その昔、金銭トラブルに巻き込まれたことがあります。
ここでは詳しくは書けませんが、知人が大きな買い物をした際、手続きの関係上、別の人に立て替えてもらったのです。その時私は、知人と立替者の仲介役になっていました。
その知人とはその後、音信が不通になってしまいました。
後から分かったのですが、知人には支払い能力がなかったのです。
それを聞いて、立替者は激怒しました。
仲介者として、なんとか知人と連絡を取ろうとするも、つながりません。
知人への連絡は諦め、ようやく、知人のご家族と連絡が取ることができました。
話を前向きに進めることが出来ました。
しかし、事態はまた急展開します。
実は、その知人は他にも借金を抱えていたのです。他の債権者も、立替者への返済予定だったお金目当てに、私に連絡をとってきたのです。
ことなきを得れると思った矢先のことでショックでした。
その時は、まさに地獄でした。
今から思えば支払い能力のない知人を信用して、斡旋してしまった私が悪かったと思っています。ただまさか、立替者を仲介したその時点では、知人のことを信用していたし、そんな状況になるなんて思ってもいませんでした。
みんな誰しもが、平穏な暮らしを続けたいと思っています。
でも、気をつけないと、日常には落し穴仕掛けられています。
そんなことをこのトラブルから学びました。
小さな判断が、後の大きな過ちに発展することだってあるのです。
映画「よこがお」でも、そんな日常の崩壊が描かれます。
その巧みな描かれ方に背筋がゾクッとする思いすらします。
映画「よこがお」は深田晃司監督、筒井真理子主演の、サスペンススリラー作品です。
サスペンススリラーといっても、派手な展開はなく、じわりじわりと物事が進んでいく様子が淡々と描かれていきます。
物語の構成として特徴的なのは、主人公市子のエピソードが、過去と現在を行ったりきたりしながら物語が進んでいくことです。
過去のエピソードは、市子が、訪問介護サービスの仕事で、大石家に担当として仕事していることから始まります。やがて、大石家の娘サキが拉致される事件が起こり、徐々に市子の日常が壊れていく様子が語られます。
現在のエピソードは、先程の事件が一定解決をみた後のエピソードです。市子が偽名を使って、明らかに意図的に、池松壮亮演じるある男性に近づいていくところから始まります。
現在、はじめに市子さんの髪型と髪色を変えるところからエピソードが始まるので、過去のシーンと現在のシーンが交互に映されても、混乱しないように工夫されています。
この過去と現在の繰り返しによって、一見繋がりがなさそうに見えた、人物や物事の繋がりが理解できるようになります。これはサスペンスとして、面白い構成になっています。過去と現在において散りばめられたピースを拾い集めながら、つなげていく楽しみがこの映画にはあるのです。
観ている人を、そういった物語にひきつける誘引力がその構成にあります。
そして、その構成によってあぶり出されるのが、日常の崩壊です。
この映画では、平穏の中の不協和音が繰り返し登場します。
例えば、外灯の電気が切れかかっていて、バチバチと音がするシーン。
主人公が、向かいのマンションを覗き見るシーン。
なんでこの人はこんな行動をとっているのだろう?
観客の疑問が、そのバチバチ音と重なって、より不安感が増します。
あるいは、マンションの部屋に響くドアベルのチャイム音。
こちらは、市子が追い詰められた時に印象的に使われています。
あとは、カメラのシャッター音。
いずれも静粛の中で怖いくらい強調されて効果音が、しかも繰り返し響かせています。
おそらくこれはほとんど意図できだと思います。
日常の中の不協和を、音で浮き彫りにしているのだと思います。
日常の中の不協和と言えば、主人公市子を演じる筒井真理子さんの演技も特筆に値します。
特に、現在パートの彼女の何もかも悟ったとようにも見えるし、地獄を経験し復讐に駆られて狂ってるようにも見える。
平静を保っているように見えて、明らかに常軌を逸した行動や妄想に出る。
もう、観た人誰もが印象に残るであろうは、やはり犬のシーンでしょうか?
小綺麗な格好をしてた筒井さんが、犬に憑依されたかのように四つん這いで街中を闊歩するシーンには、開いた口が塞がりませんでした。
過去のシーンの、訪問介護の仕事ぶりにみる人の良さとのギャップにもやられました。
平穏の中の異常や日常の崩壊を文字通り体現した、まさに体当たりの演技だと感じました。
市子は人が良いと言いました。
そう、本作を観て、一番心にとめておかなければならないことは、市子は、実は罪も犯してていないし、その行動に悪意もないということです。
全くもって市子は悪くはないのだけど、人と人のコミュニケーションのズレが、大きな悲劇を生んだのです。
はじめは些細なズレのはずでした。
そのズレが少しづつ少しづつ大きくなっていって、自分でも思っていなかったような決定的な溝が、市子の周りに出来てしまったのです。
全部見終わってから、ああしておけば良かったのに、という事は簡単です。
でも、市子の立場にたった時、あの時、自分だって正直な振る舞いが取れただろうか?
私にはできなかったかもしれません。
罪も悪意もない人が、なんらかの償いを求められる。
世の中には、いつだってダークサイドへの道が開かれているのです。
この映画はそんなことを教えてくれます。
人間と人間がコミュニケーションしながら生きていく以上、ズレが生じることは避けられません。
平穏な暮らしを続けていくために、本作のことを忘れずに生きていく必要があるのです。