕事が出来ない人なんだね。」

ショックでした。

返す言葉がありませんでした。

 

育児や家事ができていないことを責められるのであれば、私自身も出来ていないと思っていたので、怒られても仕方がないこと。

ただ、仕事が出来ないというのは、私自身は一生懸命「仕事は」頑張っていると思っていたので、不意を突かれた気持ちになりました。

 

育児は参加するものではない

でも、その言葉で気付かされたのです。

よくイクメンとは、育児や家事に積極的に参加する父親のことを言います。

おむつを変えたり、ミルクを与えたり、炊事や洗濯、保育園への送迎。

でも、そこには大事な視点が抜けていました。

 

育児というのは、参加するものではありません。

夫婦二人でこなすべきタスクの一つである、と。

家事や仕事も含めて、家族が取り組むタスクの一部だったのです。

 

ここで私が仕事に一生懸命「頑張っている」ことなど、妻には関係のないことなのです。

だから、仕事も家事も育児も全部結果を出してこそ、評価されるのです。

家事も育児も仕事も全てうまく回していくためには、その三つのタスクをいかに効率よく回すことこそが重要になります。

 

だから、目指すべきはイクメンではなく、デキる男になる必要があると考えたのです。

 

イクメンになるって言ってしまうと、育児以外のことを軽視してしまっているような気がして、ちょっと違うと思ってました。

 

私は私の人生。

 

もちろん子育ては大事だけど、仕事も趣味も妥協したくない。

要は、欲張りなんです。

でも自分の欲望に忠実になりたくて。

そのせいで、妻に迷惑をかけてもいます。

妻が育児休暇を取得してくれたのは大きかったし、妻に甘えてばかりでもありました。

 

だから、育児も仕事も趣味も全部頑張ろうと決めたのです。

 

育児も仕事も趣味も全うするには

ただやみくもに頑張っても、潰れるだけです。

全部やるためには、デキる人間になるしかないと思いました。

 

もしあの時、妻が「もっと育児に参加しろ」って言われてたら気づかなかったかもしれない。

「仕事出来ない人なんだね」

言われた時は、傷ついたけど、それで逆に火がついたのです。

 

デキる人間になれば、もっと育児にも時間を割くことが出来る。

だから、私はデキる人間になるために、試行錯誤を重ねてきました。

 

おかげと言っていいのか、曲がりなりにも、3人の子育てを全うしてきました。

近くに頼れる親族がいませんでした。里帰りもしなかったので、夫婦二人で3人の乳児期を過ごしてきました。妻が仕事に復帰していた時期は、共働きで乗り越えてきました。

その時は、私も保育園の送迎してきました。

早く帰れた日には、なるべく夜の絵本の読み聞かせもしてきました。

 

一番上のレイちゃんは無事今年から小学校、末っ子シンジくんもお乳離れが近いです。

三人とも乳児は卒業、無事に第一段階はクリアだと思っています。

 

それを乗り越えられたのは、デキる男を目指して実践を重ねてきたことが大きかったと思います。

おかげで、仕事は子育て中に昇進。

趣味のブログもこうやって続けられているし、映画も週一回観るのは確保出来ています。

 

デキる男の実践方法

 

どうやってデキル男を実践してきたか?

そこには、3つの考え方があります。

 

  • 乗り越えるべきタスクを減らす
  • 乳児期は、子ども目線よりも母親目線で
  • 自分の趣味に子どもを寄せる

 

共通していえるのは、ビジネス的にいえば、いかに生産性を高めるかというとです。

育児や家事でいえば、限られた時間でいかに効率的にタスクをこなし、効果を高めるかということです。

つまり、ビジネスの手法を家庭に取り入れるのです。

 

どのように実践してきたか、詳細は今後ブログで不定期でアップしていきたいと思います。

 

 

最後に、育児や家事は家族で乗り越えるタスクです。デキる男を実践しようとしても、妻の協力なしには出来なかったと思います。

というより、まだまだ自分は完璧にデキる男ではありません。この4月からも異動になってしまって結局帰りが遅い日が続いています。それでも、妻は家庭を守り続けてくれています。

また、子供が寝静まったあと、自分の時間をくれる妻に感謝しています。

 

 

まだまだデキる男への道半ばです。これから実践を積み重ねたいと思っています。

 

仕事も子育ても家事も妥協したくない人は一緒に実践していきましょう!

子どものほくろは未熟な親のサイン

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私の娘、レイちゃんは現在6歳。3人兄妹の長女です。

彼女の、頬には大きなほくろがあります。

 

ほくろを見ると、罪悪感に駆られることがあります。

私のせいで、レイちゃんの頬には大きなほくろができてしまったのでないか?

 

将来その頬のほくろをチャーミングポイントだと思ってくれるなら、ありがたい。

でも今後成長につれてほくろが大きくなって、レイちゃんがそのことで悩んだりするのであれば耐え難い。

ほくろ除去することを考えないと、って思っています。

 

生後1ヶ月で京都音博へ

 

なぜ、レイちゃんの頬にほくろができてしまったのか。

本当のところは誰にも分かりません。ほくろの出来不出来なんていうのは、多分いろんな偶然が重なってできるもんだと思ってます。

 

それでも、私にはちょっと思い当たる節があって、それでたまに思い出してしまうのです。

もしかしたら、あの時のことがほくろができた原因だったんでないかって。

 

あの時のことが原因だとするならば、レイちゃんのほくろは、私がまだ未熟な親だった頃のサインに思えてくるのです。

 

このお話は自分への戒めでもあり、これから初めての子育てを頑張ろうとする人に向けてのエールでもあります。

 

あれは、レイちゃんが生まれて1ヶ月過ぎくらいの頃だったと思います。

 

2013年の9月下旬。

私の好きな音楽バンド「くるり」主催の音楽フェス「京都音楽博覧会」に参加しました。

妻とレイちゃんの3人です。

 

今から思えば、無茶な話でした。

3人育ててきた今なら、あれがどんだけ無茶なことだったか分かります。

 

良い場所を取るために、朝早くから並びました。

チケットと引き換えに入場用のリストバンドをもらいました。

チケット受付と会場までに距離があったので、走って会場に向かいます。良い場所を取るためです。その時レイちゃんは、抱っこ紐で抱かれて胸の前にいました。

 

走ると、上下に飛び跳ねるような感覚になって、レイちゃんは喜んでいました。

何も分からずに屈託のない笑顔を見せてくれました。

京都音楽博覧会の良いところは、のんびりとした雰囲気なところ。

登場するアーティストもアコースティックな編成で音楽を演じることが多く、会場である梅小路公園の緑あふれる景色と相まって癒しになっています。

MCの合間に、たまに鳴る蒸気機関車の「ポー」っという汽笛が、参加者の表情を崩してくれます。

 

そんな自然環境溢れる雰囲気、客席もレジャーシートを敷いて鑑賞できることもあって、生まれて1ヶ月とちょっとのレイちゃんを連れていくことを決行しました。

 

でもあくまで野外フェスです。1日ずっと、レイちゃんの機嫌が持つわけありません。1ヶ月なんて、ずっと寝たり起きたりの生活ですし、母乳も欲しがります。

 

そのあたりは見越して車で来場していたので、休憩の合間に、妻に車で母乳や寝かしつけをしてもらっていました。

なかなか気を揉むこともありましたが、フェスの最終大トリのくるりの演奏の間だけは、やっぱり抱っこ紐の中で眠ってくれていました。

 

だから最終的には、私も妻も大満足で帰りました。

 

娘に訪れた異変

 

ところがです。

 

その日から、2、3日の間ずっとレイちゃんの機嫌の悪い日が続いたのです。

お乳を与えても、寝かしつけようとしてもレイちゃんはなかなか機嫌がよくならず、ずっとグズグズとしていました。

いつものパターンであれば、抱っこ紐でレイちゃんをおぶってあげると寝てくれるパターンなのですが、この時ばかりは全然効きませんでした。

 

それで困っているところに妻が気づきました。

 

「この子最近うんちしていないかも」

 

うんちくらい2、3日出ないことだってあるんじゃないか?

そう思う人もいるかもしれません。

 

赤ちゃんというのは、生まれてから、健康観察をするため、母乳やおしっこ、うんこの記録をつけたりします。赤ちゃんの頃は結構な頻度でうんちをします。

生まれてから1ヶ月少しコツを掴んできたのもあってか、うんちの回数を正確に記録できていませんでした。そういえば、うんちをしていないことに気づいたのです。

 

赤ちゃんの頃はまだ、腸の発達が未熟です。

大人であれば、便意をもよおしたら、ゴロゴロと腸を動かして体の外に出す働きをします。

赤ちゃんはまだ、そのあたりが未発達なので、便秘しやすいのです。

 

だから、そんな時は綿棒でお尻をツンツンと刺激してあげます。

これが私はすごく苦手でした。

赤ちゃんとはいえ、肛門に綿棒を突っ込むというのは気が引ける作業です。

 

ただし、効果はテキメンです。

 

ブボっという音を立てて、うんちが排出されました。

 

これでスッキリしたのか、レイちゃんの期限は元に戻りました。

うんちと共に、お腹に溜まっていたストレスが外に出されたのでしょう。

ほっと、一安心でした。

 

 

でも、便秘になるほどのストレスとはなんだったんでしょう。

思い当たることがありました。

京都音博です。

大人にとっては、あんなに楽しかった音博。

子供にとっては、ストレスでしかなかったのです。

それはそうでしょう、生まれてから1ヶ月くらいは、本当は外出もあまりしない方が良いとされています。(あまり守られている話でもないとは思いますが)

 

そんな状況の中で、1ヶ月を超えたからといって、いきなり音楽フェスです。

どれだけ音楽に癒しの力があろうとも、子供にとって癒しであるとは限りません。

結果として、便秘をさせてしまったのです。

 

それだけで終われば、今の今までこのことをそこまでは気にしなかったかもしれません。

便秘くらいのことであれば、その程度で済んだともいえます。

 

でも、それから、時日がすぎてレイちゃんの頬にはほくろができてしまったのです。

音博が原因なのかは分かりません。

でも、音博は屋外のフェスティバルです。小さい身体ながらに紫外線を浴びすぎてしまったのかもしれない、と心のどこかで引っかかるようになりました。

 

そのほくろは、成長に連れて大きくなっていきました。

今やレイちゃんは小学生になります。

ほくろの成長は少し止まっているようにも見えます。ほくろに関係なく今のところ元気に育ってくれています。それだけが救いでした。

 

でも、今から思えばフェスに生後1ヶ月の赤ちゃんを連れていったことは無茶だっと思う。

それは今でもたまに思い出し、噛み締めるように妻とも確認しています。

 

子供ができる前と後で変わる世界

 

初めての育児は、ライフステージのイベントの中でも、ライフスタイルが一変する出来事だと思います。

自分に子供ができるということは、それはもう自分の人生だけを生きれば良い世界から、守るものが出来る世界へと変わります。

 

その世界の変化についていけなかったのだと思います。

子供ができると、当然自分の時間がなくなってしまいます。

子育ては大変。

おむつを変えるのも、お風呂に入れるのも、寝かしつけるのも、全部大変。

 

でも、一番大変なのは、マインドを変えなければならないということです。

自分の時間よりも子供の時間を優先しなければならないのです。それがストレスにつながってしまって、つい、親の都合を優先してしまう時があります。魔がさしたかのように。

そんな時に限って大事故が起こるから育児というのは本当に恐ろしく思います。

 

脅すわけではありませんが、これから子育てに向かう人にとってはこれは覚悟しなけばなりません。

逆にいえば、子供の時間を優先する覚悟を決めれば、難しいことではありません。

実際に、2人目、3人目と育てる人数が増えるほどに、体力的にはしんどいですが、不思議と精神的にはしんどくありません。

多分、子育てについて、覚悟ができてきたからだと思います。

 

そこの切り替えは難しい。3人育ててきた今でも、つい魔がさすことだってあります。

 

その度にレイちゃんのほくろを見て思い出すのです。

未熟だった頃の自分を思い出し、子供優先を心がけるのです。

映画「アナと雪の女王2」感想レビュー エルサの自分探しの旅

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マズローの欲求5段階説って聞いたことがありますでしょうか?

マズローという心理学者は、人の欲求はピラミッドのように5段階の構造を持っていると言いました。下の欲求が満たされれば、その次の欲求に。その欲求が満たされれば、その上の階層の欲求に、人はピラミッドを登るように、欲望を満たすことを求めていくというものです。

 

一番下の階層は生理的欲求です。

つまり、ご飯を食べる、寝るなどの人間が生きていくための最低限必要な欲求です。

 

その次が、安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求と続いていきます。

 

昨年公開された「アナと雪の女王2」は前作とあわせて、まさにマズローの欲求の階段を駆け上がっていく映画だと感じました。

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マズローの5段階欲求

 

自分探しの旅を描いてきたアナと雪の女王

思えばアナと雪の女王は、1でも2でも、エルサの自分探しの旅が描かれてきました。

でも、1と2では、その自分探しの旅の性質は随分と違うものでした。

 

特に2作目におけるエルサは、人は社会での自分の役割に気付いた時、こんなにも輝けるものか、と個人的には1作目以上に心を揺さぶる物語になっていると思います。

一方、その描き方は、神話や哲学に近く、ある意味子供たちに大ヒットしたあの続編であることを考えると、大変な意欲作でしょう。

 

前作が売れたから続編を作りました、と感じさせないくらいに(実際はそうなんでしょうが)

テーマ的なつながりと映画づくりとしてのこだわりが見える作品になっていると思います。

 

第1作はエルサが孤独からの解放を描く

 

まず、アナと雪の女王第1作を振り返ります。

これも、エルサの自分探しの旅でありました。

生まれながらに魔法の力を持って生まれてエルサ。その力は強大すぎて、他者と距離を置いて生きてきました。他者に刃を向ける出来事もあって、エルサは他者を拒絶し、孤独に生きる道を選んでしまいます。妹であるアナが真実の愛の力で、魔法の力を持ったエルサを氷の孤独から解放するのです。

 

1作目では、そんなエルサというマイノリティーが社会に受け入れられる過程が描かれていきました。

つまり、冒頭でいうマズローの欲求でいうところの、社会的欲求です。

誰もが、会社に入ったり、部活に入ったりしながら、社会に受け入れられることを望みます。

1作目のラスト、魔法の力を持ったエルサは、氷の世界からアレンデール王国の国交解放に至ったように、心も社会に対してオープンになっていったのです。

 

エルサの心の内面だけでなく、夏が消えたアレンデール王国の危機、王国をのっとろうとする明確な悪役の存在などが、物語の背骨としてあることで、分かりやすいエンターテインメントとして仕上がっていました。あと、音楽の魅力は言わずもがな、でしょう。

 

心の解放を描く第2作

 

一方で、2作目ではエルサの心の内面によりクローズアップした物語になっています。

物語の設定自体が、未知の世界からの呼びかけに対して冒険に出ることを決める。

まさに自分探しの旅です。

そもそも、物語冒頭、アナとエルサの両親が語るお話がすでに御伽話のようなテイスト。

そのため、お話自体は1ほど分かりやすくはありません。

続編にも関わらず、次々登場する新用語にちょっと追いつくのが大変なくらいです。

1作目のイメージから印象が違うと感じるかもしれません。

画面づくりもそう。1は雪の白さが際立つ場面が多く感じましたが、2では一転してダークなトーンです。

 

話を戻しましょう。

とにかく全体的に話がふわふわとしている部分があるので、この話がどこに向かうのか中盤までは特に掴みづらい印象でした。

 

冒頭から中盤にかけて、その抽象さ加減が、あまりいい方向に働いていなかったのですが、でも、そこはディズニー映画。エルサが物語の真実に近づくに連れてちゃんと盛り上がりが用意されていきます。その盛り上がり方に比例してどんどん神話的シーンが多くなってきます。

終盤のエルサのダークシーという荒波を乗り越える場面で一気に抽象から神話へと格上げされていくのです。

 

 

そしてエルサが荒波を乗り越えた先にある、アートハラン。

そこでの映像表現は、神秘的でさえあります。

そしてついに自分の正体と役割に気付いたエルサ。

1、2通じて一番いい表情だったように思います。エルサっていつもちょっと憂いの表情があると思いません?

ビジュアルも白ベースの配色に変わって一層神秘的になりました。

何よりあの馬に乗って駆ける姿がかっこいい!

 

 

そう、この場面でエルサは、内面的欲求を見たします。

つまり、マズローでいうところの尊厳への欲求や自己実現への欲求です。

社会に自分の存在が認められ、孤独からの解放を願った前作。

それは外向きに対する欲求です。

 

本作では、自分がこの社会で生きる意味を見直す。

いかに社会で自分の自己実現を果たすか、の内面的欲求です。

 

エルサは、マズローの5段階の欲求を全て登り詰めることに成功するのです。

だから、2のエルサはめちゃめちゃすがすがしい表情、憑き物が取れたような満ち足りた表情になっているのです。

 

そんなエルサの姿を見ていると、自分も何か社会で自己実現したい、そんな気にさせられます。

魔法があってもなくても、人生を輝かせることが出来るのは、自分の内面との向き合い方次第であると教えてくれた気がします。

 

そんなテーマの本作は子供向け映画と言えるのでしょうか。

もちろん、オラフは可愛いし、アナも可愛いし、エルサ以外のメンバーのアンサンブルの心地良さもある映画になっているので子供も楽しめるでしょう。

 

でも、テーマそのものは骨太で、神話的で哲学的なので、前作の後にこの作品を持ってきたディズニーはさすが、と敬意を表すばかりです。