Sorry,We missed you
前作でパルムドール受賞したケン・ローチ監督の最新作品「家族を想うとき」の原題です。
はじめ,映画が始まるときにタイトルで画面に現れた時には,それが意味するものが何かわかりませんでした。
なぜ,Sorry,We missed you ってどういう意味なんだろう?
なぜそれが日本語訳で「家族を想うとき」になるのだろう?
英語に詳しくはない私には,はじめなんのことかわかりませんでした。
映画を観進めていくと,その言葉の意味がようやくわかります。
その意味に触れたとき、家族への想いとその想いが空回りする冷酷な現実につきあたるのです。
あらすじ
映画は,イギリスのある家族が主人公です。
父親が配送会社のフランチャイズの契約を結ぶところからはじまります。
その後、家族の苦しい生活事情が描かれています。
新たにはじめた父親の配送の仕事も,かなり過酷です。
フランチャイズという美名のもとに個人に仕事の責任の一切を負わされます。
「休みたい? 休んでもいいけど、罰金はあるから自己責任で。」
そんな感じです。
妻も、介護士の仕事で朝から晩まで,働き詰めて,二人の娘と息子はほとんど放任で育てられています。
徐々に家族が追い込まれていくさまが描かれます。
父の仕事で,宅配で訪れた先が,留守で不在だった場合に,置いていく不在票。
おそらく,あなたも荷物が受け取れず,不在票がポストに入っていた,という経験は多いのではないでしょうか?
不在票がある世界は,もはやスタンダードですらあると言えます。
その不在票,英語でいうと「Sorry,we missed you」だったのです。
直訳すると,「残念ですが,あなたにお会いできませんでした」ぐらいでしょうか?
タイトルにもなっているこの言葉には、二重の意味があると思っています。
それは、家族の「父親に対する思い」なのではないかと思ったのです。
タイトルに込められた意味
父親は,家族のためを思って一生懸命働きます。
しかし,その働きが結果として,家族の関係を悪化させていきます。
朝から晩まで働くばかりで家族と向き合う時間が全くなかったからです。
その結果,息子の非行につながります。
万引きをしたり,家族写真にスプレー缶でバツをつけたりするのです。
でも,息子は父親のことを嫌っているかと言えば,そうとも言えません。
息子は息子なりに,父親のことを想っていることが映画の中で示されます。
それは,息子の想いが,父親に伝わっていなかった。
つまり,「Sorry,We missed you 」というわけです。
娘も然りです。
途中,父親の仕事道具であるバンのキーが行方不明になったときの顛末もまた,これを物語っています。娘の父親に対する思いが伝わっていなかったのです。
母親だってそう。
母親も父親と近い境遇の中で,理不尽な勤務体制のもとに働かされていました。
自分も,厳しい条件下で働いていながら,父親に寄り添い,時に父と一緒になって会社への怒りをぶつけることもあります。
父親が怪我した時には,休むように諭しますが,その思いは伝わりませんでした。
家族それぞれの父親への感情が,届いていない。
つまり「不在」だったということが描かれているのです。
これが原題となっており,宅配時に配布される不在票との二重の意味が込められていたのです。
ここまで読んできた人は,もしかしたらこれが家族間の問題であると理解される人もいるかもしれません。ですが、これは違います。
家族の問題でなく社会の問題
こういった家族間の軋轢は,劣悪な社会環境そのものが産んだと言えます。
今回は,配送会社の労働環境が、現代の闇としてぶつけられています。
家族の想いが伝わっていないのは,父親が悪いのでなく,社会の歯車自体が家族を追い込んでいるのです。
これはまさに配送にも言えることです。
運送者が不在票を置くのは,配送者と消費者の関係である一方,その問題を起こしているのが,配送全体のシステムであるのです。
例えば,運送会社は近年荷物の配送量が増加するなかで,会社としてはなるべく在庫を抱えたくない。
だから,消費者が別に早く届けてほしいと思ってなくても、なるべく早く荷物を届けようとするのです。
その結果,不在票が生まれるのです。
本作でも,一見家族間の問題でありながら,極限の社会・経済の問題が根底にはあるのです。
そしてこの問題は現実の問題と地続きです。
自分も今はまだ,幸運にも,この主人公家族のような境遇にはなっていませんが,
いつあのような状況になるかもわかりません。
甘くないラストに込められた意味
この映画が、全く甘い結論にならないのは,ラストシーンを見ればわかります。
観客を突き放したようなラストですが,これが社会の現実であると観客に突きつけてくるのです。
映画は本来,自分が経験したことのない体験への旅であると言えます。
SF,アクション,時代劇。
現実には起こり得ないような体験や感動を与えてくれるからこその映画の醍醐味です。
一方本作はどうでしょうか?
今や,誰の家族にも訪れうる普遍的な「現実」の問題が描かれているのだと思います。
だから,ケン・ローチ監督は,安易に主人公に救いを与えることはしませんでした。
主人公たちにとって,映画で語られるのは,人生のほんの一部分だけです。
映画後も,彼らの人生が続くのです。
甘い解決策を用意して提示したとしても,根本的な解決には至りません。
甘い解決策を用意しないことで,現実の恐ろしさを際立てているのだと思います。
これまでテーマ的なところを語ってきました。
もしかしたら,観る前に「重い」と思わせてしまったかもしれません。
描かれるのは,辛い現実ですが,見始めるとぐいぐい見てしまうエンターテイメント性もあります。上映時間も少し短めということもあります。
まだ見ていない方は是非ともチェックください。