三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ フロム京都

三児 レイ アスカ シンジを育てながら、スキマ時間でカルチャー情報を発信。働き方改革時代の心豊かな生活をお届けします。

映画ミッドサマー感想レビュー ホラーのジャンルを借りたセラピー映画でした

 

本投稿では決定的なネタバレは避けていますが、ストーリーに触れていますのでご注意ください

 

あぁ私はきっと、この監督の新作が出る度に映画館に足を運ぶことになるだろうな。

そしてその度に、生涯記憶に残るトラウマシーンを積み上げていくことになるんだろうな。

 

私がミッドサマーを観た直後の感想でした。

アリ・アスター監督の前作「ヘレディタリー/継承」は強烈な印象を残していました。

本作も、フェスティバルホラーと銘打たれた本作の予告からしてすでに、タダごとでない雰囲気が出ています。前作ですでに築いていたブランドもあいまって、ミッドサマーがやばそうな作品だということは事前に予測できたのです。

 

 

 

Hereditary

Hereditary

  • 作者:Ari Aster
  • 出版社/メーカー: Independently published
  • 発売日: 2019/03/21
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 

実際に観た結果、ミッドサマーは「ヘレディタリー/継承」の正統進化だと感じました。

ヘレディタリーを特徴づけるのは、トラウマシーン、家庭関係のギクシャク、そして開いた口が塞がらないラストの展開です。

ミッドサマーではその全てが描かれています。

 

前作はもう少し、ホラーというジャンルの枠組みに忠実でしたが、今回はホラーを超えています。描かれていることの骨組みは前作と同じですが、その骨一つ一つは、より鋭くとがっていて、我々観客に突き刺さってくるのです。

 

冒頭の電話シーンが人間関係の説明であり極上のサスペンス

 

物語は、主人公のダニーが三人の人に電話するシーンからはじまります。

この冒頭シーンが秀逸なんです。この三人への電話は、登場人物の人間関係の説明になっていながら、ホラー特有の緊張感もあるのです。観ているあいだ、ずっと悪い予感しかしない、張りつめた緊張感です。

まずは、ダニーからお父さん、お母さんへの電話。このシーン、本当に薄暗くて何がうつっているのかほとんど分からないほどです。予告の雰囲気から「明るいホラー」なんて言われる本作ですが、実は冒頭は暗いシーンが続きます。なにがうつっているのか、分からないのはほとんど意図的なのでしょう。後から分かるショッキングな事実を分かった上で、このシーンを思い出すと背筋が凍ります。

 

次はダニーから、恋人クリスチャンへの電話。

ダニーがクリスチャンに、妹との連絡がつかないことに対して不安な思いをぶつけるも、ほとんど取り合ってくれません。ここでは、恋人との噛み合わない会話が描かれるのです。ここも会話だけで二人の微妙な距離感を描き出す名シーンになっています。

 

最後はダニーから友人への電話。

ここは先ほどのクリスチャンへの電話への解き明かしの電話になっています。

クリスチャンに対して頼りたいけど、頼りすぎると面倒臭い、重い女性と思われるのではないか。そんな板挟みな感情をダニーが抱いていることが分かります。

 

この電話シーンは、いずれ劣らず良いシーンで、ここでの人間関係紹介が最後の最後まで重要になってきます。ラスト、ダニーの笑顔の理由になっているともいえます。

 

そして冒頭シーンのラスト、これまでの張り詰めた緊張感が一気に解き放たれるかのように、一家心中のシーンが描かれます。ものすごく悲惨なシーンなのに、ある意味サスペンス状態から解放される感覚もあるので、不思議です。もう緊張しなくて済むんだ、という感覚です。それくらい、電話のシーンの緊張感があったということでしょう。

 

それ以降も、主人公ダニーとクリスチャンとのすれ違いが続きます。クリスチャンはダニーに内緒で民俗学(?)専攻の大学仲間と一緒に、スウェーデンの特別なお祭り、夏至祭に行く計画を立てていたのです。結局、ダニーも一緒に夏至祭が行われる村に行く事になったのです。

ほとんど日の沈まない土地で9日間に渡って行われる夏至祭。そこでこれ以上ないくらい酷い目にあわされるというのが本作のメインストーリーになります。

 

わかりあえない文化が劇薬になる

 

おそらく、本作を観た後は、「他者の文化を受け入れる」なんて、おいそれと言えないでしょう。

本作で描かれる祭は、ほとんどフィクションなのでしょうが、それでも私たちの常識とはまるで違う民族風習はおそらく、全世界のいたるところに存在します。みんな違って、みんないい、なんて言ったりもしますが、本当に分かり合えないこともあるでしょう。

 

もちろん、自分とは違う風習、環境のコミュニティが自分の幸せにつながることもあります。

それがこの映画ではそれが描かれます。

本作は、主人公ダニーにとってのトラウマ、不安を解消するセラピーの物語となっているのです。

 

あれ? このお話は、主人公が、知らない土地のお祭りに行って、いろいろ酷い目にあうホラーじゃな買ったけ? 

 

それはそうなんです。酷い目にあうのはあうのですが、その先に幸福が待っているんですね。まさにラストの開いた口が塞がらない展開が待っているのです。これは前作「ヘレディタリー」でも描かれたことです。

 

ゾンビからどうやって逃げよう。ジェイソンはどうやったら倒せるか。

いつものホラーであれば、酷い目にあったら逃げるなり、闘うなりします。そして、主人公がいかに最悪の状況から脱出するかが描かれるのです。本作ではそうではなく、酷い目にあい続けて、結果として、すっきり晴れ晴れすがすがしい高揚感でもって締め括られるのですね。なんとも表現し難いカタルシスです。

この辺りは、他のホラーでは絶対に見られない「アリ・アスター」監督らしさ、になっていると思います。

 

先鋭化されたトラウマシーン 「崖」と「SEX」

 

アリ ・アスター監督らしさといえば、トラウマになるようなショッキング描写のうまさも挙げられます。前作ヘレディタリーでも、観た人誰もが語るであろう胸糞なシーンがありました。おそらく映画史に残るトラウマになるでしょう。

ミッドサマーでもそのセンスはいかんなく発揮されています。 トラウマ度で言えば前作に劣るかもしれませんが、よりアーティスティックに、よりバラエティに富んだシーン展開になっていると思います。

まずは、夏至祭と村の人たち、そのものがもはやトラウマです。

一見爽やかでニコニコなんだけど、どこかでず一つと嫌な気分が続きます。あのニコニコ笑顔と白い衣装の異質さが原因かなって思ってます。また今回、音楽も、嫌な雰囲気を出すのに、効果的に使われていたと思います。

よくあるホラーでかかってる音楽は一切使われてません。劇中、夏至祭で奏でられる音楽がそのまま映画の BGMになっているというのが面白いです。

 

村の人たちがかもし出す嫌な気分が、最高潮になり、やっぱりあいつらおかしかったと判明するのが「崖」のシーンです。 

ここは本作における明るいホラーの真骨頂といえます。

 あのシーンは本当に、途中から悪い予感しかしなかったです。もう村人がハンマー持っている時点でおかしいわけですよ。それで、事が起こった後は、もう見るに堪えません。

これもまた、絶妙なグロ描写になっています。

 

さんさんと輝く太陽の下で、はっきりとグロが見せ られるのです。

それはもう、体ってこんな風になるんだって感心するほどです。 グロの時間的には、短いのですが、はっきり見せられるので、吐き気をもよおすわけです。

 

そしてよりアーティスティ ックな領域に入ったトラウマシーンは、「SEX」のシーンです。

ここも観た人のだれもが、印象に残る場面になっていると思われます。

むしろここはギャグの要素が入っているとも言えます。 あんなシチュエーションで行う性行為は絶対に嫌だって感じです。

注目ポイントは、喘ぎ声です。喘ぎ声の合唱が本当になんとも言えない。施設の外からその

喘ぎ声の合唱が漏れ聞こえるシーンなんてほとんどギャグでした。

 

あとは、登場人物がある畜舎で処刑されるシーンも 挙げられます。

くわしくは語りませんが、今回奇祭をベースにしている分、ホラーシーンの描写のアイデアが豊富に詰め込まれているのが見ごたえになっていると思います。

 

人間関係の積み重ねがカタルシスを生む

 

ホラーシーンだけでなく、本作ではちょっとした人間関係のギクシャクも絶妙に描かれているので、こうした人間ドラマを描くのも監督うまいんだなって感じさせます。

 

主人公ダニーとクリスチャンのすれ違い具合がうまいんです。たとえば誕生日を祝うシーン。 もう一日遅れな時点でやらかしているし、ライターで火がうまくつけないのも痛々しい。 心が離れているのに 、外側だけ取り繕ってもうまくいかないことが表現されています。

村の風習の取材中も、友人らの行方を心配するダニーを適当にあしらう感じが本当 、ダメ男だな一つて。

 

でも このダメ男描写の積み重ねが、ラストの思わぬカタルシスにつなが っているんだと思

うと本当に よくできていると思います。 

ちょっと欲を言えば、映画の中盤くらい、クリスチャンやジョシュが取材するシーンで村の風習の仕組みに勘づいてしまったので、ラストはヘレディタリーほどあっけに取られはしなかったです。

もう少 し慣習自体をツイストするか、村の慣習が分からないように 工夫できたら最高だったと思いました。

しかしながら、欲を言えばの範囲です。

トラウマシーン、人間関係のギクシャク、思わぬカタルシス、そのすべてがヘレディタリー から継承、進化させている という点でやっぱり今年外せない一本になっていると思います。

 

本作ディテールについても見どころがたくさん詰まっているのですが、HPで観賞後の人向けのページが公開されているので是非チェックしてみてください。

 

www.phantom-film.com

 

アルキメデスの大戦 感想レビュー 日本大作映画と思ってみたら予想外の傑作でした

 

 

「人は期待が大きければ、大きいほど、失敗した時の絶望も大きい」

これは意訳ですが、本作の劇中で田中泯演じる平山中将の台詞です。

 

映画一般についても同じがことが言えると思います。

観た映画を面白いと思うかどうかは、観る前に、その映画をどの程度期待しているかによります。期待が大きければ大きいほど、そのハードルは上がります。

 

逆に、そこまで期待していなければ、予想外の面白さに出会うこともあります。アルキメデスの大戦はまさにそんな映画で、期待していなかった分、面白かったことが嬉しくて、観終わった後しばらくこの映画のことばかり考えていました。

 

世間的にも、本作は、期待と映画の出来にギャップがあると評価がされています。

実は、映画に対する評価同様、この映画には、大きな物語の構造から細部に至るまで、いろんながギャップがあって、そのギャップこそが、この映画を面白くしているのだと感じています。

 

あらすじ

 

アルキメデスの大戦は、三田紀房による同名漫画が原作です。

実在の人物がキャラクターとして登場しますが、物語の内容はフィクションになっています。

日本がアメリカとの本格戦争に入る前の話です。

日本海軍の山本五十六(館ひろし)が「これからの戦争は戦闘機が中心になる」として、海軍が進めている大型戦艦「大和」の建設を中止させ、「大和」建設計画の裏側にある不正を正すために、天才数学者の櫂直(菅田将暉)を雇い入れるところから話は始まります。

 

冒頭・ラストが素晴らしい

 

まず、言いたいのは、始まりと終わり良ければ全て良し! ということです。

とにかく冒頭とラストが素晴らしいのです、この映画は。

もっと正確にいえば、冒頭・ラストと、それらに挟まれた真ん中のお話とのギャップが素晴らしさを際立たせています。もちろん、真ん中のお話部分が、本作のメインストーリーであり、それは良くも悪くも、よくある大作映画のつくりになっています。主人公の櫂直が、戦艦「大和」の事業費用がいかに低く見積もられていくかを暴いていくのです。

そこを暴くため、数々のハードルを乗り越えていく王道の物語です。

 

一方、始まりと終わりはシリアスでアーティスティックな雰囲気もあり、かつ私たち視聴者にも突き付けられるようなテーマ性もあり、単なる王道の物語にグッと深みを増す内容になっています。特に、冒頭の戦艦沈没のシーンは、アクションとして迫力があり、攻めた表現もされていて、テーマ性だけでなく、物語の伏線もあり、今後鑑賞者を物語に惹きつける名シーンになっています。

 

まずは、戦争シーン。戦艦がアメリカ空軍の戦闘機に押されていく表現が秀一でした。

戦艦と戦闘機のドンパチそのものよりも、そこで闘っている日本兵の挙動に焦点が当たっており、臨場感がありました。兵士たちのうめき声のような叫びは悲痛なものを感じさせましたし、砲台の仲間がやらてしまうシーンには、思わず目を背けたくなるリアルな表現もあって、戦争のおぞましさを一瞬で体感できるつくりになっています。

 

また、日本兵に焦点が当たっていると言いましたが、戦艦が沈没していくというスケールの大きさも十分表現されていて、戦闘兵への眼差しと全体のスケールが両立されているという意味でも素晴らしかったです。

 

さらには、大和の砲台で撃墜したアメリカの戦闘機から、米兵が脱出し、他の飛行機に救出される一連の流れも描かれているのも、秀逸でした。

アメリカ兵は撃墜されても救出される余地があるのと反対に、戦艦にいる日本兵には退路がないことが示されており、より日本兵の絶望が深くなることが分かりやすく描かれているのです。

また、このことは、これからの戦争における飛行機での戦闘が重要さを増すという、後の山本五十六の言葉にとても説得力を持たせたものになっているのです。

 

そして何より、この戦艦「大和」が沈没するというシーンは、計画通り大和が建設されたということを示しています。先ほどあらすじで語った、大型戦艦「大和」の建設を中止しようと頑張ったのに報われなかったことが映画冒頭で示されることで、後に語られるストーリーがどのような展開されるかが気になってしまうのです。普通は、この手の大作映画では、主人公が最後、大和の建設を防ぐことが出来ました、めでたしめでたし、のはずです。それが冒頭に大和が沈没することで、どう話が転ぶか分からない面白さが生まれるのです。

 

まさにこの面白さの部分がラストのどんでん返しに繋がります。

主人公の出す結論に胸を痛めることになるのです。

 

冒頭のシーンだけで、ここまで語ることができるほど、作りこまれていると言えます。

冒頭にこの映画のテーマから何から全てが込められているとも言え、このシーンがこの映画全体の格を上げていると言えるのです。

 

足で稼ぐ天才数学者

 

ところが、物語が始まると途端に雰囲気が変わります。

特に菅田将暉さん演じる櫂が登場する場面から急にリアリティがなくなるのに正直違和感もありました。

 

櫂の最初のシーンはお茶屋さんでの芸者遊びに興じているところに、山本五十六が出くわすというシーンです。ここは正直、リアリティに欠けるところがある、その後の視聴が不安になるほどです。

菅田将暉さんのイメージや演じる数学者の役どころからしても芸者遊びに結びつかなかったのです。例えば、

事情があると言っても、大学生が大枚はたいて芸者遊びするかなぁ、とか

芸者の胸の大きさを測ったりと、いくら数学者でもそんな趣味はないでしょう、とか

芸者遊びでセンスを飛ばして的を当てる遊びも、その場で計算して、見事的中させる。というのがそこまで数学って万能なのか? とか

 

 

山本五十六も五十六で、敵が考えている戦艦の建造計画の事業費の見積もりの根拠を調べ、不正を暴くために、櫂を雇うのですが、流石にそれは数学者ではおカド違いなのではないか、と感じるのです。

 

実際雇われてからの櫂は、天才数学者でありながら、「足」で稼ぎます。

戦艦の大きさを肌身で感じるために、戦艦長門の寸法を巻尺ひとつで手作業で計り出すし、見積もり算出の部材費の資料をもらうために、民間造船会社の社長に頭を下げます。

その姿は数学者というよりデキる営業マンだと思うほどです。

 

漫画の設定とは言え、天才数学者という肩書きが持つイメージと実際の行動とのギャップが映画が鑑賞をする上でのノイズになっていたのは間違いありません。

 

ただ、天才数学者という設定でなければ菅田将暉のように若く、軍部の息がかかっていないキャラを引きずり込むという理屈が取れないと思うので仕方がないのかなとも思えます。

 

何より、お話の展開としては、天才数学者というノイズを差し引いても、半沢直樹的な逆転劇含めて極めて王道のストーリーで、楽しめる内容になっています。

 

半沢直樹的王道ストーリー

 

まずは、お約束の、時間やルールによる制約です。

絶対に期間内に見積もることは出来ないという制約が面白くしている上に、敵側の都合で締め切りが前倒しされるなどの絶対絶命の演出が、王道ですがハラハラさせますし、櫂の世話役にあてがわれた柄本祐演じる田中正二郎を通じて描かれる、軍部内の規律や厳格な上下関係も見どころです。

特に田中と櫂のはじめの上下関係という隔たりのある関係から、共通の目的に向けて相棒同士になっていく様は観ていて気持ちの良いものでした。

 

そして、ラストの対決である会議シーンはまさに半沢直樹的と言える逆転に次ぐ逆転で観る人を引き込むものになっています。

 

この映画が恐ろしいのはラスボス平山忠道の存在です。

敵側の造船責任者ですが、対決の会議シーンでは、初めから最後までほとんど台詞発しません。メガネをかけているので、はじめ気づかなかったのですが、田中泯さんが演じているんですよね。

 

田中泯さんの顔の迫力で、何か様子がおかしいと思っていると、「何が悪い」の一言でこれまでの会議シーンでの戦いの潮目が完全に変わります。ラスボスの登場です。これまでの王道路線の流れがここで一気に変化がつくのです。

 

そして会議シーン後のラストのラストには、さらに一歩踏み込んだ平山と櫂との会話が絵が描かれます。これまでの展開をひっくり返すような、櫂の気持ちの揺れを描いた名シーンになっていると思います。ここもやはり、平山の歴戦の軍人による説得力が重みをつけます。

もうここまでくると櫂がやっぱり子どもに思えてくる(実際大学中退)から不思議です。

子供が大人を厳しく諭すのです。

はじめに、櫂が出てくるとリアリティが下がって違和感と言いましたが、言い換えればリアリティの無さはいわば子供っぽいんですよね。この子どもっぽい作りの語り方とオープニングとラストの重厚さとのギャップが、より映画全体の深みが増すので、中盤の王道の作りはギャップを作るためのあえての演出とさえ思えてきます。

 

 

とにかく日本の戦争大作映画と思ってみると良い意味で裏切られますし、映画内にも散りばめられた数々のギャップがこの映画のミステリー性やテーマの厚みを生み出している、実は緻密に作られた作品になっています。

 

きっと三田紀房先生の原作漫画はもっと戦争ミステリーとして色んな発見がある作品だということがこの映画ひとつで想像できます。次は原作映画に挑んでみたいと思います。

 

 

フォード vs フェラーリ レースの見方を180度変えてくれた作品ー男たちの熱い熱い闘い

 

 

 

レースの見方を180度変えてくれた作品

 

ル・マン24時間耐久レースと聞くと、大学の頃を思い出します。

サークル内にレースの熱心なファンがいたからです。

さほど興味もなかった私も、レースのテレビ中継を見るからと誘われ、夜な夜な友人宅に集まっていたのを覚えています。

 

はじめて観た時は、「意外に地味だな」っていう印象でした。

1分1秒を競うレースでありながら、延々と同じコースを周回するので、思った以上に単調なレースシーン。それでも見ているとマシントラブルや抜いたり抜かれたりがあったりと盛り上がる部分もあるので,BGM的に流し見する分には良いかな、そんな印象だったのです。

 

そんなル・マンに対する舐めたイメージを180度ひっくり返してしまう映画が

「フォードvsフェラーリ」なんです。

 

映画冒頭でも語られるエンジンの回転数が7,000を超える世界。

エンジンの爆音,溶けていく景色、一瞬の判断で行うドライビングスキル。

その一端を体感できる映画になっています。

その世界の存在を知らずしてル・マンを観るのは、ルールを分からずに野球を観るのと同じだと感じました。

 

地味だなんて言ってすみません,と言いたい。

めちゃめちゃ熱い世界でした。

そして映画本編はもっともっと熱い,男たちの闘いを描いた作品でした。

 

あらすじ

 

この映画は実話にもとづいています。

自動車産業最大手のフォードがレース業界に参入、フェラーリの買収を試みるも失敗したことをきっかけに,妥当フェラーリを目指す話です。フォード社は元レーサーでレースカーのプロデューサーのキャロル・シェルビーを雇い,レースカーを自社開発。キャロルは荒くれものだが敏腕のケン・マイルズをレーサーに迎え,ル・マンでの勝利を目指します。

 

あらすじだけを聞くと、確かにフォードVSフェラーリなのですが、この映画では様々な闘いや対立が描かれています。そこに、色々な人間ドラマが練りこまれているのです。

 

ハリウッド版の半沢直樹

 

まずは、フォード内での対立の話。

キャロル・シェルビーとフォード副社長との闘いです。この部分が本作がハリウッド版半沢直樹と言われるゆえんでしょう。

副社長は、ケン・マイルズのことを良く思っておらず、わざとレースのメンバーから外したりと露骨な嫌がらせをしてきます。キャロルからすれば、ケンは単にレーサーであるだけでなく、レーシングカーを一緒に開発している仲間です。マシンのことを良く分かっているという意味においても、ケンをかなり信頼しているので、次のレースでは、ケン・マイルズを選んでもらおうと、ある方法で社長を直々に説得しようとたくらむのです。

 

そのある方法というのが、言葉でなくレーシングカーの凄さだけで説得させるやり方になっていて、描き方としてとてもうまいんです。

さらにうまいと思ったのが、社長が説得させられるのと同時に映画を観ている我々も説得させられるということです。スクリーンを通じて、社長と同じ経験を疑似的にするのです。

映画のその場面において、社長と私たちのレーシングマシンに対する理解は同じです。レーシングカーなんてただの早い車でしょう、なんて思っているとバカをみます。

普段乗っている乗用車とは根本的に車のつくりが違うし、スピードの感じ方も違う、運転にしても全く違うスキルが要求されます。そのことが実際の乗車シーンを通じて体で感じることができるのです。この場面は、映画館の爆音さらには4DXなどでみるとより感じられる名シーンになっていました。

 

このシーンに限らず、本作は車のシーンが本当にすごい。

観ているこちらの息が苦しくなるほどのスピード感を画面で感じられるからです。運転手や車のタイヤ目線で見せられるカメラアングルのおかげだと思います。

これは,冒頭紹介したテレビ中継の上から見た視点と比べていただければ、臨場感の差は歴然です。これこそ映画でしかできない体験でしょう。

 

キャロル・シェルビーとフォード副社長との闘いは全編を通じて描かれています。ハリウッド版半沢直樹と言われるのも納得ですが,ラストは「倍返し」で終わらず、ほろ苦いシーンもあるので注目してみてください。

 

ケン・マイルズと家族の関係に男泣き

 

ケン・マイルズとその家族との関係性も見どころとなっています。

この手の映画には珍しくケンの奥さんは、レースヘの良き理解者でありましtこ。むしろ,ケンが二の足を踏んでいると、叱咤激励したは奥さんの方でした。

ケンの運営する自動車整備工場を続けないと、お金がない。そんなとき妻は家庭を重視して、仕事と家庭を対立させるというのがよくある構図ですが、この作品ではあえてそれをせずに 妻がケンを後押しする方向で描いているのが特徴的だと思いました。

 

このことは映画のラストで起こるショッキングな出来事への配慮であるともいえます。このとき、ケンのことであまりに家族と仕事の対立をあおると後味が悪くなりすぎるのを避けたのかもしれません。

 

奥さんついでに息子さんの話もしておきましょう。息子さんは、映画「ワンダー君は太陽」で主人公の親友役のあの子役。とてもキュートな少年です。

今回も犬顔なのもあいまって,お父さんであるケン・マイルズにころころとなついている姿をみていると顔がほころびます。

父親に対して非常に尊敬している一方,ケンがレースカー調整中の事故以降,途端に犬系の困り顔になってお父さんの仕事を心配しはじめるのがまたかわいらしいんです。

ケンと妻、その息子さんとの微妙な関係性の変化がよりケンの物語の厚みを増しているといえます。

 

受け継がれていく意志ースパナに込められた思い

 

そして終盤に至っては、ケン・マイルズの自分自身との闘いが描かれます。

ケン・マイルズはル・マンレースでの最後の最後にある選択を迫られることになります。その選択は、まさに男の選択。エンジン7,000回転以上の世界に至ったケンの孤独の闘いの末にみた結論を是非とも見届けてみてください。

 

最後にケン・マイルズとキャロル・シェルビーとの関係について触れます。このふたりは闘いではなく、同志として描かれているので、これで触れませんでしたが、スパナ演出がすばらしかったので一言だけ。二人の関係は,スパナで描かれます。キャロルが冒頭ケン・マイルズをレーサーとして迎え入れようと説得するときに、ケンが投げたスパナ。そのスパナはキャロルが受け取り,キャロルの会社に額にはめ込まれて飾られることになります。物語の最後の最後,そのスパナがどこに渡っていくか,見届けてこの映画は幕を閉じます。

 

レーシングカー以上に熱い男たちの闘いが描かれた本作。車に興味が無くても,その熱い世界に引き込まれること必至です。ジャンルで映画を食わず嫌いしたくない人にとっては売ってつけの作品です。

 

パラサイト 半地下の家族 イジワルなポン・ジュノ監督の最高傑作

今年入って一番楽しみだった映画「パラサイト 半地下の家族」を観てきました。

 

ポン・ジュノ監督最新作。 

カンヌ国際映画祭パルムドール受賞。

アカデミー賞作品賞最有力。

 

これだけで十分観に行く理由になっているでしょう。

みなさん! 観に行ってね! 

 

と、それだとブログ記事が終わってしまうので、本作品を鑑賞する上での魅力や鑑賞ポイントをお伝えします!

 

以下は基本はネタバレありませんが、ストーリーには触れていますので、ご注意ください。

 

 

万人におすすめするジャンル横断型のポン・ジュノ最高傑作

 

結論から言うと、冗談抜きでめちゃめちゃ面白い作品でした。

ポン・ジュノ監督最高傑作でしょう。

 

いつものポン・ジュノ監督らしく、ジャンルのごった煮になっています。

ごった煮なんだけど、ちゃんと娯楽作品として誰もが楽しめる作品になっています。

監督の作品は、ちょっと癖があるので、これまでの作品は、誰にでもお勧めするとという感じではなかったんですが、今回は間違いなく誰にでもお勧めできます。

 

それでいて、こんなの見たことない! って感じの作品に仕上がっているから不思議です。

 

麦茶と思って飲んでいると、中身がビールだったってことありませんか?

その感じに似ているかもしれません。

麦茶と思って、ビールだったら普通は割と怒るポイントかなって思います。

お店でそんなことされたら、クレームですよね。それが今回、麦茶もビールも美味しいし、そこが絶妙にバランス取れていて全体としても美味しいということになっているんです。

だから誰も経験したことがない味になっているんですよね。

 

 

パラサイト 半地下の家族のあらすじ

 

パラサイトは、主人公家族のキム一家の家から始まります。

韓国には、半地下の構造のマンションがたくさんあるみたいです。半地下の窓は、ちょうど外の地面と同じ目線の高さになります。外で立小便している人がいれば、家の中に小便が入り込んでしまうことも。面白いのは、トイレの位置。下水管の構造上、トイレが段差の『上』にあります。ですので用を足す時はトイレまで登って足すのですね。

 

半地下だから空気もジメジメしていて、あまり生活環境としては、よくありません。

だから住んでいる人も低所得者が多く、今回のキム一家もまさに貧困家族で誰も定職についておらず、内職でその日暮を行っています。

 

ある日、キム一家に転機が訪れます。長男に家庭教師のアルバイトの話が舞い込んできます。

しかもその相手は、高台の豪邸に住むパク一家のところの娘さんです。

お兄さんは当然貧しくて、学歴もないので、妹に在学証明を偽造してもらい、パク家族に潜入します。潜入し、パク家の家族の信頼を得たお兄さんは、次の計画を思いつきます。

同じように、みんなあの手この手で、妹、父親、母親も潜入していくのです。

 

貧乏家族が、金持ち家族に寄生(パラサイト)していくんですね。

これだけでも十分に面白い設定です。

バレるか、バレないかのハラハラが楽しめる作品になっています。

 

実際に、もしかしてバレてる? からの大丈夫でしたー。

っていう展開が何回か登場します。

 

ポン・ジュノのいじわる演出の数々

でも、それだけじゃない。

ポン・ジュノ監督は、イジワルな演出が多いんです。

母なる証明でも、明らかに観客にミスリーディンングを誘う演出が取られていたりしました。

 

今回もそうです。

 

中盤に、パク家がキャンプに出掛けるシーンがあります。その留守の中、キム家はやりたい放題なわけです。

 

ちょうど絵本で「めちゃくちゃるすばん」ってタイトルの絵本を思い出しました。親が外に出かけるのを良いことに子供がお菓子を食べ散らかしたりするっていうストーリー。それです。

キム家はそこにお酒も入るからタチが悪い。

そして外は大雨。もう、悪い予感しかしないわけです。

 

これまた意地悪な演出だから、キム一家が悠々と過ごす様子が、かなりゆったり描かれています。観てるこちらの方は、いつ帰ってくるんじゃないかとドキドキです。でも、ドキドキしているとさらにびっくりな展開が押し寄せます。

 

お話の展開と、ジャンルの飛び越えみたいなのが絶妙にマッチングしているんですよね。

ハラハラドキドキしていたかと思うと、急に社会的なメッセージをこちらに投げかけてくるような展開になったりと、とにかく色んなところでも言われてますが、先が読めないのです。

 

本作品は紛れもなく、「格差」が描かれています。社会的なメッセージというのはこのことです。

この格差は、作中で「高低差」として描かれています。

ベッドの上と下。階段の上下。ソファの上と階段の下。そして、高台と半地下……。

 

ハラハラドキドキもこの高低差を使ってたくみに描かれていますし、まさに格差を文字通り、高低差を使って表現されています。小さな段差から大きな街の構造、家族同士の上下関係まで、色んなものがこの高低差で描かれているので要注目です。

 

特に、途中高台のパク家から、半地下のキム家へと帰るシーンは、格差社会の現実を見せつけられる名シーンになっています。しかも、はじめに言ったジャンルの展開が一番スリリングになっています。それまでコメディ的にゲラゲラ笑っていたのに、主人公家族が急に陥る絶望と社会の現実を目の当たりにして、観ているこちらも気まずくなるようなそんな展開になっているからですね。

やっぱりポン・ジュノ監督はイジワルですね。

 

 

とにかくはじめから最後まで監督の企みに満ち溢れた今年文句なしの傑作になっています。

コメディで笑いもある。

家族愛に泣かされる。

ホラーでドキドキする。

サスペンスであっと驚かされる。

社会派で考えさせられる。

 

その全てが詰まった極上のエンターテイメントになっていますのでみなさん是非ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

新たな地理トークテーマ「かぶらライン」

うどん出汁、肉まん・豚まん、卵焼き・出汁巻き卵。日本列島東西を分かつ食文化というのはたくさんあります。

実は野菜の世界にもそんな野菜があるのです。

それはアブラナ科のかぶらです。

スープや漬物など多用途で使えるかぶら、南北に長い日本では、気候風土にあったいろんな品種が作られて来ました。その数なんと80種類。

そんなかぶらを、東と西を分けるのは、愛知、岐阜、福井を結ぶ線です。その境界線のことをかぶらラインといいます。

東の代表格は石川県の伝統野菜 金沢青かぶや長野県の野沢菜があります。

一方、西では、大阪の天王寺かぶや京都の千枚漬けで有名な聖護院かぶがあります。それぞれそのルーツに違いがあり、東はヨーロッパ経由で伝来した品種、西は中国経由で伝来したもので別々の系統であるとされています。

実は見た目では系統が判別しにくいのですが、たとえば野沢菜の起源は天王寺かぶ聖護院かぶと言われることもありますが、このルーツの違いから別々の品種だろうと言われています。

地理トークする時にかぶらラインや地元のかぶら自慢を加えてはいかがでしょうか?

みかんに関するトリビア

実は、みかんの房の数って、皮をむかなくても分かるんです。ミカンのヘタを取ると、ぽこつと凹みが出来ます。その凹みに円形上に粒が並んでいるのが見えます。実はその粒の数とみかんの実の房の数が同じなんです。

どうですか、この伊東家の食卓的裏ワザ。何の得があるんでしょうか、よく分かりません。

購入前に実のつき方を確認できるのはひとつあるかもしれませんが、スーパーで、ヘタをいちいち取るのはちょっと問題行為にとられかねません。

でも家族団欒の一ネタにはちょうど良いかもしれませんね。

農業の災害リスクを考える。

台風19号では農林業でも大変な被害が出ています。報道を見ていると、日本で農業することがとてもリスクがあるように思えてきます。

特に悲痛な叫びが聞こえているのは、福島県の桃や長野県のリンゴなどの果樹農家。福島の桃では4メートル近い木が、河川の氾濫で水に浸かってしまった。水が引いて地面が見えるまで3日もかかり、それでダメになる木も出てきているそうです。

政府は果樹の植え替えに対する補助を行うようですが、桃の場合、現状復旧までは7年かかるそうです。余りにも長い。

農業は自然の恵みで営まれてきた生業。一方で自然の力に圧倒されるのが農業です。

収益化するのに時間がかかる、そしてまた台風の影に怯える。こうした農業に関してイチから投資するにはあまりにもリスクが多いです。

今回は正直ふせぎようがない被害だったとは思いますが、この気候変動の中で今後も同クラスの台風が来ないとも限りません。農業を安泰な産業にするためにも、災害に強い農業の在り方を国を挙げて考える必要がありそうです。