もやもやの原因は、実はもう3年前の福島第一原発の事故にもあるような気がしています。あの事故があった後、多くの場面で科学の不信が訴えられていたように感じます。原発推進派の研究者は御用学者だとかいって糾弾もされてきました。実際、原子力に関しては技術レベルへの応用に半ば強引に進められてきたからこそ、あの事故において危機管理が不十分なところが露呈したりしたのでしょう。いまではどんなに安全性やメリットを丁寧に説明したとしても、原子力発電・放射能と言った瞬間に拒否反応を示すことになるでしょう。とはいえ、原子力だってはじめは夢のある技術として紹介されてきたはずです。
遺伝子組換技術についてもそうです。未知のものに対する恐怖か、ほとんどの消費者から拒否を示されており、日本では認可はされているけれどもほとんど流通していません。
わたしの違和感の正体は、原子力や遺伝子組換技術においてはゼロリスクを求められている一方で、iPS細胞やSTAP細胞は生命倫理上の課題などを抱えている、あるいは遺伝子組換作物などと用いている技術は理論的にそんなに変わらないはずなのになぜか好意的に受け止められている、ということです。
ここのところの乖離が一体どこにあるのか、というところが大変気になるところです。個人的にはそこには市民がその科学技術に革命的なメリットを感じられるかどうかだと思っています。原発にしたら、電気というのは生活者にとってあたりまえの存在です。ましてや原発止まった今でもなんとかなっているという現実はやっぱり市民の肌感覚的には、原発必ずしも必要でないと思われて仕方ない事実でしょう。遺伝子組換食品についても、遺伝子組換はこれまで栽培管理の省力化など生産者にとってメリットが享受できるものが主流です。市民からしたら、そこで遺伝子組換作物を選択する理由が見えてこないのでしょう。
今回の万能細胞ですら、ヒトクローンという言い方をしたら、結構拒否反応を示す人が多いのではないでしょうか。確かに科学技術的にはすごいことかもしれないけれども、なんか未知の領域で怖いし、自分にとってメリットないし、ということで拒否するのだと思います。一方で万能細胞から、臓器を作って病気の細胞と入れ替えますよ、なんていうと急に現実味も帯びるし、メリットも感じられる。なので本当に単純な話、科学を受け入れられるかどうかはメリットを感じられるかどうかなのかと思ったわけです。
このようにみていくと、よく日本の生活者はゼロリスクを求めすぎだ!という言説がありますが、市民はゼロリスクを単純に求めているのではなく、リターンもちゃんと求めているともいえます。同じとうもろこしなら組換えでないほうが良いといった具合に、市民はあくまでリスクとリターンを天秤にかけ、ある意味で当たり前の反応を示しているのだとも思うのです