三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ

仕事も趣味も育児も妥協しない。週末菜園家が、三児の子どもたちを育てながら、家事と仕事のスキマ時間を創って、映画や農業で心豊かな生活を送るブログ

新しい遊び場 エビ釣り編

f:id:mqchaso:20200927203650j:image

皆さんはシルバーウィークいかがお過ごしされたでしょうか?

 


子どもの遊びは無限大。

通い慣れた公園だって、新しい遊び場になりうる。

 


私にとっては、学びの多いシルバーウィークになりました。

巷では、もはやコロナなんてなかったのように、観光地ではたくさんの人で賑わっていたようです。

私もせっかくの4連休。どこか遠出でもと思っていたのですが、妻からは意外な提案がありました。

 


「明日は、子どもたちU公園に連れていってあげる?」

 


U公園。芝生広場や遊具も充実した家の近くの公園です。

地元では有名な公園で、大きいので、地域から親しまれているから、週末はいつもたくさんの家族で賑わいます。

 


でも、私はその提案に気乗りしませんでした。

 


この公園、家の近くだけあって、これまで何度となく通ってきた公園です。

せっかくのシルバーウィークの特別感が、通い慣れたU公園で終わってしまうのが、もったいないと思っていました。

 


かといって、特に対案があるわけではありません。

連れて行ったらこどもが喜ぶのも分かっています。

 


結局、子どもたちと一緒にU公園に出発しました。

思えば、公園なんて久しぶりに来たかもしれません。子どもたちは、散歩を我慢していた犬のように、着いた瞬間に公園内を駆けまわります。

 


遠出できずに若干の欲求不満だった私も、子どもたちの叫び笑う姿を見て、子供が楽しむのが一番だ。そう言い聞かせました。

 


ただ、子どもたちの姿を見ているとあることに気がつきます。

長女のレイちゃんは、ピラミッド型のロープのジャングルジムのテッペンまで登ります。

ひと昔前までは、途中で固まって、降りられなくなって、親に助けを呼ぶのがテッパンでした。

 


次女のアスカちゃんは、一番大きなすべり台は人気があってかなり並ぶのですが、一人で並んで勝手に滑っていきます。ひと昔前までは、親と一緒に滑っていました。

 

 

 

そう、私にとっては通い慣れた公園は、子どもの成長をわかりやすく感じられる場所でした。

それはまるで定点観測のように、遊具は今も昔も変わらないけど、子どもたちはグングンと大きくなる。

 


見慣れた公園も親の見方でみえ方が変わる。

遠出の残念は、いつの間にか消えていました。

 


見方が変わったのはそれだけではありませんでした。

 


U公園は自然に恵まれています。ドングリ拾いができる森や小川が流れています。

夏も終わりですが、たくさんの子どもたちが小川でピチャピチャと跳ねながら遊んでいます。

 


それを見た子どもたちは

「私たちも入りたい」

当然の流れです。

 


川に入る用意をしていなかったので、はじめはしぶりました。

 


「タオルがないから今日は入れないや。」

子どもたちからは大ブーイングです。

 


しばらくは小川のそばで、アメンボが泳いでいるのを覗き込むだけでした。

だんだんと気が大きくなってきて、小川にあった飛び石にチャレンジをはじめます。

 


嫌な予感がする。

そう思った瞬間にバシャーン。

 


レイちゃんの片足が小川に突っ込みます。

 


そうなるとどうにでもなれ。

レイちゃんは、靴と靴下を脱いで小川へ入っていきました。

 


レイちゃんもアスカちゃんも小川で思い思いに遊んでいると、あることに気がつきます。

 


「あれ、妙にタモを持った子供が多いな。」

 


よく見ると、背を低くして虫かご片手に水面に顔を向ける子供たちで溢れています。

 


「もしかして、この小川には生きものが住んでいるのかな。」

そう思った私は、子供らと同じく姿勢を低くして、水面を注意深く覗き込みます。

 


「エビだ! レイちゃんエビがいるよ」

レイちゃんが駆け寄ってきます。

 


覗き込むと小さなエビたちがひしめいています。

レイちゃんにもっと近くで見せてあげたい。そう思ってエビを捕まえようと、手を皮の中に入れます。

 


しかし、エビは素早く、するりと掌からすり抜けていきました。

うーん、意外と難しい。

 


我が家は他の子どもたちと違って道具がありません。

今度は両手で、エビに気づかれないように、ゆっくりと、すくい上げるようにします。

今度は成功。

エビはピチピチと手のひらでつくっまカゴの中で飛び跳ねています。

 


飲み終わったお茶のペットボトルに水と一緒にエビを入れます。

「可愛いー」

f:id:mqchaso:20200927203231j:image


子供たちも感動した様子で、今度は、自分たちの番とばかりにエビ取りに夢中になります。

 


だんだんとレイちゃんもコツを掴んできたようで、たくさんのエビを捕まえることができました。

 


ペットボトル半分くらいに、たくさんのエビがひしめいています。

その日は家に帰って、めだかを飼っている家のタライにエビをはなしました。

 


エビは水槽の掃除屋だと聞いたことがあるからです。

メダカのフンなどをエビが食べることで、水が汚くなるのを防いでくれるというのです。

 


これが連休2日目の話です。

レイちゃんは大満足みたいで、連休中にもう一回エビを取りに行きたいというほどです。

 


妻と相談し、せっかくやる気になっていることから、連休最後の日。

もう一度U公園にいく事になりました。

 


今度はハンガーと、玉ねぎネットで作ったタモや、水中眼鏡のような自作のペットボトルを持参し、準備万端です。

f:id:mqchaso:20200927203242j:image


新兵器タモのおかげで、その日は取りすぎっていうくらいエビを取りました。

レイちゃんもこの日も大満足です。

 


通い慣れた、という意味で、はじめは行くのを渋ったU公園。

終わってみれば、週に2回も行ってしまいました。

 


いつもの公園も見方を変えれば新しい発見に満ちていることに、

そして子供の遊びというものの可能性の大きさに気づかされました。

 


同じ場所でも、ちょっとした気づきで新しい遊び場に変わることが分かったのです。

 


連休だからと言って旅行するだけが経験じゃない。

どのように過ごしたか、が重要なんです。

 


今なら、「子供が喜んでくれるなら」と注釈をつけるまでもなく、U公園に行けてよかった。

胸を張って言えます。

 

 

 

後日談。

 


公園で一生懸命取っていたエビは、ザリガニであることが判明しました。

2回目のエビ取りで、少し大きめのエビが取れたと思ったら、2本のハサミを持っていて気がつきました。きっとエビだと思っていた奴らも大きくなったらハサミができるのでしょう。

考えてみれば、公園の汚い小川にいるわけないのかな、と思いつつ。

 


あの日、エビだと思って、ザリガニの赤ちゃんを大量にメダカのタライに入れました。

気づいた妻は大慌てでタライの水を変えたのでした。

自分だけの帰宅アナウンスをつくろう

f:id:mqchaso:20200926192518j:image

我が社では、夜22時になると帰宅を促すアナウンスが流れます。

これを聴くと、どんなに忙しくても、「今日のところは一旦帰ろう」と帰宅の準備をはじめることになります。

近頃は、毎日のようにこんな状態です。おかげで、ブログも更新できていない日が続くほどでした。

 


でも、そんな日が続くなかで気がついたことがあります。

 


夜22時のアナウンスを基準にすると、ダメだということです。

夜22時に帰っていたのでは、次の日の仕事に支障が出ます。

 


このブログで目指している「家庭と仕事の両立」を目指す最低ラインは(どんなに忙しくても)夜21時には、帰らないと行けません。

もちろん、家庭の事情によって、もっと早く帰らないと家庭と両立なんかできないところもあると思います。 

あくまで、ここでは私自身の事情です。

 


夜22時のアナウンスは、夜21時のアナウンスでなければならないと思います。

人というのは、夜22時に帰れのアナウンスが入ると、「夜22時までは仕事して良い」と判断してしまいます。これが良くありません。

夜22時までだと引っ張りすぎです。

 


それが分かったのは、自分で帰宅時間や映画やブログの記録はじめてからのことです。

ライフログをつけると、努力の成果が「見える化」するので、習慣化を進められます。

 


ところが、ライフログをつけることすらできない日があります。

その理由は、単にログをつけるのを忘れていた。

というわけではありません。

 


ライフログつけられた日、つけられない日を分析すると、そこには帰宅時間の違いがありました。

夜22時を超えると、ライフログをつけることもできないし、当然ブログの更新や映画の鑑賞は全く出来ない状態になってしまっていたのです。

 


それもそのはずです。

夜22時のチャイムを聞いてから、片付けをして帰路につけば、家の玄関にたどり着くのはもう、23時をすぎていることが多いです。

 


その頃には、もう身も心もヘトヘトです。

妻が用意してくれているご飯を皿によそうことやお風呂に入ることすら億劫です。

でも寝てしまうと、また明日が始まってしまう。

ねっころがってついついスマホをいじってしまう。

一番最悪なスパイラルに入ってしまいます。

すると、睡眠時間が短くなって、映画やブログを継続できないどころか、次の日の仕事にまで支障が出てしまう始末になってしまいます。

 


私の体感的には6時間か7時間は寝ないと、次の日のパフォーマンスが落ちます。

 


勤務時間中に睡魔が襲ったり、思考が深められなかったりします。

何より、そんな症状が出るとやる気が出なくなってくるんですよね。

 


やらなきゃいけないことはわかっているのに、手がつかない。

厄介なのは、日中はやる気がでなくても、夜残業時間中になってくると、急に集中力が増してくることがあります。

きっと、夜型になっているのだと思います。

そうなるともう、負のスパイラルで結局その日も夜22時まで残ってしまうということです。

 


あと注意しなくてはいけないのは、金曜日です。

金曜日は、週末に仕事を残したくない一心でついつい頑張ってしまいがちです。

でもそれも頑張りすぎると実は良くないんです。

土日に影響が出てしまうからです。ブログをやっている身とすれば、土日が唯一の自分の時間を確保するチャンスです。しかし、疲れを週末まで引きずってしまうと、土日が回復時間になってしまうんです。せっかくの土日が回復で終わってしまうのはもったいない。

 


そこで私の出した結論は夜21時には職場を出れるようにするということでした。

わざわざそれが出来るならこんなところで宣言しなくても良いと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 


実は仕事って、その日のうちに終わらせなければならないから帰るのが遅くなっているのではないのだと思うのです。

 


残業って大半は、不安な気持ちを穴埋めするために、残っているんだと思っています。

あるいは、日中あまり捗らなかった仕事が、残業時間になるとお尻に火がつくとか。

 


あくまで私の場合ですが、どんなに忙しくても、夜22時には帰るからです。

(もちろん、本当にその日のうちに終わらせなきゃいけなくて、日付が超えることはあります。)

 


22時に帰れるなら、それを1時間早めて帰ることも可能なのでないか?

本当に守らなきゃいけない締め切りって、大概の場合、極限の集中力でなんとかなること多いですよね? 

あるタスクにかかる時間が決まっているのでなくて、決められた時間内にタスクをこなすという発想が必要なんです。

ほら、夏休みの宿題だって、終盤にあれだけ絶望的に思えても、なんだかんだ二学期までになんとかなったりします。 

 


その日にするタスクを終わらせたら帰るのでなく、時間になったら帰る。

そうすれば、結果として一週間全体のパフォーマンスが上がるとともに、自分の時間も確保で切るのです。

私の中でその最低ラインが夜21時だということです。

 

 

 

来週からは、携帯にアラームを設定しておいて、夜21時になったら自分だけの帰宅アナウンスを出してみようと思います。

 

映画「TENET(テネット)」が知的好奇心を刺激する理由

f:id:mqchaso:20200922153940j:image

 

アインシュタイン相対性理論はなぜ人の知的好奇心を刺激するのでしょうか?

 


本屋さんに向かえば、相対性理論の入門書がずらりと並んでいます。

大学で学ぶような高度な理論にも関わらず、相対性理論を理解しようと多くの人が入門書に手を伸ばすのです。

でも、相対性理論にはわかるようでわからない難しさんがあります。

本を読んだ時は理解できたつもりでも、しばらくと経つとやっぱり思いだせずに、今度はインターネットでもう一度「相対性理論」と検索します。

 


難しい理論にも関わらず、繰り返し繰り返し、理解しようと試みたい気持ちにさせる。

それが相対性理論の不思議です。

 


不思議な相対性理論が人を惹きつけてやまないのには、理由があります。

それは夢やロマンに溢れているからです。

ブラックホール、タイムトラベル。

SF映画の設定としてポピュラーなこの二つは、元を辿れば、アインシュタイン相対性理論に基づいています。

映画の題材になるようなワクワク感のある現象を導き出すのが、この理論です。

 

 

 

相対性理論は、時間と空間は相対的なものであるという理論。

Aさんが感じる空間と時間と、Bさんが感じる時間と空間は違うことがあり得るというものです。

つまり、時空の歪みです。

 


それは直感とは反する現象です。

本来日常生活をしていても、気がつくことができないでしょう。

時間というのは、Aさんに流れる時間も、Bさんに流れる時間も誰にでも平等というのが、我々の実感だからです。

その実感をくつがえすのが相対性理論で、その行き着く先にタイムトラベルなどの考え方が登場するのです。

 


日常生活では直感的に感じ取れないことを物理の計算で解き明かしてくれるロマンが相対性理論があります。

学ぼうとする人の知的欲求を満たしてくれるのです。

 

 

 

 


そんな相対性理論と同じように、我々の知的好奇心を大いに刺激してくれる映画があります。

それは先日公開されたクリストファー・ノーラン監督の新作「テネット」です。

 


映画テネットは、公開直後から

「わけがわからない。」

「難解すぎる。」

「何回も観てようやく理解できた。」

普通で言えば、ネガティブと言える感想が相次いでいます。

 


それにも関わらず、

「傑作」

「今年ベスト1」

「冷え込んだ映画業界を救う一作」

本作を絶賛する声も多いのが特徴です。

 

 

 

テネットは、アインシュタイン相対性理論と同様、

夢やロマン、現実の直感に反するような現象を説明する物理学ならではのワクワクやドキドキにあふれた設定や理論が描かれています。

 


そして、「現実の直感に反するような現象」を映像化した結果、今までになかった映画的体験が生まれています。

 


その映像表現が、観客の知的好奇心を刺激し、相対性理論を何度も学び直すかのように、

何回も映画館に足を運ばせるのです。

 


思い返してみれば、ノーランは、今までも現実世界ではあり得ない現象を映画という媒体を使って繰り返し表現してきました。

夢の世界や多次元宇宙。

それらは、時にバカっぽくもみえる設定です。

 


しかし、いずれも現実の物理学を基礎としています。

現実にあり得るかもしれない現象を、映像化することで説得力やロマンを持たせることに成功してきました。

 


まさに映画にしかできないことです。

 


今回それがより強化され、観客の知的好奇心を刺激し、読み解けば読み解くほどロマンに溢れるブラックホールのような映画が、テネットなのです。

 

 

 

より具体的に言えば、本作では、「時間の逆行」が描かれます。

何が斬新かと言えば、今までにも、「過去に戻る」というのは繰り返し、映画でも描かれてきました。

その場合、過去に戻る時間は一瞬で、ドラえもんのタイムトラベルのようにいきなり恐竜の住むジュラ紀に飛べることができる。そんな時間遡行の描かれ方が一般的です。

 


しかし、テネットの場合は違います。

時間の逆行はあくまで逆行。時間はさかのぼってはいるものの、そこで感じるの進み方は時間が前に進むのと同じ感じ方になります。

10秒かけて進んだ時間は、10秒かけて戻ります。

 


ここが今までにない、新しい映像表現になっています

荒唐無稽な設定のようですが、ちゃんと物理学の理論に基いてます。

時間の逆行は、エントロピーの減少で説明され得るということです。

 

 

 

直感に反することなので、ただでさえ理解が難しいにも関わらず、

劇中そのルールや理論がほとんど説明がされません。

チュートリアルシーンのあった、「インセプション」に比べると説明不足と言わざるを得ませんが、作品全体のテンポ感を優先したのでしょう。

そのおかげで主人公自身が感じる戸惑いをそのまま観客にも感じてもらう効果があるのかもしれません。

 


ルール説明が少ないだけではありません。

劇中に、この時間の逆行と順行が同時進行するシーンがあります。そのことが本作をより複雑にしています。

順行と逆行が入り乱れるシーンは、一回観ただけではほとんどわかりません。

でも、ノーランのすごいところは、映像自身の圧倒的な力で、理解はできないけれど、何かとんでもないことが起こっているという感覚を引き起こしてくれることです。

 


この直感に反する映像表現は映画でしか味わえないリッチな体験になっています。

映画館で足を運んで、目撃していただきたいと思います。

 


さて、ここまでテネットがいかに難解かを説明してきました。

難解なだけでは、おそらく観客はついてこないでしょう。

 


この物語に観客がついてきてくれるかどうかは、難解な物語を攻略する甲斐があるかどうかにあると思います。

本作のラストには、この映画の攻略の先に、大きな感動があることが示唆されます。

相対性理論を突き詰めればブラックホールやタイムワープがあるように、この映画を理解した時、時代を超えた壮大なスケールのロマンが待っていることを意味します。

真実の先に途方もない人間ドラマがある。

ある意味インターステラーでも描かれたノーラン節ともいえます。

 


だからこそ、本作を理解しようと何度も何度も、足を運びたくなるのです。

この難解さとロマンとエンターテイメント性のバランスの良さが本作を傑作と言わしめていると思います。

 


アインシュタインの示した相対性理論が現代にいきる我々の知的好奇心を刺激するように、ノーラン監督のテネットも世代を超えて語り継がれる名作となるのでしょう。

その歴史の瞬間をぜひ映画館で体験してみてください。

絵本「かがくのともシリーズ」はトリビアの泉

f:id:mqchaso:20200920221052j:image


私は、現在3人の子供を育てています。

これまでにたくさんの絵本の読み聞かせをしてきました。

1,000回はくだらないほどだと思っています。

 

 

 

読み聞かせる立場としては、読んでいて楽しいのは、大人が読んでも楽しい作品です。

子供が読みたい! と言ってもってきても、大人のテンションが上がらない絵本も、正直あります。

 

 

 

今回紹介するのは、大人のテンションが上がる絵本です。

いや、理系に限られるかもしれません。

それはずばり、「かがくのとも」シリーズです。

 


妻がいつの間にか定期購読していたシリーズでした。

またおかしなものに手を出したのかと、何気なく手にとってパラパラとめくってみると、その出来の良さにちょっとびっくりしてしまいました。

 


幼児向け絵本と思ってナメていました。

注釈には、4歳以上のお子様向けと書いてあります。

4歳向けの絵本に、30代も後半にさしかかった大人が、圧倒されてしまいました。

 


ところで皆さん、「トリビアの泉」って知っていますか?

タモリさんが主役で、日常のウンチクを紹介するTV番組でした。

今はもうやっていませんが、放映当時は大流行していました。

 


トリビアの泉といえば、紹介されたウンチクに、出演者が「へぇー」と思った時に押す「へぇー」ボタン。

みんながなるほど、とか、知らなかった、と感じた雑学やウンチクに、「へぇー」ボタンを連打するのです。

 

 

 

そう、この「かがくのとも」シリーズは、絵本の名を借りたまさに「トリビアの泉」でした。

へぇーの連発です。

 


たとえば、「かがくのとも」シリーズの最高傑作「たんぽぽ」。

みなさんは「たんぽぽ」のことどれだけ知っていますか?

たんぽぽについて分かった気になっていませんか?

 

f:id:mqchaso:20200920220625j:image


4歳向けの絵本にして、大人への挑戦状にも思える、この「たんぽぽ」という作品。

知っているようで知らない、「たんぽぽの世界」があますことなく描かれているのです。

 


にくいのが、たんぽぽなんていう、超身近な植物がテーマになっていることです。

例えば、宇宙がタイトルのトリビア絵本なんて、「へぇー」して当たり前なんです。

みんな宇宙のことなんて知らないのですから。

でも、たんぽぽ、というのは虚を突かれたテーマです。

たんぽぽってその辺に生えててどこにでもいる、いうなれば雑草です。

たんぽぽの綿毛を、「ふぅー」としたことのない人間なんてこの世にはいないでしょう。

 


そんな身近すぎるたんぽぽに、「へぇー」ボタンを押させるのだから、実力のある絵本なわけです。

 


圧巻は、根っこが描かれたページ。

たんぽぽの根っこってこんなことになってたんだ、と驚かされるばかりです。

 


さらには、根っこを切って、土に再度埋めるとどうなるか? 理科実験みたいなことまで、さらっと絵本の中でしています。

これはもはや、この凄さが4歳にわかるのか、といった内容です。

 


この現象を、ちゃんと習うのは高校の生物でしょう。

その内容がさらっと、描かれているのです。

まいりました。

 


すごい作品だなこれは、と思っておそるおそる裏面の著者ページをみると、

書いてありました。

 


京都大学名誉教授監修。没2002年。」

 


なるほどこれは不朽の名作です。

 


京大監修ですから。

たかが絵本に本気出しすぎだろうと思います。

 


でも、たかが絵本であっても、身近な物事に、深い掘り起こしをしていくこのシリーズの凄みには、やっぱり京都大学の力が背景にあったんだ、と妙に納得もしてしまいました。

 

 

 

たんぽぽだけではありません。

 

 

 

スズメもあります。

街で見かけるスズメ。

これも、やっぱりあなたはどれくらいスズメのことを知っていますか?

と聞かれているようです。

 

f:id:mqchaso:20200920220655j:image


スズメは、たんぽぽほどインパクトはないものの、ちゃんとスズメのイロハを教えてくれます。

 


「スズメって何を食べているの?」

 


そんな子供からの素朴な疑問に皆さん答えられるでしょうか?

この絵本は、わかりやすいビジュアルと共に、サラリと答えてくれます。

ビジュアルの力はすごいです。

虫を食っていると想像できる人は多いでしょう。

でも、どんな虫を食べているのかまで、的確に言える人は少ないのではないでしょうか?

 


そこを突いてくるのが、この「かがくのとも」シリーズなんです。

だんだんと恐ろしくなってきました。

 


あとは、生き物シリーズばかりではありません。

水道をテーマにした絵本もあります。

 


水道も、身近でありながら、地下を通っていますから、本当のところはどうなっているかわかりません。普段目の見えないところに焦点をあてる、このかがくのともシリーズにはやはり脱帽してしまいます。。

 

 

 

「絵本で一番おすすめのものは何か?」

今この質問を投げかけられたら、間違いなくこうおすすめするでしょう。

「かがくのとも」シリーズです。

なぜなら大人も子供も楽しめる作品だからです。

 


なまじ知識がある分、もしかしたら子供以上に、大人の知的好奇心を引く作品になっているかもしれません。

 


まずは、このかがくのともシリーズの中でも、一番の最高傑作「たんぽぽ」を手にとって読んでみてはいかがでしょうか?

新しい知への扉が開くきっかけになるかもしれません。

 

連休中は不安の種に水をやろう

f:id:mqchaso:20200919210339j:image

「このままではマズいですよ。」

連休前、金曜日の夜、管理部門の社員が言った言葉は、連休の間、ずっと私の頭に残っていました。まるでそれは頭の中のシコリのようでした。

 


私が進めている事業の進捗が思わしくなく、スケジュールの遅れが決定的になっていたのです。

事業が遅れているのは分かっていました。

でも、他にもたくさんの案件を抱えていて余裕がなく、半ば見て見ぬふりをしてしまっていました。

 


ずっと魚の小骨が喉につかえているかのような不快感、不安の種が頭に埋め込まれたような感覚を感じながら、日々を送っていました。

 


心の中で、無かったことにできないか。

このまま時間が解決してくれないか。

淡い期待を抱いていました。

完全に甘い見込みでした。

 


そして連休前。

スケジュールの遅れが管理部門の部署に知られてしまったのです。

 


不安の種は、ついに芽を出してしまったのです。

それも連休前の金曜日の22時頃でした。 

明日からは連休。

家族との旅行を計画していました。

 


どんなに頑張っても、リカバリーできないことはわかっていました。

事業を進めるのに、手続き上どうしても必要な期間があることがわかっていたのです。

事業の遅れを取り戻すことはできない。

 


問題は、それを社内的にどのように説明するか? にシフトしていました。

そのイケメン担当社員は

「やばいですよ、どう説明するんですか?」

「○○を理由に説明するしかないか」

と矢継ぎ早に口にします。

 


年下のイケメンに煽られたり、詰められたり、かと思えば、助け船を出されたりして、

私は半ばパニックになっていました。

 


パニックになっていたのを見たのか、イケメンは「週明け私が説明しておきます。」

 


「なんだ、最終的にはいいやつじゃん」

私は心の中で思いました。

イケメンに揺さぶられた心は、イケメンによって落ち着きを取り戻したのです。

 


しかしながら、この週末、芽が出た不安とともに過ごさなければならないのは苦痛でした。

せっかくの家族旅行。

楽しみにしていた家族旅行。

子どもがまだまだ小さいのに、コロナ禍もあいまって、約1年ぶりの家族旅行でした。

 


にもかかわらず、僕の頭の中では、イケメンに言われた言葉がぐるぐると回っていました。

 


あーやばい、どうしよう。

でも、説明してくれると言ってくれたから大丈夫。

でも説明がつかなかったら、やっぱりやばい、どうしよう。

 


折角の旅行も、チラチラと、連休前金曜日の夜の出来事がフラッシュバックされ、集中できません。

 


ため息も出ていたかもしれません。

ボーッとしている時も多く、家族にも気付かれたかもしれません。

 


今は、温泉旅行中、仕事のことは忘れよう。

そう思って、何度も何度も頭の中から仕事のことを忘れようとしますが、うまくいきません。

 


不安の種は芽だけでなく、しっかりと頭に根っこもおろしてしまったようです。

 


初日旅館について、温泉に入ります。

旅行の工程も、もはや3分の1を過ぎようとしています。

 


うん、どうしたものか。温泉の湯に浸かりながら考えました。

その時、ちょっとした閃きがありました。

 


頭の中をぐるぐると巡って消えないのなら、いっそ徹底的に向き合ってやればいいのではないか。

 


私はお風呂を出ると、持ち歩いていたiPadで、「事業進捗の遅れについての理由書」とタイトルをつけてテキストファイルを開きました。

 


もし、こう言われたらどうしよう?

こう返されたら、どうしよう?

 


いろんなQを想定して、ファイルの中に書き込んでいきます。

もちろん、旅先のことなので、バックデータを確認できないところもありました。

そういう部分は、週明けに確認すべきことリストとして、メモをしておきました。

 


休日で仕事できないからと、放っておくことで頭を悩ませるなら、休日でも出来ることをできる範囲で向き合うことにしたのです。

こうやって向き合うことで、休日中にできること、週明けに行うことが明確になりました。

 


そうすると、ふっと肩の荷が降りたような、不安が解消されたような感覚になったのです。

 

 

 

 


それからは、随分と気が楽になりました。

約一年ぶりの旅館の料理は格別の味でした。そして何より家族のみんなと笑って過ごすことができること自体が幸せでした。

お酒の入ったこともあり、その日はぐっすりと眠りました。

 


そして連休明け。

イケメンに旅館で作った資料を渡しました。

「ありがとうございます。これで説明してみますね。」

 


社内的にはこれで合意を得ることができました。一件落着したのです。

 


旅館で仕事したことは、正解でした。

普通、休日返上で仕事することは、わりと古い時代の美徳だと思ってました。

でも、私の中で今回のこの件は、仕事に向き合うことで、不安の種に水をやり、肥料を与えるようなものでした。

仕事というよりは、休日を充実させるために必要な心のマネジメントだったのです。

 


不安の種をそのまま放っておいても、それは不安のまま変わりません。

でも、芽が出た不安のお世話をすれば、それはいずれ花が咲き、実になります。

どんな不安からでも、ちゃんと成果を得ることができるのです。

 


連休を、仕事で不安な状態で過ごす皆さん、あるいは週が明けるのが不安な皆さん。

ぜひ、不安をないものとするのでなく、むしろ向き合って、「今」出来ることをすることで、少しだけでも気が楽になります。

 


是非実践いただきたいと思います。

映画ドラえもん のび太の新恐竜で親の心を鷲掴みにされた話

 

 

はじめは、子どもに付き合ってるだけのつもりだったはずが、最後には完全に感情移入してしまいました。

映画「ドラえもん のび太の新恐竜」の話です。

 

白状すると、年甲斐もなく涙を流しそうになってしまいました。

 

「年甲斐もなく」

実のところ、本作にこの言葉は当てはまらないのではないか。最後まで観てそう思いました。

 

それは本作は、完全に大人をターゲットしていたからです。

ですから、「年甲斐もなく泣く」という表現は間違っています。

相手は、本気で大人を泣かせにかかっているので、年齢不相応を表す「年甲斐」という言葉は当てはまらないのです。

 

思えば、そんなことはじめから気がつけることだったのかもしれません。

なぜなら、本作の映画主題歌は、Mr.childrenでした。

その時点で気づくべきだったのです。これが大人向けの映画だってこと。

 

ミスチルなんてデビューから30年近く経っている今やJPOPの大御所です。

私も大好きなアーティストです。

でも、デビュー30年ですよ? 

明らかにドラえもんを好んで見るであろう小学校をターゲットにしていません。

その親世代を見据えたミスチルの起用です。

 

 

子どもが観に行くのに親も同伴する。

であれば、大人も楽しめるエンターテイメントにする必要がある。当たり前の話でした。

その広告塔にミスチルがなっているのです。

 

 

ドラえもんは、CMでガンガン流れていました。

娘が学校で、ドラえもん観た観てないの話になったのでしょう、家で四六時中ドラえもん観にいきたいと騒いでいました。私はまんまと、ミスチル主題歌だし、付き合ってあげるかとなったのです。

 

休日の映画館。私は小学生の長女レイちゃんと次女アスカちゃんと一緒に映画館に向かいます。さすがのドラえもん

コロナで一席離して、座席が販売されていたこともありますが、ほぼ満席状態でした。

私ら3人は、一番前の席で観るはめになりました。

 

 

何年ぶりかな、映画ドラえもんなんて、思いながらライトな気持ちで鑑賞していました。

映画の内容に期待していませんでしたし、土日で眠たいし、映画館で暗いことを良いことに昼寝しようとさえ思っていました。

 

でも、予想以上に見入ってしまいました。

単純に大人が見ても面白い作品になっていました。いや、大人だからこそ面白い作品でした。

本作は、宣伝で大人を呼び込もうとしているわけではない。

ストーリーで、完全に親の心を掴みにきている。そう感じたのです。

 

本作は、前半と後半に別れます。

前半は、恐竜の卵から返ったミュウとキュウの双子の恐竜を、のび太が親が代りとなって育てるパート。後半は、自立しつつある双子の恐竜を、元の恐竜の時代に戻し、別れを告げるパートです。

 

 

前半は、のび太が育てたことのない恐竜を、育て方をいろいろ調べたり聞いたりしながら、なんとか命をつないでいく話です。これは、はじめて子どもを育てる親の姿そのものです。子どもに対して無償の愛情を向けるのび太の姿に、自分の経験を重ね合わせた親は多いのではないでしょうか?

 

そして、後半の出来そこないだった恐竜がついに独り立ちしていく話。

よくある話といえばよくある話。ですが、今ここで劇場に足を運んでいるのは、まさに小学校低学年くらいの出来ることがどんどんと増えって言っている学年です。

そして一方、たくさんの壁にぶつかり始める年齢でもあります。得意不得意が徐々に分かれ始める年齢だと思うのです。

自立に向けて努力するけど、うまくいかない子どもが、努力でなんとか羽ばたけるようになる。

そんな年代を育てる大人にとっては、まさしく琴線に触れる映画になっていました。

 

これも完全に親世代をターゲティングされた設定だと言わざるを得ず、落涙を我慢するばかりだったのです。

 

子どもの成長、そして出来損ないと思われた子の努力が生命の進化につながる。

そんな壮大なドラマで、ドラえもんは大人の心をくすぐってきました。

ほら、これは今劇場に来ている、あなたとあなたの子どものストーリーだと語りかけてくるのです。どうしたって感情移入させられる作りになっていたのです。

 

 

そして極め付けは、大人も納得のストーリーテリング

前半に散りばめられた伏線が、ややわざとらしいものも含め、鮮やかに回収されていく様は小学生向けと侮れない作りになっています。

 

タイムトラベルと歴史改変、現実の進化理論について、ドラえもんなりの解釈でエンタメ化しているのも上手いと思いました。

タイムトラベルの要素も含めて、ドラえもんのび太の行動が、歴史を改変することなく、でも進化の歴史に答えを与えたのは、進化について知識を持っている大人も納得の設定だっと思います。

 

 

いろいろと書き連ねてきました。

でも、ひらたくいえば、今回のドラえもんは「大人も子どもも楽しめる作品」だということです。

 

いや、もしかしたら今までの映画ドラえもんシリーズは全部そういう思想だったのかもしれません。私が知らなかっただけで。

 

今回はのび太の新恐竜といタイトル。以前に「のび太の恐竜」という映画で大ヒットを飛ばしていたことを考えると、本作は、特に気合の入ったタイトル、それゆえの高クオリティだったのかもしれません。

 

いずれにせよ、ちょっと過去作も見返したくなるようなくらいには、私にはとても良い作品に感じました。

 

広告塔のミスチルで、のこのこ映画館に足を運んだ私は、まんまとドラえもんファンになった話でした。

周りに聞いていると、結構大人でもドラえもんファンって多いので、今後もリサーチ対象で注目していきたいと思います。

 

 

 

 

ブログをはじめた理由

f:id:mqchaso:20200913191514j:image

「もきゅちゃそさんの人生順調ですね。」

三人目の子供ができた時、職場の後輩に言われた言葉です。

 


就職し、2年目に結婚。

結婚して、1年後に第一子誕生。

その後、6年の間で昇進も果たしながら、第二子、第三子も生まれる。

 


確かに、はたから見れば私の人生は順調に見えるかもしれません。

 


でも一方で「人生順調」という言葉に強烈な違和感も覚えていました。

就職、出産、昇進。

どんなに人生のステージが進んでいたとしても、心の中は満たされない思いでいっぱいでした。

 


仕事や家族に不満があるわけではありませんでした。

 


家族はかけがえのない存在です。

仕事で辛い思いをした時、なんとか立っていられたのは、家族のおかげでした。

毎週月曜日、仕事場ではじめにすることは、スマホで家族の写真をみることです。

 


仕事も、労働時間的にはかなり忙しい方ではあります。

でも、上司や同僚には今のところ恵まれていて、いわゆるブラックなんていう環境ではありません。

 


でも、心は満たされない。

原因はわかっていました。

自分の時間が取れないことです。

仕事に行き、仕事から帰ってきたら、子供たちのお世話をする。

子供たちを寝かしつけたら、一緒に寝て過ごす。

仕事が忙しいときは、家に帰って、寝るだけ。

 


休日だって、子供たちがいる間は自分の時間なんてとれません。

本やPCを開こうものなら、子供たちが近寄ってきて、「遊んで」の嵐です。

別に子供たちと遊ぶのが嫌なわけではない。

でも、自分のしたいことが邪魔されるのはストレスでした。

 


そんな日常を走り続けていると、気がつくことがありました。

 


一生懸命走っているこの道は、本当に自分が走りたかった道なのか。

 


確かに、走っていて、忙しくなると、ランニングハイになる。

そんな今の人生にも、それなりの心地よさがある。

お金に困っているわけでも、人間関係に悩まされているわけでもありません。

一方で、本当に自分がしたかったことは、忘れてしまいました。

まだ見つけられていない、と言った方がいいかもしれません。

 


でも、自分がしたかったことを思い出したとして、分かったとして、

私には、私の人生を止めることはできないと思っていました。

 


立ち止まって、他の道を探す余裕なんてなかったのです。

 


安心なこの道を外れ、新たな道を歩むには、オフロードや森に進むしかない。

そのためには、今の仕事や家族に犠牲を払わなければならない。

その勇気が自分にはありませんでした。

自分が進みたい道を進むには、他の何かを犠牲にしなければならない。

そんな気持ちに苛まれていました。

 

 

 

天狼院書店のゼミを、申し込んだのは、2019年の年末でした。

きっかけは、Facebookの広告でした。

天狼院書店のライティング・ゼミは、「人生を変える」をうたっています。

なるほど、人生に悩んでいた私はFacebook広告でターゲティングされていたわけです。

 


Facebookから飛んだ講座紹介のページ。

講座文にしては、恐ろしく長く、それでいて読ませるその文章に導かれ、

私はごく自然な流れで申し込みページに至っていました。

年末で何かをはじめたいという衝動にも駆られていたのかもしれません。

 


でも、そのときは気付いていませんでした。

「人生は変わるかもしれない」、と思えるほどの心の変化があることに。

ゼミをきっかけに、自分の人生と、否応なく向き合うことになったからです。

 


どういうことか?

 


ライティング・ゼミは主に二つの要素でできています。

一つは、ライティング・スキルを教える講座。

店主の三浦さんが教える講座はわかりやすく、何より、その気にさせます。

回を重ねるごとにのめり込んでいきました。

 


でも、それはライティング・ゼミの一面に過ぎませんでした。

もうひとつの側面こそが、ゼミの真髄とも言えました。

 


それは、課題投稿のフィードバック。

もっといえば、課題投稿そのものと言っていいかもしれません。

 


ライティング・ゼミでは、講座の間、毎週2,000字程度の記事を提出することが求められます。

課題を、ゼミの講師陣が確認、フィードバックされ、公表に値すると判断されたら、天狼院書店のWebページにアップされるというものでした。

私は2ヶ月コースだったので、毎週一回の合計8回、課題を出しました。

 


毎回、一番の悩みは、「記事のテーマをどうするか」、でした。

記事にするネタに困ったときは、過去に起こった、心が動いた瞬間を記事にしてきました。

私は、知らず知らずのうちに、自分の人生の棚卸しをしていました。

 


こどもがはじめて自転車に乗れたとき。

大変なイベントを苦労して、達成したときの話。

自分の親を誇りに思ったときの話。

映画を観て感動したときの話。

 


まるでそれは、自分の人生の総ざらいでした。

 


課題の提出を通じて、自分の人生と向き合い続けたのです。

その結果、見えてきたものがありました。

 


育児も

仕事も

趣味も

 


これまで過ごしてきた自分の人生すべてがとても愛おしいということ。

そして、これからも、この人生を大切にしていきたいと思ったのです。

自分が人生をこれから全うするなかで、何かを犠牲にする必要なんかないと気づきました。

 

 

 

よく、ワーク・ライフ・バランスという言葉があります。

現代に生きる人にとっては、スタンダードな考え方かもしれません。

でも、実はちょっと違和感もあります。

バランスという言葉からは、シーソーのように、どちらかに重きを置いたら、どちらかは軽んじられる、そんなことを連想してしまいます。

 


仕事に一生懸命な人は、家庭を犠牲にする。

だから、仕事も家庭もほどほどにしましょう。

 


そんなイメージを、この言葉から受け取ってしまうのです。

でも、私は違うと思った。

ライティング・ゼミの人生棚卸しを経験して思ったのです。

 


ワークもライフも妥協したくない。

 


仕事も、趣味も、家庭も育児も一切の妥協をすることなく、人生を充実させていきたい。

仕事か家庭かそのどちらを犠牲にするような、人生にはしたくない、そう強く思ったのです。

 

 

 

どうやってどちらも両立させるの?

自分の時間が取れないことが苦しみの原因だったのでないの?

家庭か仕事かどちらか犠牲にしなくては、自分の時間が取れないんじゃないの?

 


そう思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも不思議なことに、ワークもライフも妥協しないと決めたその瞬間から、心の持ちようが変わったのです。

 


その瞬間から、人生はプロジェクト化されました。

それまでは、育児や仕事は嫌な時間。嫌な時間のスキマ時間を作って、自分の趣味に当てていました。

でも、今では、育児も仕事も趣味も人生のプロジェクトの一部となったのです。

嫌な時間からプロジェクトの一部、人生を前に進めるために必要なタスクだとおもえば、心の持ちようは変わります。

やっていることは変わらなくても、その時間の充実具合は変わるのです。

 


たとえば、子供と遊ぶ時間ひとつとったとしても、どうしたら子供が喜ぶか、考えて遊ぶことで、子供にとっても、大人にとっても、どちらにも有意義な時間に変わりました。

 


ワーク・ライフ・バランスでなく、

ワークもライフも充実させるワーク・ライフ・プロジェクトに取り組む。

 


言葉以上にその実践は難しいと思っています。

仕事、育児、趣味を全部充実させようと思ったら、心の持ちようだけではカバーできないこともあるでしょう。

 


ここまできて、ようやく本題です。

 


なぜ私がブログを書くのか?

それは、自分自身が、いかにして人生を充実させるか。

その実践の過程をブログでつづることで、みえる化したい。

外からみて人生が順調に見えるだけでなくて、ちゃんと心も満たされたい。

 


もしかしたら、同じことで悩んでいる人がいるのならば、少しでもその人に参考になれば良い。

 


そんな思いで、このブログを立ち上げるのに至りました。

 


自分の人生には、三つのカテゴリーがあると思っています。

それぞれをこのブログで発信してまいります。

 


一つは趣味。カルチャーライフです。

私が、趣味としている映画や菜園(アグリ・カルチャー)の発信をしてまいります。

私の人生に大きく影響を与えている二つのカルチャーを紹介しながら、皆様にも楽しんでもらえたらと思っています。

 


二つ目は、育児。

私は現在、三人の子供を育てています。(上から、女、女、男)

働きながら子供を育てるのは大変なことです。

しかも、妻も私も実家が遠く、普段あまり頼りにすることができません。

そんな三人の育児を全うするために、私が実践してきた育児のプロセスや家庭教育の実践を紹介したいと思います。

 

 

 

三つ目は仕事術です。

趣味も、仕事も、育児も妥協しない。

ワークもライフも充実させる。

心の持ちようでそれは実現できるところもあります。

でも、それだけでは、ありません。

ワークもライフも、人生のプロジェクトととなり、ひとつひとつのやるべきことがタスク化されます。

それは、ビジネスの領域になります。

私は人生を回すため、つまり、趣味や育児を回すため、ビジネス書を読み漁りました。

そこで、私が普段の生活で実践している、人生をより効率よく回していくための仕事術も紹介してまいります。

 


仕事術でできた成果が、趣味や育児の充実となり、本ブログでの記事の発信につながります。

 

 

 

私のワーク・ライフ・プロジェクトはまだまだ発展途上です。

カルチャーを楽しみながら、「口笛を吹くように」毎日を暮らす。

そんな心豊かな生活を送る「Whistle  Culture  Life」の実践を発信してまいります。