三児の父はスキマ時間でカルチャーライフ

仕事も趣味も育児も妥協しない。週末菜園家が、三児の子どもたちを育てながら、家事と仕事のスキマ時間を創って、映画や農業で心豊かな生活を送るブログ

【テネット予習シリーズ】インターステラーは時の魔術師ノーラン史上最大スケールの映画

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繰り返し時を描いてきたクリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーランは時の魔術師。

最新作「テネット」に向けて、「インセプション」「インターステラー」と、ノーランの代表作を見返した私の感想です。

 


ノーラン監督は繰り返し、「時のズレ」を表現してきました。

初期作品「メメント」では、時間軸を逆行させ、

インセプション」では、現実で流れる時間と夢の中で流れる時間のズレを描いています。

 


時間のズレというのは、観る人の心をつかみます。

現実世界では、絶対に体感できないことだからです。映画の中でしか体験できないからこそ、私たちは映画館に足を運びます。

インターステラー」は、その極みのような映画になっていました。


時間のズレを圧倒的なスケールで描いた傑作と思っています。

 


時間のズレ自体は、他の作品でも描かれてきたことです。

たとえば、A地点とB地点で時間の流れ方が違うというような設定は、ドラゴンボールでいうところの「精神と時の部屋」です。

子どもの頃から慣れしたしんだ設定ですが、それはあくまでも漫画の世界の話でした。

 


時間のズレは現実にあり得る、と聞いたのは高校の頃でした。

昔、授業ではじめて「ウラシマ効果」というものを聞いたのです。

地球からロケットで宇宙に飛び出すと宇宙と地球では時間の流れ方が違うから、宇宙から戻ってきた時には、地球のみんなは年老いてしまっている。

そんな話だったと思います。

 

最大スケールの「ウラシマ効果


ひらたく言えば、インターステラーは圧倒的なスケールで描く「ウラシマ効果」です。

本作は、気候変動による食糧難で絶滅の危機に瀕している地球で、移住先となる惑星を探すために宇宙の旅に出るSF映画となっています。そこで、先程のウラシマ効果が登場します。

 


インターステラーが他作品と違うのは、徹底したリアリティを土台に作られていることです。アインシュタイン相対性理論よろしく、ゴリゴリの物理学に裏打ちされた設定が描かれています。実際本作は、キップ・ソーンという理論物理学者が映画の科学考証に入っています。

 


ワームホールブラックホール、4次元空間。

お馴染みのSF設定も、現実世界の延長であるリアリティのある表現として、ロマンに溢れている作品なんです。

 


本作のウラシマ効果の表現はリアルすぎてゾッとします。

思わず宇宙怖いと思ってしまうほどです。

 


たとえば、人類が住める可能性がある惑星の探索の話をします。

はじめて訪れた惑星は、重力の影響で1時間過ごすと、外では数年間の時間が経過するという恐ろしい惑星でした。

映画では、10分程度のシーンにも関わらず、地球では23年時間が経過してしまいます。

惑星に行って、宇宙船に戻ったら乗組員は年老いているわ、地球からのメッセージは23年分溜まっているわで、大失敗を犯してしまうのです。

 


ちょっとした選択が地球の未来を左右する。

そのことが実感として感じさせられる名シーンだと思います。

 

 

 

それだけでも、十分なスケールと言えますが、本作はそのさらに上をいきます。

時間のズレだけでなく、時空間の旅に発展するのです。

 


4次元空間です。

ドラえもんでも描かれているアレです。

本作では、一応それに対して理論的な解釈がされています。

ブラックホール特異点に行くことで4次元空間へと入るというものです。

時の魔術師は時空の魔術師に進化したのです。


そこから、次々と展開される伏線の回収は、鳥肌ものでした。

 

圧倒的な映像と物理と哲学


実は、クリストファー・ノーラン監督は、いつもこの辺りは紙一重です。

4次元空間なんてものを持ち出せば、一歩間違えれば嘘臭くて、しらけます。

なんといってもドラえもんと同じ概念を描いているのですから。

 


でも、圧倒的な映像による説得力とそれまでの物理で裏打ちされた説明で乗り切ります。

観ている間はほとんど違和感なくみれるのは、やはり演出の手腕がすごいのでしょう。

 


そしてこの物理ゴリゴリの本作。

ややもすると難解すぎてお客さんに伝わらない懸念もあったと思います。

そこも絶妙に親子関係や「愛」というものも織り交ぜてエンターテインメント性を高めているところが特徴です。

 


宇宙の旅の最中、描かれるのは、地上に残った子どもや親との切ない通信。

そして、旅先におけるある「葛藤」。

人類の存亡をかけた旅なのに、そこにはさまれる個人の感情に焦点があてられるから、物理は理解できていなくても、そのストーリーに固唾を飲む人は多いはずです。

 


最後には時空を超えた親子の「愛」すらも、物理法則の中で、客観的に観測可能なものとして描かれます。

 


いよいよスケールの大きさがまさに宇宙どころか哲学的にすらなります。

でも、本作が世界的にヒットしたのはまさにそこでしょう。

時空を超えて、つながる親子の物語としてみれば、涙なしには語れない映画になっています。

時空をつかさどる者は神に近い。ノーランはまさに映画の神になりました。

 


何を隠そう、私はノーラン監督の作品の中では一番好きな映画です。

科学オタクが作ったエンタメ作品。もともと理系な私にささらないわけがありません。

 

 

 

今、映画館でノーラン作品を観ると、冒頭にて最新作テネットの予告が流れます。

テネットも、「時」を扱った作品であることが分かっています。

ノーランの真骨頂の映画だと言えます。これは期待せずにはいられません。

 

インターステラー(字幕版)

 

【テネット予習シリーズ】映画にインセプションされる? ノーランが仕掛ける夢物語

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先日、コロナで随分足が遠のいていましたが、実に半年以上ぶりに映画館に足を運びました。

 

久しぶりの映画館で観る映画として選んだのは「インセプション」です。

クリストファー・ノーラン監督の2010年の作品で、最新作「テネット」の公開を控えてか、

映画館で上映されていたので観てきました。

 

せっかくの映画館での映画だったので、過去作を観るというのは少し残念な思いもありました。

新作があまり公開されていないこともあるので仕方ありません。

ですが、残念な思いを振り切ってでも、観たいと思うほど、私にとって好きな映画でした。

 

夢がテーマの複雑な作品

 

なぜかと言えば、ノーランの描いた夢の表現があまりにも新鮮で印象的だったからです。

インセプションは、夢がテーマの作品です。

映画の大半が夢のシーンになっています。

ターゲットの夢の中に入り込んで、アイデアを奪ったり、アイデアを植えつけたりする企業スパイが主人公です。

 

「アイデアを植え付ける」というのが、作品の中で「インセプション」と呼ばれています。

インセプションは、より深層心理に近いところで、やらなければ効果がありません。

そこで、夢の中でターゲットを眠らせて、さらに夢の中に入ります。そして入り込んだ世界で、さらに夢の中に入り込みます。夢の中でさらに夢に入り込むことで深層心理に近づこうとするのです。

 

ロシアのマトリョーシカみたいに、夢の中の夢の中の夢、といった具合に複数の夢の中が混在するストーリー展開になっていきます。

 

この映画、さらにここでもう一つ複雑な要素を入れてきます。

「夢の中の時間は現実よりも長く感じる」というものです。

 

つまり、現実の世界で10分寝ていたら、夢の中では1時間、夢からさらに夢に入ると1日。

といった具合に、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」のように、現実世界の時間の流れ方と夢の中の時間の流れ方が違うものになっています。

 

とにかく本作は難しい設定が特徴ではあります。

映画内でも、ルール設定に割く時間は長いです。

チュートリアルみたいなシーンが続きます。

複雑な設定ゆえに、非常に飲み込みづらい部分があるのも確かです。

 

この飲み込みづらさが、夢の多重構造と、夢との現実の時間のズレが、本作の「メインディッシュ」になっていると思っています。

この設定だけで、ご飯何杯でもいけるんじゃないかと思うくらいです。

ここが楽しめないと、映画全体が楽しめないんじゃないかと思います。

それくらい、夢のシーンの映像表現は斬新です。

 

斬新な夢の中の表現

 

夢の表現と言っても、はっきりそれとみて夢とわかる夢ではなくて、わりと現実にあり得そうな夢になっています。

夢と現実がわからなくなる、という夢に入り込んだ時の副作用が描かれるからでしょう。

でも、潜在意識に気づかれた時のホラーのようなドキッとする表現だったり、突然建築物がバキバキと組み上がる表現だったり、これまでにない夢表現になっています。

 

そして、なんと言っても、夢の中の夢。

本作でいうところのホテルのシーンは印象的でした。

夢は上の階層の出来事に影響を受けます。

そのホテルのシーンでは、その影響で無重力になるのですが、これがなんとも奇妙で面白い。

ホテルで無重力の戦闘中にカットバックで現実の様子が描かれるのですが、そこでは眠っているだけなのがシュールなんです。あくまで「夢の中で戦っている」という設定です。

夢の中でも、無重力の中、眠っているキャラを束ねて起こそうとするシーンもシュールでしたね。

本作は、大真面目にシュールなことをしているのが興味深いです。

ノーラン監督作品はいつもそうです。

 

もう一つは、夢と現実時間のズレ。

本作では、映画が夢の三段構造になっています。三つの夢の場面が登場します。

夢のシーンが交互に映し出されていきます。

シーンごとに時間の流れ方が違うのが面白い。

一番上の夢では一瞬の出来事が、一番下の夢ではちょっと時間ができる。その時間の差を使ったギリギリの駆け引きみたいなものがスリルを生んでいて、ハンスジマーさんのジワリジワリくる音楽も相まって、テンションが上がっていきます。

 

映像センスと壮大なスケールの映画を観られて、やっぱり映画館に来て良かったなって思うわけです。

 

 

映画自体にインセプションされている?

 

ところがです。

冷静に考えるとおかしなところも多いのが本作です。

例えば、さっきの夢の中の夢の表現。なぜホテルは無重力なのに、一番下の階層は無重力でないのだろうとか。

いや、そのあたりは、まだマシだと思います。

夢をテーマにしている以上、どうしても細かい矛盾点は生じてしまうと思います。

 

でも、一番気になったのは、やっぱり主人公コブの言動でしょう。

コブは、チームメンバーにリスク犯させすぎでしょう。

特にモルの幻影のせいで、足をひっぱる恐れがあるのは、本人も当然わかるはずなのに、作戦を強行してしまうのはいかがかと思います。

 

モルとコブとのエピソードは確かにそれはそれで、夢の設定を生かした驚きの展開ではありました。

 

それを差し引いても。

というか、そんなことがあったのなら尚更、こんな仕事受けるべきではなかったと思います。

いや、仕事を引き受けるのは勝手ですが、それで他人を巻き込んではいけないでしょう。

 

度肝を抜く映像体験と複雑な夢設定で、すごい映画だと思う一方で、怒りの感情も湧いてくる不思議な映画になっています。

 

観ている間は、その映像世界にのめり込んで舌を巻くばかりでした。

思うに、観ている観客もインセプションされているのだと思います。

「これは何かすごい映画だぞ」と。

でも、映画見終わって現実世界に戻ってくると、「あれ? やっぱりあのシーンおかしくないか」と疑問が沸いてくるわけです。

 

個人的には、映像世界の凄みが伝わるというだけでも、ご飯が何杯でもいけるので、たとえインセプションされているとは言え、大満足です。

久しぶりの映画館で、一度観たことのある「インセプション」を選ぶ、という私の行動そのものが、実際多少のアラは目をつぶってでも、劇場に足を運んで観たいという気持ちの表れだと思っています。

 

最新作、テネットではどんな劇場でどんなインセプションがされるのか、今から楽しみです。

 

 

インセプション (字幕版)

インセプション (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

日本沈没2020レビュー 予定不調和なストーリーが感性に訴える

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ピカソゲルニカ

昔、美術の教科書でピカソの「ゲルニカ」を観ました。

中学生時代だったと思います。

「何だ、子どもの落書きじゃん。」

まわりの友達とは、そんな感想を言い合っていたのを覚えています。

 

ピカソは、言わずと知れた天才画家です。

でも、そんなピカソが書いた絵は、なぜこんなにも評価されるのか分からない、

この絵だったら自分でも描ける、なんて素人からは評価されます。

 

でも、美術の絵の先生は言っていました。

「実はピカソはちゃんとした絵も描ける」

 

ピカソは、もともとリアルな絵を描くのも上手だと言うのです。

何でも、「叫び」とか「ゲルニカ」とか誰もが知っている名作は、ピカソが新しく生み出した絵画の表現技法によって作られているというのです。つまりは、上手くも描けるけど、わざとそういう絵の描き方をしているのだと。

 

その意味で言えば、湯浅政明監督のNetflixオリジナルアニメ「日本沈没2020」も、

もしかすると、ピカソ的なアート作品なのかも知れない。

全10話を完走したとき、そんな感想を抱きました。

 

脚本のアラは確かに目立つ 

正直言って、脚本はガバガバです。

別れても、キャラクターは都合よく合流するし、冗談かと思うくらいに人はあっさりと死にます。謎に登場する宗教団体やおじさんたちはその存在意義がよく分からなかったりします。

どうして、こういう展開になるのか、必然性に欠ける展開は多いです。

 

後半に行くにつれて、それに拍車がかかります。

それは、やがて物語への興味すら失ってしまいそうになりました。

 

ロジックでなく感性に訴える

でも、不思議なことに、最終話を見終わったとき、なぜか感情が揺さぶられてしまったのです。

ガバガバなストーリーテリングにもかかわらず、目頭が熱くなってしまったのです。

 

それはまるで、ピカソの絵を見た時の感覚だったのです。

決して上手いとは言えないピカソの絵。

でも、ゲルニカという作品は、心に訴えかけてきます。

 

そう、ロジックではなく感性に訴えかける作品。

それが湯浅政明監督なのかも知れません。

 

私は、この「日本沈没2020」から、新しいアニメ表現を魅せられている気がしました。

もちろん私は、アニメ製作においては素人です。

でも、人並みにアニメや映画は観てきました。だから、これだけは言えます。

日本沈没」は、今までに観たことのない手触りの作品です。

その秘密は予定調和のないストーリーテリングにあると思います。

 

予定不調和なストーリー

事実、この日本沈没2020には、予定調和なシーンが一切ありません。

中盤の「宗教団体(のような団体)」のエピソードにそれはよく現れています。

 

日本が沈没する危機にある中で、ユートピアのような場所が登場します。そこでは、死者の声が聞こえる子どもとその伝達者である母親が教祖で、信者が寝食に怯えることなく、暮らせているのです。

 

パターン化されたストーリーでは、築きあげたユートピアはまやかしで、その実はカルト教団。信者から、信頼と引き換えに大金を貢いでもらっていた、というオチになりそうなものです。

が、本作はそうにはなりません。

 

教祖もあくまで一人間としてしか描かれません。ある意味ニュートラルな存在です。

 

日本沈没のような災害映画でありがちな、死亡フラグもありません。

人は何の予告もなく、さも当たり前かのように死にます。

登場人物も、それを当たり前かのように受け入れます。

 

これも、ある種の、予定調和をあえて外しているように思うのです。

誰が、正義のyoutuberがカイトに乗って空から舞い降りることを予測できるでしょう。

 

この予定調和を外し続けた結果として、誰も見たことのない作品になりました。

結果として、それはストーリーのアラと紙一重になったのです。

 

脚本のアラを単に脚本の欠陥と指摘してしまっていいのだろうか、と言い切れないのです。

というのも、監督は、そんなストーリーのアラなんて百も承知で作品を作っていると思います。

 

どういう意図だったのでしょう?

きっと災害そのものが予定調和でないもの、だから、災害のアフターに置いても予定調和な展開が一切なかったといえます。

もう一つは、幸せな日常とのギャップです。

幸せな日常は、得手して予定調和な日常です。

毎日朝コーヒーを飲んで、家族とたわいもない会話をする。これこそが予定調和な日常です。

 

感情が揺さぶられたのは、予定調和なの日常と予測のつかない災害とのギャップです。

感動というのは、日常から離れたところにあります。

毎日飲むコーヒーは、美味しい。それが習慣になっているのなら、そのおいしさは安心と言っていいかも知れません。予定調和なおいしさです。

 

一方、日本沈没はどうでしょう、とてつもなく、旨味や苦味のエッセンスを抽出したエスプレッソを飲まされた気分です。いつもの安心のおいしさではない。ではないのだけど、しっかりと苦味を感じます。

リアリティさからいったら、後半に行くにつれて、気持ちが離れつつあったと言いました。

ラストのラスト、本作では、日常の尊さを訴えられます。

 

想像もできない非日常から、想像しうる限り最も幸せだった日常の輝きが眩しくて、でもその日常は戻らないというのに、新しい日常は、なぜか今まで以上に光輝いて見える。

最後にたたみ欠けるように、映し出される希望の物語にめちゃめちゃ前向きな気分にさせられたのです。

 

それまでひたすら、気持ちが塞ぐ展開が続いてきたというのに、その気持ちは一気に爆発しました。

 

この感情は見てもらわないと伝わらないものであります。

正直、後になって冷静になってみると、このアニメは万人に進められる映画ではありません。

そもそも、面白いかどうかって、自分の中で答えは出ていません。

 

でも、間違いなく心は揺さぶられ、何か自分の中で問いが生まれるし、今絶望に苦しんでいる人も、きっとこれを見終わる頃には眼を輝かせているに違いありません。

 

いつにも増して、何を言っているのか分からないブログになっているかも知れません。

でも、安心してください、何を言っているのか分からないけど、ロジックでなく感性で訴えるのが、この「日本沈没2020」なのです。

それはまるで、ピカソの絵画のように。

 

 

日本沈没(上) (角川文庫)

日本沈没(上) (角川文庫)

  • 作者:小松 左京
  • 発売日: 2020/04/24
  • メディア: 文庫
 

 

 

映画「天気の子」レビュー 天気の子は、思春期への旅でした。

新海誠監督の最新作「天気の子」がレンタル開始していましたので、遅ればせながらですが、鑑賞しました。

 

あのポスターのビジュアルといい、RAD WIMPSが主題歌の音楽を務めているといい、「君の名は。」の続編か? なんて思えるほど、雰囲気が似ていたので、正直ちょっと観るのをためらっていました。

でも、さすがに新海作品は、避けて通れないかな、と思って、レンタルを期に観たのです。

 

感想としては、なかなか結論を出しづらい映画になっているなぁって。

多分本作は、世の中的には賛否両論分かれていると思います。

実際、自分の頭と心の中でも賛否が分かれています。

心では、あぁこれは面白かったと感じていても、頭では、本当に本作を面白いと言って良いのか? と問いがわきます。

自分の中で結論を一つに絞ることができないのです。

 

 

あえて、言えることがあるとしたら、前作「君の名は。」と比べてどうだったか?

君の名は。」はエンターテイメント作品として高いクオリティとなっていました。

君の名は。」に比べれば、天気の子は良い点も悪い点も両面ある。

でも、どちらが心に残るかで言えば、私は「天気の子」であったと言いたい。

 

 

天気の子は思春期への旅

 

「天気の子」は、思春期、つまり世界が自分中心にまわっているかのように思えた、あの時代の感覚にタイムトリップさせてもらえる映画でした。

社会の歯車となった大人が、「社会や世界はどうだっていい」という価値観に触れて、現実から逃避する、甘い誘惑に満ちた映画だったのです。

 

だから本作は、主人公帆高と同年代くらいの方が、共感を得やすい話だと思いました。

逆に、私のような大人からは、痛烈な批判があるのもおかしくない。

 

映画本編を観ている間は、その思春期のキラキラとした非日常の世界に浸り、

やがて、「自分たちの正解」を通す主人公の勇気や価値観に心を打たれます。

 

でも、観賞後、しばらく時間がたち、社会の歯車に戻ると、天気の子のあの体験は、甘い現実だった、とリアルな社会の現実に絶望せざるを得なかったのです。そうなると、だんだんと天気の子の、現実に対して向き合っていない姿勢が目につきはじめます。

 

まさに、思春期への旅で、鑑賞中は自分もかつて心のどこかで感じ取っていた価値観に触れて、心が高ぶる一方で、旅を終えてからは社会に対して甘めな結論に苛立ちすら感じてしまう。

もしかしたら、思春期と決別した大人は映画の間終始イライラしながら、本作を観ていた可能性だってあるのかもしれない、なんて思っていました。

個人的な鑑賞体験で言えば、あの帆高たちの逃避行のシーンは素晴らしかったと思います。

ホテルで、少年たちが身を寄せ合って、カップヌードルをすするシーン。

帆高自身が、何も足さなくていい、何も引かないでください、と神に語ります。

 

厳しい状況に置かれていても、自分たちだけの小さな幸せ、非日常を楽しむ感覚、今を楽しむ感覚は思春期特有だと思っています。

大人は常に、過去を振り返っては後悔し、未来を想像しては不安に駆られます。

だから現実逃避という甘い誘惑に乗せられます。

大人は、そんな刹那の楽しみが永遠には続かないと分かっています。

何も足さない、何も引かない、そんな望みが届かないことは大人には分かっているのです。

だからこそ、辛いシーンでもあります。

 

 

次に、クライマックス近く、陽奈に会うために、警察の手を振り切って、線路を滑走するシーン。

東京の線路沿いを走るそのシーンは、帆高が社会の良識よりも、自分の正解を見つけて、決断し、迷いなく駆ける、とても美しいシーンになっていると感じています。

特別警報が出されるなか、電車が止まっているという設定を活かした名シーンになっていると感じています。

 

やがて、社会や世界がどうなったっていい、自分たちのセカイを守る決断へと舵を切ります。

そのセカイの選択が、今の自分にはない(出来ない)選択、だからこそ輝いて見えました。

 

実際の社会や現実を分かっていない。

言うのは簡単です。でも、映画を観ている間くらい、そんな感傷に浸ってもいいじゃないか。

そんなことも思います。

映画は旅だと、常々思います。

現実社会で経験できない体験を疑似体験し、感情移入させてくれるからこそ、尊い体験なのです。

本作は、思春期時代への旅なのです。

 

 

でもやっぱり旅から戻れば、批判的な眼も戻ります。

災害の描かれ方や命の重みの向き合い方。

これは結論は出せません。真正面に向き合えば、向き合うほど、主人公の決断に対する批判の声もあがるかもしれません。

でも、批判できるほど、一人の少女に世界の運命を託すのはどうなのか?

 

だからこそ、帆高は自分と陽奈のセカイを通したのです。

 

新海誠監督は、そういった批判が起こることを分かっていながら、描き切りました。その点については、バランスよく作られていたと思います。

 

天気の子とは何者だったのか?

 

でも、あえて言うなら、天気の子の描かれ方が、もう一つ深堀りして欲しかったと思っています。

 

監督はおそらく、一人の普通の女の子として見せたかったのでしょう。

物語上、世界の運命を背負う天気の巫女としても描かれなければなりません。

 

運命を背負う巫女は、帆高と陽奈の間だけの秘め事のような設定になっており、周りの大人からの理解があるのか、ないのか、今一つわかりません。

 

お天気届けます、のサービスで実際に晴れにしたり、

テレビで晴れ女の能力を写されたり、その割には、肝心の災害の際には、特にヒナの能力を社会から求められる描写がないのも違和感がありました。

 

天気の子も、弟がいて、社会に隠れてひっそりと二人で暮らしています。

天気の子を人間として見せたいのか、御子として見せたいのか、今いち焦点が定まっていないように見えました。

 

警察じゃないけど、あの小さな子供二人が、二人だけで暮らしているのはおかしいし、警察から逃げる理由も正直あまりよく分からない話。

 

帆高も、警察から追われる理由が、人生棒にふってまで、ってどうしても大人目線では思ってしまいます。

 

こうしたアラのような部分は、鑑賞中はトリップしているから見逃してやりたい、と思えても、冷静に考えるとどうしても弱点として気になってしまうところです。

 

凸凹だけど気になる作品

 

そういう疑念の余地が残るという点でも、完璧に作り挙げられたというより、少しいびつでデコボコとした鑑賞体験になっています。

でも今となっては、そこも良いところだと思っていて、新海誠監督は、帆高がした選択と同様に、社会や物語、脚本上の正しさよりも、思春期を生きる若者のセカイの価値観の提示こそに力を入れたかったのではないかと考えています。

 

やっぱり良い悪いは別にして、好きか嫌いかで聞かれたら、好きと答えてしまう作品だと思っていました。

 

 

天気の子

天気の子

  • 発売日: 2020/03/04
  • メディア: Prime Video
 

 

 

映画「AI崩壊」感想レビュー 溢れるマイノリティ・リポート感、シン・ゴジラ要素が欲しかった一作

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2002年に公開された映画「マイノリティー・リポート」という映画をご存知でしょうか?

スティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演のSFアクション大作です。

 

そこで描かれたのは、犯罪予知システムによって、犯罪が未然に防がれる世界でした。

完全自動運転の技術や、空中に浮かぶモニターなど最近の映画では、当たり前に登場する映画の近未来像が、当時は新鮮だったのを思い出します。

 

マイノリティ・リポートが描いた世界は2050年代。

ちょうど令和に変わったその年に同じく2050年代という近未来を描いた日本映画がありました。

 

「AI崩壊」です。

 

最新のテーマなのにワクワクしなかったSF

 

なるほど、今話題のAIがテーマとなれば、これから迎える新時代に相応しい、近未来SFになるのではないか、という期待を込めて鑑賞しました。

 

結論から言えば、少し期待外れと言わざるを得ません。

私が映画を観る楽しみの一つは、空想だからこそ描かれる、世界の未来です。

それが描かれるからSF映画というのは、ワクワクするのです。

マイノリティ・リポートは、こんな未来が来るかもしれないという、将来像を示してくれました。

それは怖くもある社会ではありましたが、登場する様々なガジェット類にワクワクしました。

 

申し訳ないですが、「AI崩壊」にそういった意味でのワクワクというのは感じられませんでした。残念なことに、令和の時代にありながら、平成時代に提示された「マイノリティ・リポート」で描かれた世界からあまり進歩していないふうに思えたからです。

 

確かに、その頃から技術は進歩して、実社会においても、AIという言葉が日々新聞やネット記事に踊っています。

もう少ししたら、AIというものが、ごくごく身近に感じられる社会が訪れそうな気がしています。

いや、ものによってはもう訪れているのかもしれません。

実社会におけるAIの存在感が高まってきている今、映画で描く未来は、さらに一歩先を行く内容であるべきだと思います。

 

でも、映画「AI崩壊」では、私たちが想像しうる範囲でのAIの活用法が描かれていて、想像しうる範囲での課題が描かれていました。

それが、斬新であるならば、良いでしょう。

しかし、残念ながら、内容については「マイノリティ・リポート」が提示して以降、繰り返し映画作品の中に描かれてきたモチーフでした。

それは、もはやステレオタイプと言って良いかもしれません。

令和時代に最新の科学テーマを扱った作品でありながら、お話自体は完全にステレオタイプだったのです。

 

ステレオタイプな世界観とキャラクター

 

一番違和感を感じたのはやはり、敵として描かれる警察組織の「百目」と呼ばれる、住民監視システムです。これについては、本当に何度も描かれてきたものだと思います。

 

警察という公的権力が、捜査という大義名分のために、市民のプライバシーを侵害する。

すると、もうすぐで現役を引退するベテラン刑事が、「捜査は足で稼ぐもんだ」と反抗する。

 

こんな構造は10年以上前に「踊る大捜査線」でも見られたシチュエーションです。

繰り返しになりますが、そんな古典的展開が令和の時代に繰り出されるもんだから、それはやっぱりしらけてしまいます。

 

アラが見えると全部が気になる

 

映画というのは、一部分で引っ掛かりができてしまうと、他が良くても全体の価値が損なってしまうものです。他にも、ダメな部分があるのではないか、という視点で観てしまうのです。

 

そうなると、アラが見えてきます。

そもそも元々の主人公の開発したAIシステムは医療用だったはず。

それがかなり広範囲に紹介されていて、冒頭で登場する自動運転技術にも応用されています。

 

正直、医療AIと自動運転は関係なくないか? と引っかかってしまったのです。

 

こんな一つのトラブルで、全国民の生命に影響が出てしまうAIなんて、一企業の一データセンターで把握すべき内容では無いような気がしますし、データセンター自体のセキュリティの描かれ方もどうなのよ、それ、とついつい思ってしまいます。

 

 

どうしてこんなにアラが目立ってしまうのか?

それはやはりAIによる情報管理社会というのが、今の現実社会の延長になりつつあるからです。

現実の延長にあるかもしれない社会を描くのに、あまり荒唐無稽や現実離れした描かれ方をすると返ってしらけてしまうことがあります。

 

全然もっと先の未来の話だったら、多少ぶっとんだ設定であっても、S F作品ということで多目に見られることもあるでしょう。

 

でも、人は自分が知っている知識については、厳しい目を向ける傾向があります。

AIという各方面で語られる分野だけに、その設定上のほころびがかえって目立ってしまうのです。

 

マイノリティ・リポートももしかしたら、2020年の今現在の眼で見たら、荒唐無稽でこんなの可笑しいと笑って見過ごしてしまう作品かもしれません。

 

シン・ゴジラ手法なら印象変わったかも

 

今回のAI崩壊も、わりと近い未来を描くということであれば、現実社会の延長として、徹底的にドキュメンタリックな手法でリアルな描き方をすれば、活路が見出せたのかもしれません。

 

シン・ゴジラは、ゴジラという古い虚構を描きながら、現実にゴジラが現れた時のシミュレーション映画としての描き方だったのが新(シン)鮮で、成功したのだと思っています。

 

映画というのは、自分たちには、想像や経験できない映画体験を提供してこその映画、だと思います。

 

でも、想像や経験できてしまいそうな映画に対しては、観る目が厳しくなってしまうのだなぁとSF作品のバランス感覚の難しさを感じました。

 

 

AI崩壊

AI崩壊

  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: Prime Video
 

 

映画「アナと雪の女王2」感想レビュー エルサの自分探しの旅

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マズローの欲求5段階説って聞いたことがありますでしょうか?

マズローという心理学者は、人の欲求はピラミッドのように5段階の構造を持っていると言いました。下の欲求が満たされれば、その次の欲求に。その欲求が満たされれば、その上の階層の欲求に、人はピラミッドを登るように、欲望を満たすことを求めていくというものです。

 

一番下の階層は生理的欲求です。

つまり、ご飯を食べる、寝るなどの人間が生きていくための最低限必要な欲求です。

 

その次が、安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求と続いていきます。

 

昨年公開された「アナと雪の女王2」は前作とあわせて、まさにマズローの欲求の階段を駆け上がっていく映画だと感じました。

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マズローの5段階欲求

 

自分探しの旅を描いてきたアナと雪の女王

思えばアナと雪の女王は、1でも2でも、エルサの自分探しの旅が描かれてきました。

でも、1と2では、その自分探しの旅の性質は随分と違うものでした。

 

特に2作目におけるエルサは、人は社会での自分の役割に気付いた時、こんなにも輝けるものか、と個人的には1作目以上に心を揺さぶる物語になっていると思います。

一方、その描き方は、神話や哲学に近く、ある意味子供たちに大ヒットしたあの続編であることを考えると、大変な意欲作でしょう。

 

前作が売れたから続編を作りました、と感じさせないくらいに(実際はそうなんでしょうが)

テーマ的なつながりと映画づくりとしてのこだわりが見える作品になっていると思います。

 

第1作はエルサが孤独からの解放を描く

 

まず、アナと雪の女王第1作を振り返ります。

これも、エルサの自分探しの旅でありました。

生まれながらに魔法の力を持って生まれてエルサ。その力は強大すぎて、他者と距離を置いて生きてきました。他者に刃を向ける出来事もあって、エルサは他者を拒絶し、孤独に生きる道を選んでしまいます。妹であるアナが真実の愛の力で、魔法の力を持ったエルサを氷の孤独から解放するのです。

 

1作目では、そんなエルサというマイノリティーが社会に受け入れられる過程が描かれていきました。

つまり、冒頭でいうマズローの欲求でいうところの、社会的欲求です。

誰もが、会社に入ったり、部活に入ったりしながら、社会に受け入れられることを望みます。

1作目のラスト、魔法の力を持ったエルサは、氷の世界からアレンデール王国の国交解放に至ったように、心も社会に対してオープンになっていったのです。

 

エルサの心の内面だけでなく、夏が消えたアレンデール王国の危機、王国をのっとろうとする明確な悪役の存在などが、物語の背骨としてあることで、分かりやすいエンターテインメントとして仕上がっていました。あと、音楽の魅力は言わずもがな、でしょう。

 

心の解放を描く第2作

 

一方で、2作目ではエルサの心の内面によりクローズアップした物語になっています。

物語の設定自体が、未知の世界からの呼びかけに対して冒険に出ることを決める。

まさに自分探しの旅です。

そもそも、物語冒頭、アナとエルサの両親が語るお話がすでに御伽話のようなテイスト。

そのため、お話自体は1ほど分かりやすくはありません。

続編にも関わらず、次々登場する新用語にちょっと追いつくのが大変なくらいです。

1作目のイメージから印象が違うと感じるかもしれません。

画面づくりもそう。1は雪の白さが際立つ場面が多く感じましたが、2では一転してダークなトーンです。

 

話を戻しましょう。

とにかく全体的に話がふわふわとしている部分があるので、この話がどこに向かうのか中盤までは特に掴みづらい印象でした。

 

冒頭から中盤にかけて、その抽象さ加減が、あまりいい方向に働いていなかったのですが、でも、そこはディズニー映画。エルサが物語の真実に近づくに連れてちゃんと盛り上がりが用意されていきます。その盛り上がり方に比例してどんどん神話的シーンが多くなってきます。

終盤のエルサのダークシーという荒波を乗り越える場面で一気に抽象から神話へと格上げされていくのです。

 

 

そしてエルサが荒波を乗り越えた先にある、アートハラン。

そこでの映像表現は、神秘的でさえあります。

そしてついに自分の正体と役割に気付いたエルサ。

1、2通じて一番いい表情だったように思います。エルサっていつもちょっと憂いの表情があると思いません?

ビジュアルも白ベースの配色に変わって一層神秘的になりました。

何よりあの馬に乗って駆ける姿がかっこいい!

 

 

そう、この場面でエルサは、内面的欲求を見たします。

つまり、マズローでいうところの尊厳への欲求や自己実現への欲求です。

社会に自分の存在が認められ、孤独からの解放を願った前作。

それは外向きに対する欲求です。

 

本作では、自分がこの社会で生きる意味を見直す。

いかに社会で自分の自己実現を果たすか、の内面的欲求です。

 

エルサは、マズローの5段階の欲求を全て登り詰めることに成功するのです。

だから、2のエルサはめちゃめちゃすがすがしい表情、憑き物が取れたような満ち足りた表情になっているのです。

 

そんなエルサの姿を見ていると、自分も何か社会で自己実現したい、そんな気にさせられます。

魔法があってもなくても、人生を輝かせることが出来るのは、自分の内面との向き合い方次第であると教えてくれた気がします。

 

そんなテーマの本作は子供向け映画と言えるのでしょうか。

もちろん、オラフは可愛いし、アナも可愛いし、エルサ以外のメンバーのアンサンブルの心地良さもある映画になっているので子供も楽しめるでしょう。

 

でも、テーマそのものは骨太で、神話的で哲学的なので、前作の後にこの作品を持ってきたディズニーはさすが、と敬意を表すばかりです。

 

 

 

映画「T34 レジェンド・オブ・ウォー」感想レビュー 純度100%の戦車映画

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最近ライトなエンターテイメント映画が流行っている気がします。

先週感想をあげた「EXIT」もそう。パニック映画というジャンルにしては、かなりライトで、シンプルなまでにアクションを楽しむ映画になっていました。

 

今年一番の傑作「パラサイト」についても、貧困や格差社会をテーマにしているにも関わらず、語り口自体はものすごくライトで、社会派というよりまずエンターテインメントとして一流の作りになっていました。パラサイトについては、ライトに観れるのに、観賞後は胸に重くのしかかるで、「EXIT」とも違う味わいにはなっていて、そこは頭ひとつ抜け出ている印象です。

 

とはいえ、ライトなエンターテインメントとして、あまり身構えずに見られるのが、双方の特徴だと思います。

 

今日紹介する映画「T34 レジェンド・オブ・ウォー」も、ものすごくライトに楽しめる戦争アクションになっています。同作は、ロシア製の戦争映画です。ナチスソビエトの戦いという設定だけをみれば、ものすごく重々しい雰囲気の映画を想像します。

実際、戦争映画というのは、設定自体が重くなっていることが多いので、観る前は多少精神的余裕がある時に観ることが多いです。

戦争映画は観るのに、心の準備というものが必要になるのです。

 

ですが、この映画「T34 レジェンド・オブ・ウォー」はそんな心の準備は一切要らずに、純粋にアクション映画として楽しめます。戦争の、いわゆる「悲劇的」な側面はあまり描かれていません。描かれていても、結構タンパクな作りになっています。

 

戦車エンターテイメント

 

むしろ、これは戦争映画と呼んでいいのかも怪しい。

戦車エンタメといった方が、観る前に抱くイメージとしては正しいのかもしれません。

とにかく、全編戦車の戦闘アクションが貫かれます。

ドラマパートにまで、戦車が出てくるので、戦車成分100%の映画といっても過言ではありません。

 

もちろん、戦車エンタメなんていってしまうと、一部のミリタリーオタク向けの映画を想像されるかもしれませんが、戦車の知識がなくても、楽しめる作品になっているのでそこは心配ありません。

自然と、戦車の特徴が掴めむことが出来るので、状況説明が上手な映画だと思います。

 

例えば、冒頭運搬車に乗っているソ連の兵士が、不覚にもドイツの戦車に見つかり、追いかけられるシーン。

主人公でもあるニコライ・イヴシュキンは、助手席に横に乗っている兵に

「戦車の砲台の動きが止まってから4秒数えろ」

と指示を出します。

 

4秒数えおわったら、主人公は、ハンドルを急回転して、戦車の砲撃を避けるのです。

 

この一連の流れで、戦車は、砲台の向蹴てから、実際に弾が放たれるまで時間がかかる。

ということが感覚的に分かります。

 

戦車ならではのタイムロスというか、時間感覚が伝わります。

それが戦争アクションの駆け引きを生んでいて、冒頭の逃走シーンでその設定を自然と観客に習得させているのです。

 

他にも、序盤の村でのバトルでは、干し草に隠れたり、村の小屋に隠れて奇襲するなど、戦車を使ったステルスアクションのシーンになっています。

戦車だからといって、ただ、ドンパチするのでなく、パズル的な戦略アクションの幅を楽しめるのです。戦車ってこんなにも多様な戦い方なんだ。

 

実際に、戦車のバトルシュチュエーションも豊富です。

冒頭の村の中、白昼のドイツ演習場(高原)、夜の街中。

いずれもそれぞれの地形にあったバトル展開が楽しめるので、アクション要素が戦車だけにも関わらず、飽きのこない作りになっています。

 

戦車の見せ場はバトルだけじゃ無い?

 

戦車の見せ方が、バトルだけでないのが面白いんです。

それはT34が修理・整備を終え、その性能をドイツ軍に披露するシーン。

よもや白鳥の湖のBGMにのせて、戦車を走ら、走行や転回します。白鳥の湖プリマドンナの如く戦車が踊るのです。

戦闘シーンでもないのに、本当に作り手の戦車愛が伝わる、名シーンになっています。

 

その戦車の踊りを観て、敵役のイェーガーが

「演習場に地雷を仕掛けろ」

と指示を出すところが、戦車の走行だけで凄さを知らしめたのが分かるニクい演出だと思いました。

 

淡白なドラマパート

 

ここまで読んできて、本作が戦車愛にあふれる作品だな、というのは理解いただけたのではないでしょうか?

 

でも、純度100%果汁のジュースのように、戦車要素に絞っている分、ドラマは希薄だとも言えます。実際にそういうレビューもよく見かけます。

 

ドラマが希薄というよりかは、淡白なドラマになっているといった方が良いかもしれません。

ドラマ自体は、分かりやすい敵役がいて、分かりやすいヒロインがいて、敵と戦いながらヒロインも救出するか、というところも分かりやすく描かれています。

 

戦争アクションが豊富で新鮮な分、ドラマとアクションの落差がより激しく感じられるのかもしれません。予定調和な段取り感は否めない感じでした。

 

また、アクションも戦争映画特有の血生臭さが、本作では、おそらく意図的に排除されています。

このあたりは、逆に戦争映画としてハードな表現を期待している人たちにとっては、少し物足りない部分だったかもしれません。実際、戦車映画というと近年の傑作「フューリー」と比較すると、フューリーは泥試合、本作はパズル戦と明確に違いがあるように感じるので、

何を期待するかで、満足度は変わってくるかもしれません。

 

たまたま期待せずに観たら思いの外面白かったという類の映画なのかもしれません。

 

でも、ジャンルが纏っている雰囲気にとらわれない空気感の作品やジャンルレスな作品というのは今後増えるような気がしていますので、その流れの一作として見てみると発見があり、面白い作品になっていると思います。

 

 

T-34 レジェンド・オブ・ウォー (字幕版)

T-34 レジェンド・オブ・ウォー (字幕版)

  • 発売日: 2020/04/29
  • メディア: Prime Video