三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ

仕事も趣味も育児も妥協しない。週末菜園家が、三児の子どもたちを育てながら、家事と仕事のスキマ時間を創って、映画や農業で心豊かな生活を送るブログ

はじめての子育ては子ども目線でなく家族目線で

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父ではどうしようもなかった新生児育児

 

長女のレイちゃんが生後数ヶ月の頃の話です。

その日はちょうど、妻が不在で、私だけで新生児のレイちゃんと留守番していました。

 


そういう時に限って、赤ちゃんというのは泣きぐずるものです。

いや、きっと赤ちゃんながらにお母さんがいないことを感じ取っていたのでしょう。この世の終わりかのように、泣きつづけていました。

 


さて、どうするか。

考えられるのは、おむつか、お腹空いたか、眠たいか。

 


新生児というのは、生きていく上での最低限の欲求を満たすために泣いているはず。

ところが、おむつは変えても泣き止まない。

ミルクを作っても、全然飲んでくれない。

寝かしつけようにも、泣いてまわってまったく寝る気配がない。

 


いつもなら最後の手段、抱っこ紐でユーラユーラで、寝てくれるのですが、その日に限っては、ずっとぐずったままです。

ずっとずっーと立ったままゆらゆらさせますが、なかなか寝ついてくれません。

その時間は、実際は30分だか1時間だかそれくらいの時間でしたが、感覚としては何時間にも思えました。

 


困り果て、疲れ果て、もう泣き止ませることも諦めて、ずっと泣きっぱなしの状態で途方に暮れていると、妻が帰ってきました。

 


「レイちゃんごめんね、お待たせ。」

 


そう言って妻はレイちゃんを抱きかかえて、授乳に入ると、今までの奮闘がアホらしくなるくらいにレイちゃんは泣き止みました。

 


その時、新生児の頃の父親は、本当に役立たずなんだと気がつきました。

赤ちゃんは10ヶ月以上お母さんのお腹の中にいたんです。きっと、お母さんの匂いや体温を覚えているのでしょう。

どんなに父親が乗り越えようと思っても乗り越えられない壁があるのだと思います。

同じような経験をされた読者の方も多いのではないでしょうか?

 


レイちゃんは、私にとっても初めての子供。

世の中、父親が家事や育児を行うのはもはやスタンダードな世の中になってきました。

私も多少なりとも気合いは入っていました。

でも、母子間の結束の硬さに、その気合は空回りになった気がしていました。

 


結局育児に父親が出る幕がないのかもしれないとさえ、思っていました。

 

父は役立たずの誤ち

 

でも、その考えは間違っていました。

 


それに気づいたのは、本当に些細な出来事でした。

それは、まだレイちゃんが小さかった時期。

私は心の中で育児は母親がするものだ、という意識が根強かった時期でもあります。

 


車で出かけようとした時、妻に対して、つい口を突いて出てしまった言葉。

「出かけ先で、遊べるおもちゃ用意していないの?」

 


妻は激怒しました。

どうして、私一人が全て考えて、用意しなくてはならないの?

全部私に任せきりなの?

 


おっしゃる通りでした。

私は冒頭紹介した新生時期のエピソードから無意識のうちに子供のことは、母親がするものだ。

私が入る余地はない、と思い込んでいました。

 


でも、重要な勘違いをしていたと思います。

育児というのは、夫婦が乗り越えるべきタスクの一つにしかすぎません。

家族の生活を回していくことと、新生児育児に父親が関われないのは別の話なのです。

 

育児は家族全体のプロジェクト


仕事で言うなら、家事も育児も家族全体のプロジェクトなのです。

 


確かに、新生児の時、直接的に父親が関われるポイントというのは少ない。

今でもその考えは変わっていません。

 


子供が生まれたら、当然子供中心の生活になります。

でも、子ども対応は母親中心に進みます。

その時父親は子供目線よりも、むしろ母親目線で家族全体のプロジェクトを考える必要があると感じたのです。

 


産後一番苦しいのは、母親です。

子供をあやすことよりも、母親目線で、母親が今一番大変なことは何か?

出かける準備に必要なことは何か?

そう考えることで、家族全体がうまくまわります。

 


生まれて直後は、炊事・洗濯は父親がしなければならないのは当然のこと。

車のチャイルドシートに乗せ込んだり、大きな荷物を抱えたり、おむつやお尻ふきを準備したり、母親がする動きを先手をうって行うことを心がけてきました。

 


どの作業を父親がすると決めるわけではありません。

妻が炊事・洗濯をしてくれているのであれば、オムツは私が変えよう。

 


妻がオムツを変えてくれている時、自分が何もすることがないのであれば、オムツを捨てるポリ袋を用意しよう。

 


家族プロジェクトを進める時に、どの動きを取るのが最適かを考えるわけです。

私は正直仕事が忙しくて、子供の面倒も十分にみてやることが出来ませんでした。

子どものことは妻が一番よく理解してくれています。

だから、私は妻を通して子どものことを理解し、自分がなすべきことをやると考えました。

 


保育園の準備の仕方も、妻がする準備を普段から注目するようにします。

下手にわからない準備が父親がしても、失敗するからです。

 


妻ならどうする? を一番に考えて準備を進めるのです。 

 


子供が生まれたら子供中心の生活になると言います。

それを妻中心の生活にすると、家族全体のプロジェクトがうまくまわっていくのです。

 


だんだんと育児にも余裕が出てきました。

子育てのことで妻に怒られることも減りました。

父親になったら、子供に対する愛情以上に妻への愛情を向けるというスタンスを身につけることが出来たからだと思っています。