三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ フロム京都

三児 レイ アスカ シンジを育てながら、スキマ時間でカルチャー情報を発信。働き方改革時代の心豊かな生活をお届けします。

読書というパズルをKindleの画面読み上げで攻略する

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読書とは、パズルを組み立てる作業と考えることができる。

読書をパズルとするなら、文やパラグラフは、パズルのピースである。

ピースである文と文、ピースのかたまりであるパラグラフとパラグラフの繋がりを理解することで、一冊の本の全体像が見えてくるのだ。

 

ただし、頭の中でパズルを完全に組み上げることは意外と難しい。

パズルのピースひとつひとつは理解できたとしても、全体像が理解できていないことがあるのだ。

 

本を読んでもあまり頭に残っている感じがしない。

1ヶ月も経てば、どんな内容だったか思い出せない。

下手したら、読み終わったその場でも、この本がどんな本だったか説明できない。

そんな経験はないだろうか?

 

それは、パズルが言わば、歯抜けの状態だからだ。

 

本を読んで、全体像は理解できたが、ディテールが思い出せないことがあるだろう。

どんな絵かは理解はできるが、ところどころ歯抜けのピースがあるわけだ。

 

あるいは、この章は理解できたけど、この章は理解できなかった場合もある。

それは、あるエリアのピースの塊がスッポリ抜け落ちたパズルである。

 

どうすれば、歯抜けにならずに読書をすることができるだろうか?

最近、この読書という名のパズルを、効率よく組み立てられる方法を発見した。

それはスマートフォンの読書アプリ「Kindle」の画面読み上げ機能だ。

 

KindleAmazonが出している読書アプリ。

アマゾンで購入した電子書籍スマホタブレットで読むことができる。

そのKindleで表示された本の文面を、スマホの画面読み上げ機能を使って機械に読み上げさせるのだ。

 

元々、この機能を使おうと思ったのは、スキマ時間に読書ができると思ったからだ。

 

コンテンツ戦国時代とも呼ばれる、現代社会においては、読書の時間を確保するのは難しい。

私もそう。読書は好きな方だが、月に一冊か二冊か読めれば良い方だ。

 

普段は仕事に行きながら、ブログも書いている。

さらに、映画やゲームも好き。そうなると読書にまわす時間なんてほとんどない。

 

おまけに我が家には、3人の子どもたちがいる。

映画も、ゲームも、ブログも、子どもたちが寝静まったわずかな時間を狙う。

起きている間は、ほぼ100%妨害にあって、ほとんど集中出来ないからだ。

 

その中で、さらに本も読みたいという、困ったな、の状態だった。

そんな時、勝間和代さんのyoutube動画で「Kindleの画面読み上げ」を知ったのだ。

勝間和代さんのyoutubeライフハック的な情報がコンパクトに紹介されていておすすめである。

 

この画面読み上げの機能を使えば、読書効率をあげることができると期待していた。

 

例えば、通勤時間、電車に乗っている時だけでなく、駅まで歩く間も読書で活用することができる。家で炊事、洗濯をしている時でも、作業をしながら本を聴くこともできる。

 

早速、Kindleストアで「若い読者のためのアメリカ史」を購入し、通勤時間やながら作業時にKindleの画面読み上げにチャレンジした。

 

結論をいえば、この方法は、期待していたようなスキマ時間を埋めるものではなかった。

 

この読書法は、言わば、「本を聴く」ことになる。

このことをオーディオブックとして展開している事業者もある。

ただ、今提案しているkindleアプリの画面読み上げは、厳密にはオーディオブックではない。

オーディオブックでは、実際に本を朗読する人の声が録音されたものを聴くことができるのだ。

Kindleアプリは単にスマホの読み上げ機能を使っているだけだ。

 

したがって読み上げられる言葉は機械音になるし、抑揚もほとんどない。

漢字の音読み、訓読みも誤りが多い。

つまり、聞いている時に、引っかかりが多く、聞いたものを頭で理解するプロセスが必要になるのだ。

 

一方、今回読んだ「若い読者のためのアメリカ史」は、一般書と専門書のあいのこ、のような本。

中身はアメリカの歴史500年を振り返る、いわゆる歴史本である。

でも、「若い読者のための」と書いているだけであって、中身は平易な書き方で読みやすい。

 

「若い読者のためのアメリカ史」のコンセプトは、一人一人の人物の物語の積み重ねが、歴史を作り上げていくというものだった。

いわゆる歴史の教科書的なスタイルではなく、物語調にアメリカの歴史が語られていた。

だから、この手の本としては、大変読みやすい部類になっていると思う。

 

とはいえ、扱っているのはアメリカの歴史だ。

アメリカの地名や州名が当然のように書かれている。

歴史上の人物などについても、ある程度の予備知識があった方が、理解が深まるだろう。

 

逆をいえば、読んで調べたりしながらでないと、地理関係や人物像が頭でイメージ出来ないのだ。分からない単語があると、そこで引っかかるのだ。

 

ここがkindleの読み上げ機能の最大の誤算で、聴いていても、用語の面で引っかかりが多くなり、頭に入ってきづらいのだ。

 

このことは、家事をしながら、とか洗濯をしながら、といった場面での、読書には向いてないことを意味する。

というのも、読み上げで聴く音声を理解するのには集中力が必要になるからだ。

なかなか、作業しながらだと、そこのところが頭に入ってこない。

 

一応、Kindleの画面読み上げでも、集中して聞けば、読み上げられている内容は十分理解できる。でも、ながら作業となると話は別だ。

アメリカの歴史といった専門書のたぐいになってくると、なおさらである。

 

考えてみれば、普通に文章を本で読む場合でも、内容を理解するためには、目で文を読み、頭で理解する必要がある。つまりは、読書はもともと集中力が必要な行為なのだ。

Kindleの読み上げでは、目で読むのが、耳で聴くに変わっただけで、頭で内容を理解するプロセスには変わりはなかったのだ。

 

仕方なく、Kindleの読み上げで、音声を一度聞いてから、もう一度Kindleで今度は普通に目で読むことにした。

 

すると、ある発見があった。

 

一度、Kindleの読み上げを聞いておくと、次に実際に普通に読んだ時の理解が格段に増すことが分かったのだ。

ながら作業であまり理解できなかったとしても、キーワードや、何ついて話しているかぐらいはは、ぼんやりと頭に入ってくる。

その分、次に普通に読んだ場合の理解が全然違うのである。

 

読書をパズルに例えるなら、Kindleによる画面読み上げはパズルのピース探しである。

どんなピースがあるか、あらかじめ分かってから組み立てると、ピースをつなげやすいのである。

 

先のアメリカの歴史本でいえば、ある章でフランクリン•ルーズベルトがメインで語られていたとする。Kindle読み上げ機能でキーとなるピースがフランクリン・ルーズベルトだと分かっていれば、その後の読書でより理解を深めることが出来るのである。

もし、フランクリン・ルーズベルトを知らなければ、Wikipediaで概要を調べておけば、次の読書での理解の補助になるのである。

 

はじめに聴いて理解できなかったことが、読書では謎解きのような楽しさにつながるのだ。

 

それに気付いてからは、Kindle読み上げと目で読む読書を併用して読み進めた。

そして、「若い読者のためのアメリカ史」を読了。

同作は、464ページにも及ぶ大作。それを制覇した時の感動はひとしおだった。

 

でも、この併用法のおかげでかなりアメリカの歴史について理解が深められた。

 

Kindleの読み上げで予習するのは、読書時間としては、余計に時間がかかっているとも言える。

でも、Kindleの読み上げは、概要を理解する、読み解くためのピースを集めるため、と割り切って行えば、炊事洗濯をしながらでも十分可能だ。

 

炊事や洗濯といった、もともと読書に活用できていなかった時間を、いわば予習の時間にあてることで、限られた読書の時間を有意義に実践することが出来るのである。

 

コンテンツ戦国時代、月一冊でも時間を確保するのは難しい。

それであれば、このKindleの画面読み上げを使って、月一冊の理解を充実させてみてはどうだろうか?

 

 

 

映画「旅のおわり世界のはじまり」が、私にとって特別な映画になった理由 感想レビュー

映画を紹介するとき、

「この映画は傑作です。」

または、

「この映画は駄作でした。」

なんて、傑作や駄作なんて言って評価したりします。

 

あるいは、映画.com や filmmarksといった映画レビューサイトで星をいくつつけるか、といった方法で映画を評価します。

 

しかしながら、こういう評価方法には必ずしも、当てはまらない作品があります。

今回紹介する「旅のおわり世界のはじまり」はまさにそんな作品。

 

本作は、万人におすすめです。絶対観てください! と強く訴えられる作品ではないし、

かといって駄作でもありません。

自分だけの心に留めておきたい、特別な映画だったのです。

 

そもそも映画において、誰が観ても絶対面白い、はありえません。

もっと言うなら、私が観た作品であっても、それをいつ、どんな環境で観るかで感じ方は変わります。今日観た時と1年後、10年後に観る時では、印象が変わるかもしれないのです。

観る人の置かれた環境によって、その映画の感じ方が変わるのです。

 

本作品が私にとって特別なものになった理由は、職場の後輩の退職でした。

 

彼女の退職話を聞いたのは昨年の秋頃だったと思います。

驚き半分、やはりそうかと言う思いも半分でした。

それまでの彼女の仕事ぶりを振り返ると、今の仕事を全く楽しんでいないわけではない、むしろ責任感を持って取り組んでいました。

ただ、どこか自分の仕事や職場を客観視する眼差しを感じていました。

なるほど、その原因は退職にあったわけです。

 

彼女は退職して、春からは新しい仕事につきます。

彼女にはまだ迷いもあるように思いました。

彼女と外回りをしている時に、これからの人生をどうしたら良いか、悩みも聞きました。

ああだこうだ、と答えの無い悩みです。

 

そう、人生の悩みに答えはありません。

 

この映画「旅のおわり世界のはじまり」の主人公、前田敦子演じる葉子もそうでした。

本作では、番組レポーターである葉子と他の番組クルーが、ウズベキスタンでいろんな体験をレポートする旅番組を収録する過程を描きます。

その描き方は、ほとんどドキュメンタリー的と言って良いです。

むしろ、前田敦子ドキュメンタリー映画なのではないかと錯覚するくらいに、前田敦子にクローズアップした撮り方になっています。

染谷将太加瀬亮など脇を固める役者陣も存在感を出していますが、それも前田敦子を立たせるため、と言い切っていいと思います。

 

番組レポーターである葉子は、ウズベキスタンでの体当たり旅レポートをこなすうちに、ミュージカル歌手になりたいと言う本来の望みを見失っていきます。

 

映画序盤は、この旅レポートの無理難題に、前田敦子が挑戦する姿が、淡々と描かれていきます。

 

湖の怪魚レポート

米食レポート

怪しい遊園地のアトラクションレポート

 

すごいことにチャレンジしているのに、あまりに淡々としているので、葉子が不憫になってきます。特に最後のアトラクションレポートは徹底的に突き放したカメラワークで、本当にかわいそうになってきます。

 

その全てを全うする前田敦子。自分の気持ちの反面、仕事を成功させたいと言う気持ちが伝わるシーンの連続でした。本当の気持ちと実際の番組製作のギャップに、葉子は疲弊します。

 

この一連の撮影で気になったのは、番組クルー全体の熱の低さです。

普段、テレビで見慣れた、バカ騒ぎなバラエティー制作の裏側を見せられた気分です。

あのバカ騒ぎを撮影している姿を、こんなにも冷めた目線で見せられるのは興味深かったです。

 

外から観た目線というのが、この映画に度々出てくるモチーフのように感じました。

 

ウズベキスタン人から見た日本人女性というのが特にそうです。

 

怪魚レポートの女性は乗るな。

少女に、あんなアトラクション乗らせるんじゃない。

日本人女性を見る好奇な眼差し。

 

そんな文化の違いも、葉子を疲弊させていきます。

 

つながっているのは、東京の彼氏だけ。

ミュージカル歌手になりたいという望みも見失っていくのです。

 

やりたくもない仕事を続ける。

本当の望みはなんだったのか?

これは、我々の日常生活にも、よくある感情です。

 

そのことが、異国の地ウズベキスタンでくっきりとあぶり出されているかのように感じました。

旅は、私たちの感情を異国の地の人を通じて、見つめ直す機会になるのです。

 

もし、本作が並の映画であれば、ここから葉子の成長物語になるでしょう。

ミュージカル女優としてオーディションに合格し、彼女の人生が動き出すのをはっきりと見せるかもしれません。

 

しかし、本作では明確な成長は描かれません。

あくまで、最後まで、葉子の異国の地でのエピソードが淡々と語られるのみです。

 

葉子の迷いは、完全には解消されないのです。

 

考えてみれば、現実ってそんなものです。

自分探しの旅という言葉があります。

旅をすれば、答えが見つかるわけではありません。

 

このことについて、本作は現実的で誠実といえます。

物語をシンデレラストーリーではなく、あくまでドキュメンタリータッチなのです。

 

でも、物語の最後。

大きな飛躍が描かれます。ここでは、語りませんが、ラストシーンで、自然と涙が溢れるカタルシスが訪れます。

そこまで、淡々と描かれた分、より大きな感動を受けました。

 

旅は答えを与えてはくれません。

旅は、世界を見せてくれるのです。世界の中の自分を見つけてくれるのです。

 

広い世界にたたずむ、葉子の姿が、そのことを教えてくれたのです。

旅のおわり世界のはじまり。

本作のタイトルは、このことを端的にあらわす名タイトルです。

 

本作が私に、特別な映画となったのは、退職する後輩が、葉子の境遇に重なってみえたからです。

今の仕事の旅を終えた彼女には世界がみえているはずです。

 

ブルーレイが発売されたのは、今年の三月。

くしくも、彼女の退職のタイミングと重なったことは、より感情移入した一因となったのです。

この出会いと別れの季節であるこの時期に本作に巡り合えたことに特別な何かを感じられずにはいられませんでした。

 

そして、次は私自身の旅に出る番だと感じたのです。

 

 

旅のおわり世界のはじまり [Blu-ray]

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  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: Blu-ray
 

 

 

野菜にとって温室育ちは良いのか、悪いのか ー ほうれん草の失敗に学ぶ

 

みなんは、温室そだちと、どんなとを想像しますか ? 

 

小さな頃か、裕福な家庭で大切に育てれ、社会の厳しい環境を知らずに育ったような人

たくましさに欠け、世間知らずで、内気でひょろっとした人
方が、そんな人物像を描くのではないでしょうか? 

 

あの人は温室育ちだから

社会に出ると、こんな会話を耳にしますが、それくらい慣用句として定着しているとも言えます元々温室育ちという言葉自体は、野菜を育てる時の言葉のはずです 

 

野菜を育ててみた時に、温室で育てるとは、どういうことになるのでしょうか?  

 

私の借りている菜園で育ててみました 

と言っても、私が借りているのはわずか3坪ほどの家庭菜園です 

プロの農家のような、ガラス温室ではありません

 

1月、2月は一年の内で最も寒さが厳しい時期普通に種を撒いても、寒さできちんと育ちません 

ただ、寒い間、畑を余らせることも、もったいないので、何か植えてみたいと思い、簡易なビニールトンネルをつくり、1月にホウレンソウの種を撒くことにしたのです 

 

ビニールトンネルは、アーチとビニールを使って組み上げます。

材料は、ホームセンターで購入しました

 

家庭用の小さなビニールウスも販売されていましたが、お金がかかります。 

 

菜園の借賃は、月5,000円

決して安くありません。

出来るだけお金はかけたくないので、材料だけ購入して、簡なものを組み立てたのです 

 

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そこでホウレンソウの種を撒きました 

 

今年は暖というともあったかもしれまんがすくすく育ちま 

 

冬場は、菜園には閑古鳥がいています 

冬は野菜が成長せず、畑作業が無いからですいつも、畑にきているおじさん、おばさんたちが冬の間はしばらく来ません 

 

一方、私は今回、ビニール栽にチャレンジしているので、週に回は様子だけでもみるよにしてした。

退屈しのぎに子供達も連れて行っているのですが、他の利用がいないので伸び伸びとすることが出来たのです。

 

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3月に入ると、急に暖かくなり、菜園に春が訪れます。

いつものおじさん、おばさんも畑に姿を現すようになり、野菜たちもグンと成長し始めます。

私が撒いたビニールホウレンソウもそうでした 

 

そして 3月の下旬春分の日を迎えた時、いよいよ収穫を迎えることができました

それがこちらです 

 

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写真ではあまりよくわからないかもしれません

一般に売られているホウレンソウと違って、軸が細く、葉っばも小さいのが分かりますでしょうか?  色も浅いです

色が浅いのは、肥料が少なかったからかもしれません 

植物は肥料を土の中から吸い上げて成長しますですが、肥料は水に溶けだして初めて効果を発揮します 

乳幼児の離乳食のように、水で溶かすひと手間が必要になるのです

 

でも、水に溶けるのには気温が必要です。 

冬の寒い間は、肥料が溶けづらく、ホウレンソウがあまり栄養分を吸収できません 

 

軸が細く、葉っばも小さく、ひょろっとした形 

もしかしたら、このひょろっとした状態が、もやしっこのような「温室そだち」と呼ばれるゆえんかもしれないと気づきました 

 

今回、冬場を暖かく過ごすために、ビニールをかけてあげました 

3月に入って日中の気温が高くなっても、ビニールをかけていたので、暖かくなりすぎのですいわばうちのホウレンウは過保護な状態だったといえるかもしれ 

 

やはり、野菜を育てるのに暖かくしすぎるのもくなかったのです。

では、どうすればよかったのでしょうか? 

 

調べると、プロの農家は、温室で育てる場合、日中気温が暖かくなると、換気して、涼しい風を当てるそうです。 

 

そうやって、室内が暖かくなりすぎないようにします 

 

また、育苗といって、野菜のあかちゃんをハウスで育てることがあります 

そうやって育てた野菜の苗が、一人立ちできるまで大きくなったら、外の畑に植え付けします

 

育苗から、畑に植え付ける前に、赤ちゃん苗を、わざと外に出すことがあります

あえて寒い環境に置くことで苗がたくましくなるのです。 専門用語で順化と言ったりします 

 

そうやって順化させた苗は、軸が太くがっちりした苗になり、病気にも強くなります。 

 

それに対して、外気に触れさせてなかった、うちのホウレンソウはひょろひょろになってしまったのです 

 

やっばり、野菜も外の厳しい環境に身を置くことが大なんですね温室で育てるだけでは、たくましく育たないのです 

 

野菜も、人も、本当にその人(野菜)にとって必要なことがなんなのか? 

 

ぬくぬくと育てるだけがすべてでない。 

 

あえて厳しい環境におくこと、それもひとつの愛情です 

そんな愛情を持って、育てていくことが大事なのです 

姉妹喧嘩の原因は、妹のコンプレックスにあった話

「私が先に使ってた!」

「私は全然使ってないもん」

長女で6歳のレイちゃんと次女で4歳のアスカちゃんがおもちゃの取りあいをしています。

 

喧嘩は激しさを増し、最後はどちらかが手を出します。

「お父さん、アスカちゃんが、手をギュってしてきたー」

レイちゃんは泣きながら、訴えてきます。

 

これが、いつもの姉妹喧嘩で、我が家の日常茶飯事です。

大体最後は、姉のレイが折れて、妹の非行を泣きながら訴えます。

 

レイちゃんの方が、心優しいのか、すぐに泣いてしまうのです。

アスカちゃんの方は、どうやら気が強そうです。

勝ち負けをつけるなら、普段の喧嘩では、アスカちゃんが勝つことの方が多い気がしています。

 

ただ、レイちゃんの方も、アスカちゃんを叩いたりするので、最終的には喧嘩両成敗になることも多いです。

「仲良く遊んでね。」

なんていう生優しい言葉は、二人には届かずに、宙をさまよって、やがてフェードアウトしていきます。

 

結果、次の日も、その次の日も、やっぱり姉妹喧嘩を繰り返します。

 

 

喧嘩することが多いのは、仲が良い証拠かな。

喧嘩はうるさいけど、家庭内が賑やかで、それもアリかな。

アスカが、レイにちょっかいをかけるのは、「好きの裏返し」かな。

 

そんなことを思いながら、はじめのうちは激しい喧嘩をしてても、微笑ましく捉えていました。

でも、その喧嘩が日に日にエスカレートしていっているのが、少し気になり始めたのです。

 

それはレイちゃんが編み物をしている時のことでした。

 

最近レイちゃんは、編み物にハマっています。

やっぱり女子っていうのは、編み物とかそういうものにハマるんだな、って思うと同時に、自分には教えられない分野だし、混ぜてもらえない分野だし、自分自身もそこまでは興味が持てない分野だな。

 

など、女子の道へと進むレイちゃんに、少しばかりの寂しさも感じていました。

 

子どもがやっているとはいえ、編み物は編み物。

小学生向けに発売されている編む道具「ラブアミ」を使って、編み上げていきます。

 

このラブアミは、編む道具を自分でパーツで組み立てて、編み方をいろいろ変えられるのが特徴です。

編み物といえば、おばあちゃんがゆらゆらとゆりかごに乗りながら、編んでいるイメージですが、ラブアミは、ピンクと水色の可愛いパーツで構成されていて、いかにも幼児が喜びそうです。

 

でも、それで出来たマフラーを見ると、なるほどしっかりと編み込まれています。

 

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私自身は、生まれてこのかた、編み物なんて全く経験がなかったので、その出来栄えに素直に感心していました。

 

そして、マフラーを作って勢いに乗ったレイちゃんは、最近は「くまのぬいぐるみ」という大作に挑んでいたのです。

 

ところが、です。

 

「やめてよ、さわらないでよ」

またもレイちゃんが、アスカちゃんに怒っています。

アスカちゃんは、レイちゃんが一生懸命毛糸を編んでいるのを邪魔するのです。

 

4歳のアスカは、毛糸を踏んだり、編んでいる最中のぬいぐるみの欠片を触ったりします。

 

「集中できない」

レイはたまらず、アスカに手を出します。

アスカもそれに応じるような形で、レイの手をつねります。

 

「お父さん、アスカちゃんが、手をギュってしてきたー」

レイちゃんは泣きながら、訴えてきます。

 

レイちゃんが泣いて、妹の暴力を訴える。その構図はこれまでと変わりません。

 

でも、心配なことがありました。

 

今回は、完全にアスカちゃんがちょっかいをかけて始まったことなのです。

しかも、そのちょっかいが極めて理不尽で、意地悪に近いものでした。

 

これまでの、単なるおもちゃの取り合い、とは若干事情が違っていることに気が付いたのです。

 

アスカちゃんの、この「ちょっかい」は編み物の時に始まったことではありませんでした。

思い返せば、以前から、わざとレイちゃんがしている遊びを邪魔したり、それまで興味も示していなかったのにレイちゃんが遊んでいるおもちゃを奪ったり、なかなか強気な意地悪をしかけていました。

 

「一体どうしてこんなことするの?」

 

問いかけても、アスカちゃんは、首を横に振るばかりで答えてくれません。

 

「アスカちゃんも、くまのぬいぐるみ、作りたかったの?」

妻がそういうと、アスカちゃんは、泣きながら、首を縦に降りました。

 

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そこで、気が付いたのです。

 

アスカちゃんの「ちょっかい」の原因は、アスカちゃん自身の「やりたいけど、出来ない」にあったのではないか。

それはつまり、お姉ちゃんであるレイちゃんへのコンプレックスにあったのではないか、ということでした。

 

 

我々にとっては、長女のレイちゃんに対する育児が、育児の最先端です。

レイちゃんの初めては、我々にとっても初めてです。

 

初めて、立った。

初めて、歩けた。

初めて、竹馬に乗れた。

初めて、自転車に乗れた。

初めて、編み物ができた。

 

その全てが、親にとって新鮮で、そのたびに褒めてしまう。

でも、2歳差のアスカちゃんはそれを見てどう思っているのでしょうか?

 

レイちゃんは、最先端を走っているので、

自転車も編み物の道具も、年齢に応じて買い与えています。

 

それを見て、アスカちゃんはやりたいと思っても、出来ないので我慢を強いられているのかもしれません。

 

私たちはついつい、アスカちゃんが何か出来るようになると、レイちゃん何歳の時に出来たかな、とかお姉ちゃんとの比較の中で語ってしまいがちです。

 

そうした、年齢の差、おもちゃの差、対応の差、それぞれの積み重ねが、アスカちゃんのコンプレックスを生んでいったような気がしています。

 

単なる姉妹喧嘩の背景には、妹の姉への羨望があったのかもしれません。

言葉にできないその気持ちが、アスカちゃんの意地悪な行動にあわれていた気がします。

 

これからは、アスカちゃんの、はじめて、に向き合っていく必要がある。

今は、そう思って、アスカちゃんでも出来そうな初めての○○を探しています。

 

 

子どもの卒園は、親にとっての失恋でした

令和2年3月21日は、歩いていると汗ばむほどの春の陽気でした。

たまに吹く涼しい風が心地よく、新型コロナの自粛モードも吹き飛ばすかのようです。

 

その日は、私の長女レイ(6)が5年間通った保育園の卒園式でした。

卒園式の準備を終えた私は、レイと妹のアスカを連れて、保育園へと向かいました。

それは通い慣れた保育園への道。

いつも送り迎えで、自転車や車で駆け抜けた道を、今日はゆっくりと噛み締めながら歩いてむかいます。

 

保育園の門の前には、同じく本日卒園を迎える園児たちとその保護者たちが既に集まっています。

この日のためにフォーマルな服装にめかし込んだ同級生たちが、笑顔でレイちゃんを迎えます。

みんな、どこか浮ついているようです。

 

ちょうど5年前の同じ頃、私は入園式でレイちゃんを連れてきた時のことを、ふと思い出しました。

その頃の私は、保育園に対して、ここまで思い入れが深まるなんて、思っていませんでした。

当時の私にとって、保育園は、自分が仕事を続けていくための、託児サービスくらいの感覚でしかなかったのです。

 

私が通わせていた保育園は、紙おむつでなく、布おむつを用意させました。

服につける名前のルールも指定されてたし、エプロンなどの準備物は、親が手作りで用意をさせられました。(このあたりはほとんど妻が準備してくれましたが。)

また、送り迎えの際にセッティングする着替えの種類や枚数などの指定が細かくて、面倒も感じていました。

ちょっとセッティングが間違っていれば、お迎えの時に注意をされます。

 

細かいルールやダメ出しに、保育料を払っているのに、なんでこんな縛られないといけないんだ、と不満に思っていたこともあります。

 

いつの頃か、その手の不満は無くなっていきます。

保育園のルールにこちらが慣れていったのだと思います。

と、同時に、子どもの成長の場として保育園に通わせて良かったな、と思うことが増えてきたからです。

 

夏祭り、運動会、生活発表会、造形展。

保育園では、毎年恒例の行事があります。

こうした行事に参加する度に、子どもの成長に気付かされるのです。

 

跳び箱を飛べるようになった。

竹馬で、自在に歩きまわれるようになった。

劇で、長いセリフを言えるようになった。

大人も顔負けの、可愛い絵を描けるようになった。

 

私が、仕事に出ている間に、レイちゃんは、保育園でいろいろなことが出来るようになっていたのです。そのことを教えてくれたのが、保育園の行事だったのです。

 

出来ることだけが増えただけではありません。

子どもたちは、保育園を通してコミュニティを築いていました。

 

イチゴ狩り、デイキャンプ、劇遊び。

親は参加していませんが、そこでの楽しい遊びや体験が、クラスの絆を深めていたようです。

 

保育園の夏祭り、昔はお父さんとお母さんと手を繋いでひとつひとつブースを見て回っていました。卒業の年には、親から離れて同級生と一緒になって会場を駆け回るようになっていました。

 

 

もはや、単に託児サービスとしての保育園でなく、コミュニティとしての保育園でした。

子どもは、親だけが育てるのではありません。社会や地域が育てているということを、我が娘の成長を通じて実感したのです。

 

そして、卒園式。

 

お別れの歌が流れます。

周りを見渡せば、子どもたちよりも保護者達の方が、涙している気がしました。

私も、子ども達の成長のキセキを思い出すと、涙が出そうになりましたが、こらえます。

 

保育園から巣立ち、新しい人生の一歩を踏み出す我が子。

少しずつ、親の元を離れていく感覚。

子ども達の成長を嬉しく思いながら、そこはかとない寂しさがありました。

 

帰ってから、卒園文集で担当の保育士さんからのメッセージを読んだ時、寂しさの理由がわかりました。

 

「君たちは、保育園のこといつまで覚えているかな?」

 

そう、子どもって保育園の記憶なんて忘れてしまうんです。

自分も、保育園の時のことって、ほとんど覚えていません。

子どもは未来志向なんです。

レイちゃんも保育園のみんなに会えなくなるのは寂しいとはいいますが、それ以上に小学校に入るのを楽しみにしています。

小学校に入って、たくさん友達を作ることを楽しみにしているのです。

 

 

大人は、いつだって過去のことを振り返ります。

 

布おむつの洗濯が面倒だったこと。

保育園の人に細かいことを言われてイライラしたこと。

仕事に遅れそうだと、毎朝が時間との戦いだったこと。

母迎えの日に、サプライズで父が迎えに行って、大喜びしてくれたこと。

帰りの自転車で今日会ったことを話してくれたこと。

迎えに行ったら、レイちゃんが最後の一人で申し訳なく思ったこと。

保育園で覚えた、歌や踊りを、家で教えてくれたこと。

運動会で跳び箱飛んでカッコイイ姿を見せてくれたこと。

 

そのすべてを、きっと私は忘れない。

 

子どもの卒園は、大人にとっての失恋です。

それも片思いの失恋です。

 

失恋した人は、苦い思い出、でも大人になればそれも良い思い出、として一生心に残るでしょう。でも、片思いの相手は、それと知らずに、自分の人生を歩んでいきます。

 

子どもの卒園もそれと同じです。

親は、保育園に通わせている間、子どものことを思い続け、尽くします。

子どもに尽くした経験はずっと、ずっと記憶に残るでしょう。

その時は苦しかった経験が、将来は良い思い出となるのです。

 

でも、子どもはそれと知らず前に進んでいきます。

子どもだけの新しく、開かれた世界に飛び立つのです。

 

自分には大切な思い出だけど、相手は将来忘れていく。

そんな、片思いの失恋のような寂しさが、卒園にはあるのです。

 

子ども達が、この失恋の苦さに気づくのは、きっと子どもが親になった時なのでしょう。

 

 

こんな失恋の経験をさせる保育園が、単なる託児サービスな訳がありません。

子どもの成長を見守る地域や社会のコミュニティなのです。

今は、保育園、レイちゃんを一生懸命大切に育ててくれた担任の保育士さんには感謝しかありません。

 

さて、寂しさを感じてばかりではいられません。

何しろ私は三児の父です。

あと2回、失恋を経験しないといけないわけですから。

 

映画「凪待ち」怒りの先にあったのは正論を超えた愛でした 感想レビュー

 

 

「人に正論を振りかざす時は気をつけた方が良い。正論は人を傷つけるから。」

小学校の先生である妻がそう言ったのを聞いて、私はなるほど、と膝を打ちました。

 

もう何年も前の話でした。

 

職場の後輩から頼まれごとをした際に、正論を言って断ったことがあります。

すぐに私を頼るくせを直そうと思ってのことです。

 

「自分の面倒を、他人に押し付ける癖、やめた方が良いと思うよ。」

 

今でも自分が言ったことが「間違っている」とは思っていません。

でも、その指摘で後輩がひどく落ち込んでしまった様子を見て、別の言い方をすればよかったかとも思ったのです。

 

正論とは、正義の剣です。

過ちを犯した人を裁くこともできるが、時にそれで人の心をグサりと突き刺してしまうことがあります。使い方を間違えると、人格否定にもなってしまうのです。

あくまでその時、その場の行動をただすことが大事なのだと思いました。

 

一方、人の過ちを、正義の剣でさばくのでなく、包み込むことが出来るものがあります。

それは「愛」です。

正論を超えた先にある「愛」に気づかせてくれた映画に出会いました。

 

それが映画「凪待ち」です。

 

 

実を言うと、私は映画を観ながら激怒していました。

視聴中、三回は怒りに拳を震わせていたのです。

二度とこんな映画観てやるか、とまで思っていました。

 

本作品は、香取慎吾白石和彌監督がタッグを組んだ話題作でした。

何が話題かと言いますと、香取慎吾君が、ギャンブル依存で暴力を振るって、落ちぶれていく役を演じているのです。よく、ジャニーズ事務所がこれをOKしたな、と言う内容です。

もう香取君は、ジャニーズではなかったですが。

とにかく、ジャニーズを退所した香取慎吾が、バイオレンスやハードな現実社会を描くことで有名な白石和彌監督と組むこと。そのこと自体が話題を生んでいたのです。

 

実際に映画の評価も上々です。

香取慎吾の役者としての新境地にして最高傑作」

香取慎吾がクズ役を見事に演じ切った。」

 

香取慎吾の役者としての演技を称賛する声が上がっています。

 

それに異論はありません。

でも、少なくとも私自身は、本作を観ている間、香取慎吾の役者論といった客観的な分析をできるほど、冷静ではありませんでした。

怒りに身を震わせていたからです。

我を忘れて映画に対して怒っていたからです。

香取慎吾の演技への怒りではありません。

香取慎吾が演じる主人公に対する怒り、です。

主人公木野町郁男の、数々の裏切り行為に対する怒りでした。

 

本作は、木野本郁男が、恋人の歩弓と歩弓の娘と一緒に、歩弓の実家である石巻に引っ越すところから始まります。郁男は根っからのギャンブラーで、悪友と競輪三昧でしたが、引越しを機に心気一転を図ったのです。

石巻では、震災で奥さんを亡くした歩弓のお父さん、勝美が一人で住んでいました。

勝美さんの身の回りの世話をしてくれている小野寺さんという御近所さんが居て、小野寺さんが郁男の仕事の面倒も見てくれたのです。

 

そんな周りの支えもあって、郁男の生活は順風満帆でした。

しかし、事件が起こります。

夜遊びに出て帰ってこなかった娘を探す途中、育児方針を巡って、郁男は歩弓と口論になります。

怒った郁男は、車から歩弓を降ろして、一人にしてしまいます。

その夜、歩弓さんは何者かに殺されてしまうのです。

 

ここまでのあらすじから、ミステリーにもとれますが、そうではありません。

ここからは郁男の転落人生がメインになります。

郁男のクズっぷりが、これでもか、というほど描かれるのです。

 

郁男は自暴自棄になって、何度もトラブルを起こします。

トラブルが起こるたびに、周りの人たちが郁男を救います。

 

職場では、同僚との金銭トラブルで暴動を起こし、器物破損。

御近所さんの小野寺さんが解決に走ります。

 

郁男は、小野寺さんにお金を返すため、ギャンブルに手を染めます。

石巻市には競輪場はないので、闇競輪のような場所でギャンブルに依存していきます。

そこで借金を重ねる郁男。

歩弓さんの父が救いに手を伸ばします。

 

借金が膨らみ、自暴自棄になった郁男は、地域のお祭りに繰り出し、酔っぱらった勢いで、通行人に喧嘩を売ります。

その時は、小野寺さんが優しく諭してくれました。

 

しまいに、やくざ相手に喧嘩を売ります。

歩弓さんの父が助けに出ます。

 

枚挙にいとまがない、とはこのことだと思いました。

 

歩弓の父やご近所さんなど、なんの血縁関係もない人が、郁男を助けるのには違和感がありました。

そこに対する怒りもありました。

 

なんでみんなこんなお人好しなんだ。

ギャンブルや暴力で身を破滅する。

しかも助けてもらったお金をまたもギャンブルにつぎ込む。自業自得ではないのか。

 

こんなあり得ない筋書きを描く映画自身に対しても怒りが湧いてきました。

 

しかし、一番許せなかったのは、死んだ恋人・歩弓さんまでも裏切ったことでした。

映画冒頭、石巻に引っ越す前、郁男は歩弓に「(ギャンブル辞めるのを)約束できる?」と問われていました。

郁男は、その約束をやぶります。

 

歩弓さんが郁男と付き合いたての頃に交わした約束「カリブ海の島に海を見にいく」。

その約束を軽視する郁男のクズな行動もありました。

 

愛する人との約束を軽視する郁男に同情の余地無し!

 

それにも関わらず、郁男は、周りの人たちに救われ、許されていきます。

なぜなんでしょうか。

なぜ誰も、郁男に対して、正義の剣を振りかざさないのでしょうか?

ギャンブル依存、暴力は絶対ダメ。

社会では、それが当たり前のルールではなかったのでしょうか?

 

なぜ、みんなは郁男のことを許したのでしょうか?

 

その答えはラストシーンにありました。

 

 

ある一つの紙切れを海の底に流すシーンでこの映画は幕を閉じます。

このシーンに込められたのは、死んだ歩弓への「愛」の存在でした。

 

歩弓への愛が、郁男への怒りを包み、許しや救いを生んだと気付かされたのです。

郁男は、歩弓が愛した人物であり、歩弓は父や小野寺さんが愛した人物だったのです。(歩弓さんを愛する気持ちが悪い方向に向くことがあることも、この映画では語られており、それが映画の深みをましています。)

 

歩弓さんの父は、自分が大切にしている人が愛した人物に、正義の剣を向けることができなかった。むしろ、その人の罪を包み込んだのです。歩弓が愛したのだから。

 

考えてみれば、私も、妻が過ちを犯したとして、本当の意味で断罪することができるだろうか?

 

正しさ、だけが、人生のすべてではない、そんなことを思い起こさせてくれたのです。

いつの間にか、映画への怒りは、正論を超えた感動に変わっていました。

 

そのことを体現した、香取慎吾が、最高の演技と評されるのも納得の出来だと言えます。

この映画は、愛する人を抱える人、その誰もが観るべき傑作となったのです。

 

 

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家庭菜園の通信簿 プロとアマの違いを楽しむ

こどもの頃、私は通知表が楽しみな方でした。
(今年はコロナの影響で学校が休校となり、通知表が出されているかもわかりませんが。)

自分で言うのもアレですが、勉強はわりとできる方でした。
中学生時代は、ほぼ毎学期5科目とも、オール「5」取れていたのです。
しかし、高校に入るとそうはいきませんでした。地方ではわりと有名な進学校だったのですが、入学してそのレベルの高さに驚きました。
高校に入って初めての期末テスト。数学や英語など得意な科目では「5」取れていましたが、国語となると「3」でした。優秀な人は高校でもオール「5」を取っています。
世界の広さを初めて知った高校生活のスタートは、今でも記憶に残っています。


それから20年ほどが立ちました。
今では会社員をしながら、誰に教えられるでもなく家庭菜園をしています。
家庭菜園の世界では、野菜がたくさん収穫出来たり、良いものが出来たりしていると、「プロ顔負け」なんて言ったりします。実際にプロに負けない野菜が収穫できることもあります。

でも、プロの世界ってそんなに甘くありません。
つい先日も貸農園に行って収穫作業をしているとそんなことを思いました。

貸農園には、毎週のように畑に行っています。3月に入って、だいぶ暖かい日が続いていたので、畑での作業が増えてきたのです。
暖かい光を浴びて、野菜たちがぐんぐんと成長しています。

ソラマメは花が咲いて、背丈もだいぶ伸びてきました。
1歳半になった我が家のシンジ君くらいあるかもしれません。
ブロッコリーも花盛りです。
暖かくなりすぎて、少し取り遅れているかもしれません。
ブロッコリーは、花が咲く前の方がよいのですが、ちょっと花が咲きかけです。

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野菜たちは季節の変化に敏感です。
われわれはそれに追いつくように作業をします。

春菊も、わさわさと伸びていました。
春菊は12月くらいからすでに、たくさん収穫していました。
1月、2月は寒さに耐えて、じっとしていたのですが、3月になって暖かくなると、復活したかのように一気に大きくなりました。

 


この日の作業は収穫メインでした。
寒い間しばらく収穫は、お休みだったので、たくさん収穫できてうれしかったです。

今週の成果物は、春菊一束、茎ブロッコリー、ほうれんそうの間引き菜を収穫しました。
こうやって、たくさん収穫していると、プロを目指せるんじゃないかと勘違いしてしまいます。

ですが、収穫したものを並べるとプロとの違いに愕然としてしまいます。
その違いはなんなんでしょう?

この春菊をみてください。

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左から右に行くにしたがって、茎の太さが違いますよね。

春菊は、プロの農家からみたら金の成る木、です。
ちょっとそれは言い過ぎかもしれません。でも、そう思ったのには訳があります。
春菊は一つの株から何回も収穫できるからです。
一本の株(木)から何回も収穫してお金になるから、金の成る木です。

普通葉っぱの野菜、ほうれんそうは収穫したらそれでおしまいです
春菊は収穫しても、脇から新しい茎葉がどんどんと伸びてくるのです。
はじめに収穫するのを親、親の脇から出てくる茎を子、子の脇から出てくる茎葉を孫と言います。

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言わば、我が家の春菊は、子だくさん状態です。親も子も孫も交じっている状態です。
だから大きさや太さがバラバラなんです。
プロとの違い、一番目はそこにあります。
スーパーで作られている野菜をみてみてください。きちっと束や袋の中で揃えられているのが分かると思います。
きっと、親なら親、子なら子、孫なら孫ときっちり分けて収穫や袋詰めをしているのだと思います。親、子、孫と言いますが、わさわさと育った状態では、我々素人では、なかなかそこを判別することは難しいです。

春菊以外の野菜もそうです。
ほうれんそうは、今回間引き菜でしたが、すでに、ちゃんと育っているものもあれば、虫にやられているものもありました。全部虫食いのない綺麗なものだけで、束にしようと思うと大変です。

 

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たまたま一個良いものが出来るかもしれない。でも良いものでそろえようと思うと途端に難しくなります。この、揃えられるか、がプロとの違いなのです。
プロは、オール「5」を出すのです。



プロは、オール「5」を出すだけではありません。毎回オール「5」を出します。
今回は春菊をたくさん収穫することが出来ました。来週も同じように収穫できるかはわかりません。しかも、今回茎が太いものがありましたが、来週になると、細いものしかのこっていないかもしれません。
今週収穫できたが、来週は収穫できません。ではプロとして務まりません。

そろいの良いものを毎回出荷し続ける。それこそがプロ農家と家庭菜園の違いなのです。

でもね。
良いものだけを揃えるのが、すべてではありません。
揃ってなくたって、虫食いだって食べられるのは食べられます。
今回だってホウレンソウは、スーパーで売られていない、間引き菜という小さい状態で収穫しましたが、それだって食べられます。
お浸しにして美味しくいただきました。

揃っていた方が、見た目も良いし、市場ではそれが求められるのは確かです。
だからプロとしてやっていくには、やはりその技術は必要です。

でも、市場に載らない野菜が楽しめるのが、家庭菜園の醍醐味だって思います。
うまくいっても、失敗しても楽しんででできるのが家庭菜園なのです。

学校の勉強だって同じです。私は国語で「5」をとれませんでしたが、読書や書くことは好きです。
プロを目指すわけでもないから、等身大で楽しんでいこうと思いました。
それが楽しめるのが家庭菜園だと思っています。