「学校の宿題が終わったら、次は計算カードだからね」
娘は泣きながら、計算カードをめくります。
英単語記憶でよくある暗記カードのように、表に計算式、裏に答えが書いてあるカードが輪っかで綴じられている計算カード。
ようやく一周を答え終わると、
「はい、もう一回やって」
妻のかけ声で、もう一周がはじまります。
計算カードは、輪っかになっているので、最後までいくとはじまりのカードに戻ります。
はじまりと終わりがつながっていて、娘にとっては終わりがないように感じられたのでしょう。
めくっては答える禅問答のような修行に娘は耐えていたのです。
私は、そんな妻のスパルタな教育方針を疑問視していました。
娘は、今年小学校1年生になったばかり。
確かに勉強の習慣はついて欲しいと感じていながらも、1日に1時間も2時間も家庭学習で机に向かわせるのには少し気が引けていました。
小学校の問題は、正直そんなに難易度も高くなく、あまり詰め込み教育をする必要がないと感じていたからです。
むしろ、のびのびといろんな体験をさせてあげた方が良い。
そんなふうに思っていました。
しかしながら、私は妻にそれを伝えられずにいました。
過去に、育て方の方針の違いで大喧嘩になったことがあったからです。
私は普段仕事をしていて、子供の面倒をあまりみてやることができていませんでした。
宿題の管理も妻に任せきりでした。
そのことを、妻も私に不満に思っていたのでした。その時はそれが喧嘩の引き金になったのです。
そんなことがあったから、私は妻に何もいえずにいたのです。
「もっとのびのびといろんな体験をさせてあげたい」
妻が娘に厳しく指導するたびに、喉元まで出かかっていたその言葉を飲み込んでいました。
そんなこと言ったところで、私に具体案があるわけでもありませんでした。
どうせ妻からは、「宿題全部任せてるくせに文句だけ言って、それならあなたが全部面倒見てよね」といった類の反論をされてしまうだけだろうと思っていました。
というか、実際に過去に言われた経験があったのです。
選挙の立候補人に意見を述べたら、
「そんなことを言うなら、お前が立候補しろ。」
と言われるような気分でモヤモヤがあったのも事実です。
そんなモヤモヤを抱えたまま、年末年始を迎えていたのです。
なんと言っても今年の年末年始は静かでした。
例の感染症の拡大が続き、帰省や外出の自粛が行政から呼びかけられたからです。
そのおかげといえば良いのか、そのせいといえば良いのか、年末年始はずっと自宅で暮らす日々となりました。
帰省も今年は見送ることにしたのです。
人混みを避けるため、ずっと家に閉じこもって、妻は今日も子供に勉強を教えています。
「年末くらい、のんびり過ごしてあげたっていいじゃないか」
心の中ではこう言いつつも、
「勉強みてくれてありがとう!」
と口では応援していました。
まるで私は芸能リポーターのような気分でした。
視聴者を喜ばせるために本心で思っていないことを口に出していたのです。
心と体の矛盾した言動がこんなにもストレスになるのか、きっと芸能人も本来純粋な漫才やコントといった芸事で、視聴者を楽しませたいと思っているはずでは、そんな無駄な心配をしていました。
妻が子供を見ている間、私もダラダラとしているわけにもいかないので、子供の横にくっついて一緒に勉強を見ていました。
でも心はここにあらずで、妻の熱意の源泉を探していました。
「我が娘の二学期の成績が決して悪かったわけでもない。何が、妻の原動力になっているのだろう。初めての小学校ということで何か気負いがあるのだろうか?」
私には、妻のふるまいが、ジョギングコースを全速力で駆け抜けているように感じていました。
長い小学校人生、まだ1年目の半分を過ぎたところです。
これから妻は、育児休業からの復帰も控えています。
今からは、共働きで娘を育てていかなくてはいけない。
まだまだ先は長いし、ハードルだってある、こんなペースで張り切っていたら、いつか息切れしてしまうのではないか?
そんな心配ばかりをしていました。
次の日のことです。
いつもは、厳しい妻の声が緩みます。
「すごい2分もタイムが縮んだじゃん」
妻は計算カードを一周解くのにかかる時間を全て記録にとっていたのです。
タイムが縮んで、娘も笑顔になっていました。
算数は、もちろん暗記科目ではありません。
それでも量をこなせばこなすほど、その実力はアップしていきます。
勉強は知識の引き出しの数を増やすのと同時に、「どの引き出しに記憶しているか?」、その引き出しまでのアクセスを早める必要があります。
妻のスパルタ教育で、娘の計算に関する引き出しは開けたり閉めたりと自由自在になりつつあったのです。
多分スパルタ教育がなくても、娘は計算の答えに辿り着くことができたでしょう。
しかしながら、その計算の答えへのアクセスする速度が上がっているのです。それはちょうど毎回進化するスマートフォンのCPUのように、年末年始の日毎に頭の回転が上がっているのです。
これには私も驚きました。
算数は、量をこなせばこなすほど、実力や成果に繋がっていく。
妻は、そんな成功体験を娘に気づかせてあげたがっているのではないか?
そんなふうに思うようになりました。
確かに、そこで上がった成果で娘はやる気を取り戻していました。
つい数日前までは、計算カードができなかったらスイッチを押したかのように、すぐに泣いていた姿がそこにはありませんでした。
年末年始も半分が過ぎると、はじめはイヤイヤと言っていたのが、次第にすんなり机に向かうようになっていたのです。毎日一定のリズムで一定の時間になると机について今日の課題に取り組む。
それはまるで妻による冬休み冬期講習でした。
妻は冬季講習を外注せずに、自らが講師となって実践していたのです。
ここまでくると私は妻にもう、何も言えずにいました。
いや、もとより何も言えなかったのではないか。
ここまで読んでそう思う人もいるかもしれません。
でも、今回は違います。
言えなくなった理由が変わったのです。
はじめに、私が妻に何も言えなかった理由は、育て方の違いがあったとしても、普段育児を任せきりにしている私がそれを指摘してしまうと、喧嘩に発展するから、でした。
ところが、今回の理由は純粋に妻のやり方に感心していました。
妻がすごい、と思ったから、妻のやり方に口を出せずにいたのです。
「勉強!みてくれてありがとう」
今度は、心の底から言葉に出すことができました。
純粋で嘘偽りのない気持ちで言うことができたのです。
やっぱり、心と体が一致していると、一切のストレスを感じることなく思いを伝えられるんだと思いました。
不思議と、子供がやる気を出したように、私も子供に勉強を教えるやる気が湧いてきました。
子供がやる気になって、成功体験をしたら、大人も興味を持ってやる気になる。
そう、妻の熱意がいつの間にか、私自身の胸にも伝わってきていたのです。
もしかしたら私自身も妻の術中にハマっているのかもしれない。
さすがにそれはおそらく考えすぎだと思います。
しかしながら、私はそんなことを考えてしまうくらいに、自分の考え方が180度変わったんです。
なんと言っても、「のびのびと暮らして、いろんな体験をさせてやりたい」
そう考えていた私が、勉強を教え込まれて成果を上げる我が子を見て、
「勉強に全集中できる環境を整えて、勉強する姿勢を身につけさせてあげたい」
「なんなら、中学受験も視野に?」
そんな風に考え方が変わりつつあったからです。
人間とはいとも簡単に影響される存在なのかもしれない。
いや、人間は言い過ぎたかもしれません。
私自身が影響されやすい人間なのです。
とにかく、娘の勉強に対してもっと前向きに捉えられるようになったし、その手法について妻を心の底からリスペクトできるようになったわけです。
ここまで辿りついたのは、妻の熱意に他なりません。
さすが、夫婦。
「最終的には同じ方向を向いて生活していける関係になるんだな。」
と思っていると、妻が一言つぶやきます。
「子供たちの勉強を見ていると、自分の時間が潰れるわ」
ここで私は、大事なポイントを見逃していたことに気がつきます。
妻が、子供たちに勉強を教える上で、当たり前だけど、肝心なことに気がつきました。
妻は、娘に勉強を教えるときに必ず横についていました。
計算カードとか、一人でもできそうなことをさせるときでも常に横について教えていたのです。
国語の文章題でも、一文一文、なぜその答えを導くことができるかを横について教えてあげていたのです。
それは、まるでおじいさん、おばあさんのパソコン教室のように、手順を一から十までひとつひとつ教えていたのです。
その過程で、スパルタな一言が飛び出していたのです。
単に厳しく指導をしているのでなく、マラソンや駅伝のランナーを、伴走して応援してあげていました。そう妻自身も、自分の時間を投げ打って子供のために尽くしていたのです。
この姿が、日常に溶け込んでしまっていたので、気づきませんでしたが、冷静に考えたらこれはすごいことだと思います。
彼女は、平日仕事で私がいないとき、育児を自分で一人でやってくれています。
貴重な年末年始の時間くらい私に任せて、好きなように過ごしてくれても良いのに、その時間を子供のために全て費やしてくれていたことに気づいたのでした。
なぜ、妻の熱意が私に伝わったのか、その本質がわかった気がしました。
彼女は育児についてはプロでした。
人生を、子供のために費やしていたからです。
野球のプロがいます。
サッカーのプロがいます。
将棋のプロもいます。
野球もサッカーも将棋も、誰もが小学校時代に経験して、誰もが夢中になってきました。
その一方で、その誰もがゲームや遊びに興じていました。
そこで、プロは一線を画します。
それが良いか悪いか話は別にして、プロはずっとその競技に向き合ってきました。
私たちが野球に費やした時間とは比べものにないくらいずっとずっーと長い時間をそれにかけていたのです。
妻もそうでした。
「自分の時間が潰れる。」
きっと葛藤はあると思いますが、心の奥底では、自分が子供たちを真っ当に生きられるようになってほしい、と思っているはずです。そう願って、自分事として育児に向き合っていると感じたのです。
私も、別に育児を他人事と思っていません。
でも、実際にその時間を子供のためにどれだけかけているかと問われれば、身じろぎしてしまうでしょう。
そこが妻との違うところでした。
妻の姿を見て、私は羨ましいとさえ感じました。
どうしたらそこまでの情熱を捧げられるのか?
自分も何かしら子供たちに情熱を傾けたい。
そう思いました。
妻が勉強を一生懸命見てくれるのであれば、それは応援しつつも、私は別のことで子供たちに情熱を傾けることが何かできないだろうか?
そう考えた時に頭の中をよぎったのは、
「のびのびといろんな体験をさせてあげたい」でした。
そもそも、私は妻と考え方が違う、それを指摘すること自体が間違っていました。
勉強熱心なのと、のびのびさせるのは、本当に対立することなんだろうか?
もしかしたら、両立させられるのではないか。
そう思うようになったのです。
お互いに尊重しあえる関係こそ目指すべき関係なのではないかと気づいたのです。
別に計算カードの修行自体に何時間もかかるわけではありません。
妻の冬季講習が終わってからでも十分に遊べる時間ならあるはずです。
その上で、妻には提供できない父親だからこそできる子供の体験ってなんだろうか?
そんな風に考えるようになったのです。
早速、外での自然体験なら子供たちと一緒に遊ばせてあげることができるかもしれない。
そう思って、自然の中ですごせる体験プログラムについて調べることにしました。
妻の熱意が私のやる気に火をつけたのでした。
今年は、静かな年末年始に人知れず燃えるような心で新年を迎えることになりました。