空白の高校時代
私にとって、高校時代は空白の3年間でした。
別にいじめられていたわけでも、何か友人関係がうまくいってなかったわけでもありません。
でも、学校は楽しくもなければ、行きたくないこともないという感じでした。
学校生活のスタートでしくじったからかもしれません。
私が通っていた高校は地方ではわりと進学校として有名でした。
高校に入ってすぐ、実力テストのようなものがあって、世界の広さを知りました。
中学では、どんな教科でも常に10本の指に入る成績はありました。
それが高校に入った瞬間、そのレベルの高さに驚いたのです。
定期テストに本気を出して取り組んでも、平均点を取るのがやっと、みたいな状況が続きました。
当時、勉強という私の唯一と言っていい強みを出すこともできずに、私は高校の中に埋もれていく感覚がありました。
中学の時は常に中心に近いところにいた気がします。
勉強もよく出来て一目おかれていましたし、部活動も上手い方ではなかったけど、ムードメーカー的な役割として中心メンバーと近いところで頑張っていました。
自分で言うのもアレですが、周囲から慕われていたと思います。
ところが、高校では、中心にいられない居心地の悪さを感じながら生活をしていました。常にクラスの中心で、活躍している同級生たちの姿をみて、羨ましく思いながら、チャイムが鳴ったらすぐ帰る帰宅部員でいたのです。
「アルプススタンドのはしの方」は人生を映す鏡
映画「アルプススタンドのはしの方」を鑑賞した時、そんな自分のわりとダークサイドな高校生活を思い出していました。
この映画は、私の人生を映し出す鏡だと思いました。
鑑賞したことで、昔の自分を思い出すと同時に、これは自分の物語だと思ったからです。
そんなことを言うと、この作品の登場人物たちに失礼かもしれませんが、
本作では、私と同じように高校生活で、「中心」にいられなかった4人が主人公となっています。
この作品は、元は演劇がベースの映画作品です。
アルプススタンドのはしの方で、主人公4人の会話と甲子園での試合の展開がシンクロして物語が進行します。
野球部の甲子園出場をきっかけにクラス全員で応援に来ているところ、同級生4人がいやいやながらも参加するところからはじまります。
その4人は、応援の中心には入れずにアルプススタンドのはしの方にいるわけです。
それぞれに、「はしの方にいたい」と願う事情がありました。
これが、高校生活で中心にいられなかった自分と重ねてしまったことです。
野球部では甲子園という晴れ舞台があります。
でも、そんな甲子園に出場できる人なんてひとにぎりの人たち。
私は、高校生活のスタートをしくじって以来、何かの中心に入るということを諦めて、すみっこの暮らしをずっと続けてきていたのです。
そんな私にとって、甲子園に出場する選手たちなんてほとんどリアリティがありません。
私には関係のないこと、応援しても「仕方がない」存在だったと思います。
だから、主人公たち4人が、アルプススタンドのはしの方でやさぐれている姿をみて、「わかるわかる」と感心していました。
私は、甲子園に出場できないどころか、応援団の輪の中にすら、入れていない存在だったんだと思います。
それでいて、中心の存在が気になるから厄介です。
特に、四人の中で唯一男性で野球部員だった藤野のように、観にこなくても良いのに、クラスのことには気になって顔を出してしまう。
中心にはいられないのに、中心のことが気になってしまうややこしい性格でした。
やっぱり空白ではなかった
でも、物語も後半に向かうにつれて、主人公たち4人の中にも燃えるものが出てきました。
主人公あすはとひかるが諦めていた演劇の全国大会への夢。
甲子園の試合を通じて、諦めかけていた魂にもう一度火がつくのです。
それが彼女たち4人の姿を通じて、その熱意がこちらにも伝わってきました。
そして、私も思い出しました。空白だと思っていた、私の高校生活にも燃えるものがあったかもしれない。
私も高校時代ずっと中心にはいられなかったけど、最後は勉強頑張っていたんだった、と。
決して私の高校時代は空白ではなかった。
そして映画の主人公たちが、それに気づいたように、私も映画を通じてそれを思い出すことができたのです。
高校3年生の一学期のことでした。
高校1、2年生の時には平均点を取るのもやっとだったのが、まぐれで校内3位の順位を取ることができました。あの時に、私にははっきりと目標ができていたのです。
大学試験です。
楽しいと思っていなかった高校生活の中で新たな目標ができたのが嬉しかったことを思い出しました。
私の人生の断片を思い出させてくれたこの映画は、きっと他の誰かの人生ともシンクロするのだと思っています。
それは、本作が丁寧でリアリティのある人物描写がなされているからです。
一見、本作におけるライバルというか、敵役にもなりうる吹奏楽部のリーダーである久住さん。
彼女は、かなり中心に近い人物でありながら、甲子園で活躍する彼との関係に悩みます。
彼女もまた、彼女にとっての中心には近づけていないのです。
誰しもが、自分の思う中心にいられない学校生活を送っている。
そんなみんなのリアルを描いているからこそ、本作は観るもの誰にとっても人生をうつす鏡たり得るのだと思います。
空白時代だと思っていた高校時代、鏡を通してみたら、思った以上に眩い青春が待っているかもしれません。